今日の神坂課長は、A県立がんセンター消化器内科の多田先生を尋ねたようです。

「おう、神坂。直接顔を見るのは久しぶりだな」

「ご無沙汰しておりました。これから少しずつ営業活動も再開します」

「しかし、もう以前のようにはならないだろう。Web営業が一般化するんじゃないのか?」

「その可能性は高いですね。どうやら各メーカーさんは、そういう手法をいろいろ模索しているようです」

「くだらないことで顔を出したら、『お前、そんなことでわざわざアポを取ったのか?』なんて言われるぞ」

「特に多田先生に会う時は要注意です」

「で、今日の用事はなんだ?」

「え? ああ、今日はただの顔見世です」

「じゃあ、顔は見れたからもういいな」

「あ、ちょっと待ってください。先生は、後輩や部下に仕事を教えるときは、どんなことに注意しているのですか?」

「とってつけたような質問だな。医者を育てる話に限定するぞ」

「はい」

「医者になるステップとしては、まず学生時代は、主に教科書を使って勉強をするわけだ。要するに文字から入る勉強からスタートする。そして、レジデントになってからは、実践が入ってくる。技術を体得する勉強が加わるんだ」

「なるほど。まず言葉で伝え、次に実際の臨床を見学してもらい、其れから徐々に内視鏡を握らせていくわけですね?」

「技術は目と頭だけでは修得できないからな。やはり体得だよ」

「はい。でも肝心な医者の心掛けみたいなものは、教えないのですか?」

「神坂、そこが一番重要なところだ。真の医療は、技術だけでは身につかない。心が備わらないとな」

「ですよね! それで、心はどうやって教えるのですか?」

「教えないよ」

「え?」

「というか、教えられない。俺たちにできるのは、場の提供だけだ。内視鏡の手術でも、簡単なものから次第に難しい手技を教えていく。そういうステップを踏む中で、何を感じるかは本人次第なんだ」

「はぁ」

「だから、何を感じたか、自分ならどうしたいか、ということを常に質問して、自分で考えるように仕向けて行く。そこが仕事を教える上で一番大切にしているポイントだな」

「答えは教えないのですね?」

「医療の場合、定まった答えはないんだ。何が正解かは結果が出てからしか分からないことも多い。自分で考え、失敗をし、心に大きな傷を負う。そういう中で自分なりの医者としての心を作っていくしかないんじゃないかと思っている」

「ああ、わかる気がします。私達のような営業の世界でも、やっぱり営業人の心というのは、みんな違う気がします。先生方のように人の命に直接関与しない分気楽なのかもしれないですが」

「どうだ、これで良いか?」

「ありがとうございました!」

「思いつきの質問の割には、面白い答えが引き出せたな?」

「はい、ラッキーでした。あっ!」


ひとりごと

どんな仕事でも、最後の仕上げとして心を学ぶ必要があるのではないでしょうか?

いわゆる免許皆伝となるには、技術だけでなく、心を仕上げなければなりません。

しかし、心を磨くのは、一朝一夕にはできません。

多くの経験を積み、その都度自分なりの答えを出しながら、徐々に仕上げていくものなのでしょう。

その期間は、おそらく30年といったところではないでしょうか?


【原文】
教えに三等有り。心教は化なり。躬教は迹(せき)なり。言教は則ち言に貸す。孔子曰く、「予言う無からんと欲す」と。蓋し心教を以て尚(しょう)と為すなり。〔『言志耋録』第2条〕

【意欲】
教育には3つの段階がある。心教は心で諭し、心を感化する教育である。躬教は身をもって率先垂範し、型を身につけさせる教育である。言教は言語の解釈によって知識を蓄える教育である。孔子は「予言うこと無からんと欲す」と言った。これは思うに心教をもって、第一としたのであろう

【一日一斎物語的解釈】
人を教え導くには、心を感化する方法、自ら率先炊飯する方法、そして言葉の解釈を伝える法がある。なかでも重要なのは心の感化である。


medical_syujutsu_toriniku