今日の神坂課長は、営業1課の新美課長と喫茶コーナーで談笑中のようです。

「そういえば先日、教育勅語の勉強会に出たんですよ」

「おいおい、大丈夫か? あれって戦争を煽る内容になっているって聞いたけど」

「そういう誤解をしている人が多いんですよ。私も、そのあたりを知りたくてオンラインの勉強会に参加してみたんです」

「で、結論は?」

「そうですね。やはり問題のある個所もあるのは事実だと思います。しかし、それはごく一部で教育勅語全体はとても良い内容であることがわかりました」

「問題の箇所っていうのは?」

「『一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし』という箇所がよく指摘されるところです。『国に緊急の事態があれば、自らの義に照らし、勇気をもって、国を助けるために行動する』と訳すのが客観的な解釈のようです。でも、これを『もし戦争があったならば、天皇のために命を懸けて戦って欲しい』と読む人たちが、勅語は危険思想だと言っているようです」

「それは間違いなのか?」

「間違いというか、時代背景が今とは違う時代に書かれたものですからね。当時はそういうニュアンスを含んでいたのだとは思います。ただ、皇運という言葉は、天皇の運命ではなく、皇国つまり日本の運命と訳すべきだとは思いますけどね」

「なるほどな。それで、結局は何が書かれているんだ?」

「教育の淵源は、日本人が古来からずっと育んできた忠と孝の精神を養うことにある、という点でしょうね」

「忠と孝が教育の根本ということか?」

「忠と聞くと、すぐに忠誠心という言葉を思い出して、楠木正成のように天皇のために命を懸けた人を思い浮かべてしまう人が多いようですが、本来の意味は違います」

「ああ、それはサイさんから教えてもらった。自分に嘘をつかない、とか自分のやるべきことに力を尽くすという意味らしいな」

「そうです。最初の頃の武士というのは、天皇のガードマンという役割だったので、自分のやるべきこと = 天皇の命を守ること、だったわけです」

「それがいつのまにか忠誠を誓うこと、みたいな意味になってしまったのか?」

「そうです。それに現代だって、上司に対しては、ある程度忠の心で接しないと会社はまわりませんよね?」

「あ、ああ。今はそう思う。若いころは上司に逆らってばかりいたから、偉そうなことは言えないが・・・」

「ははは。そうでしたね」

「おい、嘘でも否定してくれよ。(笑)」

「でも、忠の前に、孝があるようです。孝がすべての徳目の基本だ、というのが儒教の考え方らしいですね」

「うん。そしてそれは大きな意味では間違っていないと、俺は思う。親孝行な子供は、会社に入っても上司には逆らわない。と、サイさんは言っていた。ということは、俺は家でも親に逆らっていたのかなと自問自答した。その答えは、イエスだった。(笑)」

「ですから、教育勅語の内容自体は、全体的には素晴らしいものだと思います。しかし、あれをそのまま復活させる、というのは間違いだと講師が言っていました」

「そうだな。時代背景が全然違うのに、それをそのまま復活させるのはあり得ないな」

「はい。そして実は、平成18年に教育基本法が大きく改訂されているのですが、その第二条は大幅に文言が足されて、勅語の内容に近いものがかなり入っているんです」

「へぇ。じゃあ、それでよいじゃないか」

「はい。ただ、その存在がほとんど知られていないのが問題です。それと、そこには孝についての記載はないのも、やや物足りないかなと思いました」

「なるほどな。教育勅語もちゃんと読んでみたくなったけど、それ以上に教育基本法の第二条を読んでみよう。ネットで見れるよな?」

「もちろんです」

「早速、デスクに戻って見てみる。新美、サンキュー!」


ひとりごと

昨日に続き、一斎先生の言葉は、宋学についての記述なので、「淵源」という言葉だけを取り上げて、大幅に意訳して物語を作りました。

小生は先日、教育勅語を客観的に読んでみようというオンラインイベントを開催しました。

恥ずかしながら、その準備の段階で、平成18年に改訂された教育基本法第二条の存在をはじめて知りました。

とても良い条文だと思いました。

ぜひ、ご一読いただき、この存在をもっと知らしめていくべきだと感じた方は、知人にその話をしていただきたいと思います。


【原文】
余恆(つね)に周程の遺書を環読す。宋の周程有るは、思孟と相亜(つ)ぐ。今の学者は徒に朱子の訓註のみを読みて、淵源の自(よ)る所に懵(くら)し。可ならん乎。〔『言志耋録』第6条〕

【意訳】
私はいつも周濂渓や二程子(程明道・程伊川兄弟)の遺した書物を代わる代わる読み返している。宋代の周濂渓や二程子は、孔子の孫の子思やその直系の弟子である孟子からつながっている。今の学者はただ朱子の注釈書のみを読んで、宋学の本源についての理解が浅い。それではいけない

【所感】
物事の淵源はどこにあるのかを常に考え、そこから離れないことを心掛けねばならない。


教育勅語