昨日に続いて神坂課長は佐藤部長の部屋に居るようです。

「そういえば、『言志四録』の中に、朱子学を学ぶ人は、朱子の注釈本だけでなく、濂渓の書を学べ、と書いてあったのですが、その辺はどうなのでしょうか?」

濂渓の書籍で和訳されたものを見つけるのは大変だよ。そこまでいくと学者の領域だから、その言葉は学者向けだととらえていいと思うよ」

「なるほど、そうですか。タイトルだけみても難しそうですよね。『太極図説』ですから・・・」

「ははは。私も以前に読んでみたことがあるけど、とても歯が立たたなかったよ」

「部長でそうなら、私には絶対に無理ですね。(笑)」

「ただ、その言葉をあえて学びにしようとするなら、勉強するときはなるべく原典に当ると良い、という点が学びになるんじゃないかな?」

「原典ですか?」

「たとえばね。『至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなし』という言葉がある。これを吉田松陰の言葉だと思っている人が多いのだけど、実際は『孟子』にある言葉なんだ。だから、松陰の解説を読むことも大事だけれど、原典である『孟子』を読むことを忘れてはいけない、という様に理解してもいいかもね」

「なるほど。そういう意味だと、やはり儒学を学ぶなら『論語』ということになりますね」

「うん。特に四書と呼ばれる、『大学』『論語』『孟子』『中庸』をしっかり勉強すべきだということかな?」

「そういえば、ちゃんと『大学』を読んだことはないですね。次は『大学』を読んでみようかな」

「本当の原典は中国語で書かれたものだけど、さすがにそれを原書で読むのは大変だし、まずは和訳されたものをしっかり読むことだろうね」

「できれば、サイさんがやっているように、ひとつの章句ごとに何冊かの解説本を読むという読み方がよさそうですね」

「それができたら素晴らしいね」

「でも、そう考えてみると、学問に限った話ではないですね。何事も根本に立ち返るという意識が大事だとも理解できます」

「素晴らしい! 我々の商売の根本となると・・・」

「先義後利です!」

「うん、私もそう思うよ」

「利益を優先するより、お客様が何に困っているのか、どんな課題を持っているのかを把握して、その解決のお手伝いをするという意識ですね。これができれば、利益は後から自然についてくるはずです」

「さすがは営業課長さんだ! ところで神坂君」

「はい?」

「さっき言ってた濂渓の本を一冊持ってはいるんだけど、読んでみる?」

「いえ、遠慮しておきます!!」


ひとりごと

ある言葉の出展は〇〇という古典だよと聞くと、自分で調べることもなく、それを信用して引用してしまう。

古典を勉強していると、時々みかける、古典あるあるです。

やはり、一度自分で出典を当たってみるという姿勢を忘れてはいけません。

そして、これは古典に限ったことではなく、どんな分野でも大事な心掛けではないでしょうか?


【原文】
学は周子を以て鼻祖と為す。而るに世に宋学と称する者、徒らに四五の集註を講ずるのみ。余意(おも)う、「周子の図説・通書は宋学の宗(そう)なり」と。学者宜しく経書と一様に之を精究すべし。〔『言志耋録』第5条〕

【意訳】
宋代の儒学は周敦頥(濂渓)を始祖として始まっている。しかし世の中で宋学者と自称する者は、ただ四五冊の朱子が宋儒の注釈を集めた本を講義するだけである。私は「周濂渓の『太極図説』や『通書』は宋代儒学の源である」と思っている。学者は経書だけでなく、これらの書も研究すべきである

【一日一斎物語的解釈】
学問をする際は、原典を学ぶことが肝要である。


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