今日の神坂課長は、Youtubeで人気の高い『孔田丘一の儒学講座』を観ているようです。

「朱熹という人は、儒者の中でも飛びぬけて優れた人材なのです。この男の右に出る者はおそらく居らんだろう」

「へぇー、やっぱり朱子って人は凄いんだ」

「彼が、さびれてすっかり人気のなくなった儒学を復活させたと言っても決して過言ではないでしょうな」

「儒学というのは元々実践の学問だけに、統一した哲学のようなものに欠けるという点があるのは致し方ないところでしてな。それはそれで良かったんだが、朱熹はそこに哲学を取り入れた。孔子の思想を徹底的に研究して、表に出ていなかった哲学を引っ張り上げたということでしょうな」

「まあ、しかし、かなり強引な解釈をしている点も多々あって、少々無理をしている感じもありますわな」

「だいたい、孔子を神様のように祭り上げてしまったのはいかん! 孔子の人間臭さこそが、『論語』の魅力のひとつでもあるのにね」

神「でたな、毒舌!」

「ロクに儒学を知りもしない連中が、孔子を堅苦しい親爺だと思っているのは、多分にこの朱子学のせいなのです。だから、やはり『論語』を素直に読む必要がある」

「朱熹の場合は、儒学復興という目的があった。そこをよく理解しておくべきですな」

神「どっちにしても、俺には朱子学はハードルが高すぎる。ちょっと本を読んでみたけど、さっぱりわからなかった」

「さて、その朱熹ですが、彼は儒学者・哲学者としてあまりにも有名なために、実は彼の文章や詩にも素晴らしい才が溢れていることは、あまり知られていない!」

「これは佐藤一斎あたりも頻りに言っていることなんだが、日本ではまったくそう思われていない。彼の哲学があまりにも広遠なために、彼の文章や詩を読もうと思う人が少ないのかも知れませんな」

「ところが、彼は詩の中では、彼もまた普通の人間であることをさらけ出している。こういうものを読めば、朱熹という人にも愛着が湧くのだがねぇ」

神「へぇ、それは意外。俺が『論語』を勉強する前にもっていた孔子のイメージは、実際に『論語』を読んでだいぶ変わったけど、もしかしたら、朱子という人も実はすごく人間臭い人なのかもなぁ」

「孔子は、『君子は器ならず』と言っています。本当に立派な人物というのは、一芸に秀でているだけではダメだということだ」

「そこで、ポカンと口をあけて、バカ面をぶらさげている君! 君は、決まった料理にしか使われない皿に成り下がっていないかね?」

神「びっくりした。俺のこと言ってるのかと思った。このジジイ、時々デカい声を出すから、心臓に悪いよなぁ」

「おそらく、君にも人に自慢できる一芸くらいはあるだろう。しかし、そこにとどまってはいかん! 常に新たなものに挑戦し続けなさい」

神「そして、たまに良いことを言う」

「わしがこうして儒学を人に講じるようになったのは、55歳を過ぎてからなんだよ。50歳のときに脱サラをして、5年間儒学を学び、そして人前で話をするようになった。それまでのわしは料理人だったのですぞ」

「人間、なんでも思い立ったらやってみなさい。わしは今日まで33年間も儒学を語り続けてきた。今や、わしの料理を知る人はいないが、そこらへんの一流料理店よりよっぽど旨いものを作れますぞ!」

神「自慢かよ」

「これは自慢話ではない! 人間いくつになってもやってやれないことはない、ということを言いたいのです。一芸といわず、二芸、三芸と君の専門領域を増やしていきなさい。それが人生に潤いを与えるんだ!」

「そろそろ、しゃべり疲れたからもう終わります。本来30分のコースですが、20分で終えることをお許しください。どうせ、無料なんだからええじゃろ?」

「では、また次回。暇があったら、このジジイの与太話にお付き合いくださいな」

神「この年でこれだけ毒舌のジジイに、チャンネル登録者が10万人もいるんだもんな。不思議な世の中だ。(笑)」


ひとりごと

物語にも書きましたが、孔子は「君子は器ならず」と言っています。

真に世の中に役に立つ人間は、一芸に秀でているだけではダメだ、ということでしょう。

とはいえ、一芸もないのはもっと問題です。

まずは、一芸を仕上げ、そこで満足せずに、次の芸を磨く。

そんな人生を歩んでみましょう!


【原文】
朱文公は固より古今絶類の大家たるに論勿(な)し。其の経註に於ける、漢唐以来絶えて一人の頡頏(きっこう)する者無し。翅(た)だ是れのみにあらず。北宋に文章を以て顕るる者、欧・蘇に及ぶ莫し。其の集各おの一百有余巻、古今比類に罕(まれ)なり。朱子は文を以て著称せられずと雖も、而も其の集亦一百有余巻、体製別に自ら一家を成し、能く其の言わんと欲する所を言いて余蘊(ようん)無し。真に是れ古今独歩と為す。詩も亦韋・柳と相亜(つ)ぐ。但だ経学を以て文詞を掩(おお)わる。人其の能文たるを省せざるのみ。〔『言志耋録』第7条〕

【意訳】
南宋の朱熹(朱子)は古今類まれな大家であることはいうまでもない。経書の註釈に於いては、漢唐から現在まで匹敵する人はいない。そればかりではない。北宋では名文家の欧陽修や蘇軾(東坡)に及ぶものはいない。彼らの文集は各々百巻以上もあり古今類まれな存在である。朱子は文章の点ではそれ程著名ではないが、その文集は百巻以上もあり、作風も自ら一家をなしており余すところがない。まさに古今独歩の観がある。さらに、朱子の詩についても、唐の韋応物(いおうぶつ)や柳宗元などにつぐものである。ただ朱子は経学が非常に優れている為、その文章や詩の良さが覆い隠されてしまっている。そうしたことから、世間の人々は朱子が能文であることに目を留めないのである

【一日一斎物語的解釈】
一芸に秀でた人間というのは、実は多方面で高い能力を発揮するものだ。


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