喫茶コーナーで休憩中の神坂課長のところに、大累課長がやってきました。

「あ、居た居た。神坂さん、この本読んでみませんか?」

「どれ、『万葉の秀歌』? これって万葉集の本だろう?」

「そうです。すごくよかったですよ」

「お前、いつの間に和歌に興味を持ったんだよ?」

「いや、実は最近とある読書会に参加していましてね。その課題本だったんです。最初は、この分厚さと古語のオンパレードで読み切るのは無理だと思っていたんですけど、いざ読みだしたら面白いんですよ!」

「へぇ、お前にそんな風流な心があったとはな」

「自分でも驚きました。(笑)」

「でも、わかる気がするよ。今の子供って意味がわからないと先に進めないらしいんだよ。だから、ひとつ言葉の意味がわからないとそこで止まってしまう。その点、お前とか俺みたいなバカは、そんなことに一々構ってたら一向に前に進まないから、とりあえず読み飛ばしていく」

「そうそう、まさにそういう読み方をしていたら、なんだか少しずつ和歌がわかるような気がしてきました」

「経書や古典を読む時は、字面にこだわらずに、自分の心の中をさらけ出して読めって、多田先生に言われたことがある。自分の心の中を読めってな」

「その話はなんだか難しいですね。とにかく、読んでいると、いつの間にか情景が浮かんでくる歌もたくさんあったんです。それに、意外といいなと思う歌の作者がわからなかったりするんです。昔の人ってすごいですよね」

「江戸の終わりから明治初期くらいまでは、漢詩を作っている偉人もたくさんいるからな。日本人は西洋化とともに、大事なものを失ってしまったのかもな」

「私もそれを感じました。私には中国古典はキツイですけど、これなら勉強する気になれます」

「いいじゃないか。和歌は自然と人間を一対にして歌にしているから、きっと大自然の法則を学びとることもできるぜ」

「そういう小難しいことはわかりませんけど、ちょっと和歌を勉強してみます。神坂さんもその本読んでみますか?」

「お前がそこまで言うなら読むよ。もしかしたら、和歌には日本人の大切な精神とか、大自然の法則なんかも書かれているかも知れないからな」

「どうします、そのうち俺たち二人が和歌で会話するようになったら?」

「そのときは、大自然が破壊するときだ。(笑)」


ひとりごと

経書を読むことは、自分の心を読むことだ、という一斎先生の表現は難解ですね。

技術や知識の先にある聖人の心と会話をしなさいという意味なのでしょうか?

経書を読む際には、文字にとらわれず、聖人の心に自分の心をぶつけていく。

そんな読み方を推奨しているのでしょう。


【原文】
経書を読むは、即ち我が心を読むなり。認めて外物と做(な)すこと勿れ。我が心を読むは、即ち天を読むなり。認めて人心と做すこと勿れ。〔『言志耋録』第3条〕

【意訳】
儒学の経典である経書を読むということは、自分の心の中を読むということである。心の外の物だと見なしてはいけない。自分の心を読むとは、天を読むのである。人の心だと見なしてはいけない。

【一日一斎物語的解釈】
古典を読む際には、その内容を自分の身に置き換えて、自分の心の中を読むという意識が重要である。それはすなわち、大自然の法則の中に生かされている自分の心をとらえるということなのだ。


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