神坂課長が客先から戻った石崎君を呼び止めたようです。
「少年、この前、カツオのたたきを食べて腹を下したと言ってたよな?」
「はい、たぶん」
「たたきと一緒にショウガが盛り付けられていたと思うけど、それも食べたか?」
「食べないですよ。ショウガは辛いし、それにあれは見た目を良くするためのものじゃないんですか?」
「違うよ、ちゃんと意味があるんだよ。ショウガには抗菌作用がある。だから、一緒に食べていたら、腹を下さなかったかもしれないぞ」
「そうなんですか?! じゃあ、お刺身についてるつまにも意味があるのですか?」
「もちろんだよ、大根にも殺菌作用があるし、口の中をスッキリさせるという効果もあるんだ。大葉もそうだぞ」
「へぇー、知らなかった。今まで食べたことなかったです」
「実は、俺も少し前まではそうだった。なんかあれを食べていると貧乏くさい気がしてな」
「同じです。(笑)」
「しかし、ちゃんと理由があると知ってからは食べるようにしているんだ」
「そういうことなら、私もこれからは食べるようにします」
「昔の人の知恵ってすごいよな。なま物を食べるときに、そうやって付け合わせで殺菌することを考えている。それだけでなく、見た目にも白い大根のつまは、刺身の鮮やかな色を引き立てる効果もある」
「科学的にというより、感覚的に学んでいるのでしょうね」
「そうだな。やはり、人間に本来備わった感覚というのは、大事にしないといけないな」
「そうですよ、課長。激辛のつけ麺を特盛で食べたら、おなかを壊すことくらい、感覚的にわかると思うんですよね!」
「お先に失礼します!」
この時、そばにいた善久君がそそくさと居室を出ていきました。
「うっ。お前、誰から聞いた? そうか、善久だな。おい、善久!」
「ゼンちゃん、さすがだな。ギリギリのタイミングでかわしたな」
「あいつの危険察知に関する感覚も凄いな」
「ゼンちゃんだけじゃないですよ。課長に対する危険察知センサーは、2課の皆さん全員が超高感度に設定してありますから!」
「やかましいわ!!」
ひとりごと
美食・飽食を続ければ、健康を害するというのは理解できますね。
それにしても、日本の食文化というものは、素晴らしいと思いませんか?
さりげなく付け合わせた食材に、見た目の効果だけでなく、ちゃんと意味があるのです。
刺身のつま、ショウガ、ミョウガ、大葉、パセリといった付け合わせは、必ず食べるようにしましょう!!
【原文】
一飲一食も、須らく看て薬餌(やくじ)と為すべし。孔子薑(きょう)を撤せずして食(くら)う。多くは食せず。曾晳(そうせき)も亦羊棗(ようそう)を嗜む。羊棗は大棗とは異なり。然れども亦薬食なり。聖賢恐らくは口腹(こうふく)の嗜好を為さざらん。〔『言志晩録』第281条〕
【意訳】
一杯の飲み物も、一回の食事もすべて薬だと見なさなければならない。孔子は生姜をのけずに食べたが、多くは食べなかったとのことである。曾子の父の曾晳も実の小さいなつめを食べていた。羊棗(実の小さいなつめ)と大棗(鶏卵大のなつめ)とは種類は違うが、これもまた薬食である。おそらく聖人賢人は美味・満腹を求めて食事をしなかったようである。
【一日一斎物語的解釈】
口から体内に入れるあらゆる飲食物は薬のようなものである。自分の口に合う物だけを腹一杯食べるというようでは、健康を保つことはできない。