今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋に居るようです。
もちろんですが、佐藤部長はデスクのチェアに、神坂課長は応接のソファに腰かけて、ソーシャルディスタンシングを心がけています。
「この前、ある人からいくつになっても孝行心を失ってはいけないと言われました。私はまだ両親が健在ですが、そうでない人はどうすればいいのでしょうかね?」
「たぶんその人は、広く解釈をしているんだろうね」
「広く?」
「そう。前に話したことがあったよね。『わが身は両親の遺体』だということを」
「ああ、そうでしたね。そうか、だから年をとったら自分の身体を労わることが、そのまま孝行になるのですね?」
「そういうことを言いたかったんだと思うよ」
「そうです、きっと。それから目下の人にはつねに「悌」の心を発揮しろとも言われました。りっしんべんに弟と書く字です」
「それは、兄が弟を労わる心だね」
「それを兄弟でない後輩にも施せということですか?」
「そう。石崎君や善久君に対してもね」
「あのクソガキ達ですか。部長にはどう見えているかわかりませんが、私は意外とあいつらを可愛がっていると思いますけどね」
「ちゃんと感じているよ。特に石崎君とは年の離れた兄弟のようだね」
「兄弟というには、ちょっと年が離れすぎていませんか? まあ、でも親子でもないなぁ」
「神坂君が石崎君のところまで降りてあげているという印象をもつよ」
「さすがは部長です。しかし、肝心のあいつはそれを理解していないんでしょうね?」
「たぶんね。だって、かつて私が神坂君のところまで降りていたことを、神坂君も感じてくれていなかったじゃない?」
「おお、たしかにそうでした!! ウザイ先輩だなぁと思ってました。(笑)」
「全部顔に出てたね」
「お恥ずかしい・・・」
「親の有難みは、自分が親になって初めてわかるように、上司の有難みというのも、自分が部下を持って初めてわかるのかも知れませんね」
「いつか、石崎君も神坂君に感謝する日が来るよ。『神坂課長に育てて頂いたお陰です』なんて言ってくれるんじゃないかな」
「想像しただけで泣きそうです」
「私も泣いたよ。神坂君に同じことを言われたときに」
「苦労をかけましたもんねぇ」
「本当に。自分の子供たちより手がかかったから!(笑)」
ひとりごと
仮にご両親がご健在でなくても、親を思う気持ちがあれば、それは既に「孝」の発揮です。
両親のことを思えば、わが身の大切さに改めて気づくことができます。
わが子でなくても、目下の人に慈しみの心を抱けば、それは既に「悌」の発揮です。
部下や後輩を愛おしく思い、そして自分の下に居てくれることに感謝しなければなりません。
この孝悌を常に発揮する人には、自然と人が集まってくることでしょう。
【原文】
孝弟は是れ終身の工夫なり。老いて自ら養うは、即ち是れ孝なり。老いて人に譲るは、亦是れ弟なり。〔『言志晩録』第268条〕
【意訳】
孝悌は生涯を通して実践すべき徳目である。年老いて我が身を養生することは孝そのものである。また年老いて後他人を立てて譲ることは悌そのものである。
【一日一斎物語的解釈】
つねに目上の人には「孝」、目下の人に対しては「悌」という徳目を発揮せよ。この徳目を発揮することが、世の中を無事に渡りきる最善の策である。