神坂課長のところに大累課長がやってきました。
「神坂さん、ヘルプお願いします」
「なんだよ?」
「また雑賀の奴が屁理屈をこねているので、一発ギャフンと言わせてください」
「なんで俺なんだよ。お前がやれよ」
「あいつは俺のことを舐めてますからね。でも、神坂さんのことは相当恐れていますから」
「俺は恐怖政治を脱却したいんだけど・・・」
「とにかく、つべこべ言わずに!」
二人は雑賀さんを会議室に呼び出しました。
ドアを開けて雑賀さんが入ってくるなり、
「げっ、ズルいですよ、課長。神坂課長を味方に引きいれるなんて!」
「まあ、座れ。俺は別に大累の味方じゃないよ。お前の方が正しいと思えば、ちゃんとそう言うよ」
雑賀さんはしぶしぶ席につきました。
話の顛末は、最近は残業も減り早く帰宅できるようになった雑賀さんに、大累課長がアフター5に勉強するように言ったところ、それは自分で決めることで、課長に指示される筋合いはない、という話で揉めていたということのようです。
「なるほどな」
「だって、会社にいる間は業務時間ですけど、一旦会社を出てしまえば、後は俺の自由時間じゃないですか?」
「まあ、たしかにな」
「それにいくら勉強したって、給料が増えるわけじゃない。本を買うお金がもったいないですよ。俺は現状に満足しているんです。こういうのを『足るを知る』って言うんじゃないですか?」
「雑賀、それは違うな!」
「えっ」
「現在の生活に不足を覚えないようにすることを足るを知るという。しかし、仕事や学びについては死ぬまで足るを知ることはないはずだ」
「・・・」
「俺はお前が読書家なのを知っている。お前は決して勉強が嫌いなわけじゃない。しかし、まだまだ学びが中途半端な気がする。『足るを知る』を今のように理解していることがそれを物語っているよ」
「雑賀、俺だってお前が勉強熱心なのは知っている。でも、お前にはもっと成長してもらって、将来は特販課を担って欲しいんだ」
「え?」
「神坂さんも俺ももっと大きな仕事をさせてもらうつもりでいる。いつまでも課長をやっているつもりはない。この課を任せられるのはお前しかいないだろう?」
その後、雑賀さんは言葉を失ってしまったようです。
小さくお礼を言うと、会議室を出ていきました。
「これで良かったのか?」
「はい。さっきの話を二人だけで話すのは、ちょっと恥ずかしかったので、神坂さんが居てくれて助かりました」
「じゃあ・・・」
「わかってますよ。飲みに行きましょう! 俺の奢りで!」
ひとりごと
「足るを知る」という言葉は、現状にあまんじろという意味ではありません。
今、手にしているものを大切にして、ないものねだりをするな、という意味です。
ただし、学問や仕事については、自分の力が不足していることを常に認識しているべきです。
つまり、学問や仕事については、常に不足を補う意識が重要なのです!
【原文】
人各々分有り、当に足るを知るべし。但だ講学は則ち当に足らざるを知るべし。〔『言志晩録』第202条〕
【意訳】
人には各自、持って生れた分際があるので、常に現状を不足に思わないようにすべきである。ただし、学問においては常に不足を思い、向学の志を失ってはならない。
【所感】
日常生活においては、足るを知ることを善しとせよ。ただし、仕事や学問においては、安易に満足せず、不足を常とせよ。