神坂課長が喫茶コーナーでがっくりと肩を落としている雑賀さんを見つけたようです。

「あれ、雑賀。どうした? 背中が泣いてるぞ」

「背中だけじゃないです」

「おお、目が真っ赤じゃないか? また大累にイジメられたのか?」

「子供じゃないんですから、からかうなら向こうに行ってください!」

「わかった、わかった。ゴメン、謝るよ。で、どうしたんだよ?」

「ずっと世話になってた伯父が亡くなったんです」

「そういえば、昨日休んでいたな」

「はい。私の父親の代わりみたいな人で、本当に世話になったんです」

「お母さんのお兄さんか?」

「はい」

「それは辛いな。よく会社に出てきたな」

「2日も休めませんから」

「そうか。でも、無理はするなよ。そんな目で運転したら、また事故を起こすぞ!」

「『また』は余計ですよ!」

「ナイスツッコミ!!」

「課長、からかうのなら・・・」

「あー、ゴメン。わかってるって!」

「ただ・・・」

「何だよ?」

「死に顔がとても穏やかだったんです。今までにあんな死に顔を見たことがないですよ。なんて言うのかな、悔いが一点もない顔というか・・・」

「人生を生き切ったんだな」

「え?」

「人生を精一杯生き切った人なんだよ。だから、天からのお迎えを素直に受けれたんだ。すごい人だな、お前の伯父さん」

「小さな乾物屋を夫婦二人で経営していたのですが、伯母は5年前に亡くなりました。一時は落ち込んでいましたが、それでも周りの人から店を続けてくれと懇願されて続けていたんです。最近は、続けてきてよかったとよく言っていました」

「そして、やり切ったんだ。これで胸を張って天国で奥さんに会えると思ったんじゃないかな? お前もそうだろうけど、俺たち凡人は死ぬのが怖いよな。なるべく長く生きたいと思ってしまう」

「そのとおりです」

「でも、死にたくないとかもっと生きたいと思うのは、生への執着だ。逆に言えば、死にたいと思うことも生への執着だと思う」

「・・・」

「人間、どうせいつかは死ぬんだから、生きている間だけしっかり燃焼すれば良いんだよ」

「たしかに、死ぬのは嫌だと言ったところで、それは避けられないし、そもそもいつ死ぬかもわからないですもんね」

「そうだ。俺たちはまだ生かせてもらえるようだ。だから、毎日を精一杯、泣いて、笑って、生きていこう!」

「課長、ありがとうございます。今日の神坂課長はカッコいいですね!」

「そうだろう?」

「でも、私はいつもの暴言を吐きまくっている課長の方が好きですけどね!」

「なんだよ、それ!!」


ひとりごと

凡人である小生は、いまでも生への執着から完全に逃れることはできていません。

50歳を超えると、さすがに死というものを身近に感じるようになりますが、それと共に死への恐怖は薄くなっていく気もします。

遺された人生をどう生きるかだけしか、自分が自由にできることはないのです。

精一杯生き抜いてみます!


【原文】
生を好み死を悪(にく)むは、即ち生気なり。形に牿(こく)するの念なり。生気已に徂(ゆ)けば、此の念を并(あわ)せて亦徂く。故に天年を終うる者は、一死睡(ねむ)るが如し。〔『言志晩録』第291条〕

【訳文】
生きることを好み、死ぬことを嫌うのは、生きようとする気持ちがあるからである。それはつまり形にとらわれているのである。生きようとする気持ちが無くなれば、形にとらわれる気持ちも一緒に無くなってしまう。したがって、天寿を全うした人は、まるで眠っているかのように安らかに死ぬことができるのだ

【所感】」
生きたいという気持ちも死にたいという気持ちも生への執着である。安らかな死を迎えたいなら、生への執着を捨てることだ。


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