今日の神坂課長は、週末恒例の瞑想タイムを過ごすために、いつもの喫茶店にやってきたようです。

「この天だとか地だとかが出てくると、わけがわからなくなるんだよなぁ」
今日は『孟子』を持参しているようです。

「朱子が、天だとか地だとか言い出したのは、この『孟子』の言葉が根本にあるんだな」

神坂課長は、この日『大学』を読むつもりだったようですが、一斎先生の言葉に『孟子』が出て来たので、急遽『孟子』を読むことにしたようです。

「なになに、人間には考えなくても知ることができる力があって、それを良知という。それから、学ばなくても自然に正しく行動する力を良能というのか。どういうことだろう?」

メモ帳に「良知」と「良能」と書いて、考え込んでいます。

「たしかに俺は生まれたときに、誰かに教えられたわけでもないのに、両親を大切に思ったし、兄貴の言うことは素直に聞いたな。それが良知と良能ということなのか」

「ということは、人間というのは生まれながらに良いことをする力をもらって生まれてくることになる。これが性善説ということか」

注文したアイスコーヒーを一口飲んで、また考え始めたようです。

「ちょっとわかってきたぞ。現代は、核家族化が進んで、親が祖父母と一緒に暮らすことが少なくなってきたから、子供は親が祖父母に対して示す敬愛の情を目の当たりにすることが少ないんだな」

「それに今は一人っ子の家も多い。兄弟(姉妹)がいなければ、目上の人に対する態度も学べない。つまり、本来は家庭において自然に身につけておくべき、親孝行や兄弟の情愛みたいなものが、現代では薄くならざるを得ない」

「そのまま、学校に行くから、先生や先輩を尊敬できなかったり、友達とも真の友情をは育くみづらくなるんだな」

「そして、そのまま社会人になると、上司に逆らったり、先輩をバカにしたりしてしまうわけだ」

残りのアイスコーヒーを一気に飲み干して、帰り支度をはじめたようです。

「ウチのガキどもも俺を尊敬しているようには思えないし、兄弟仲が良いのはいいけど、序列があるかというと怪しい感じもするな。まるで友達みたいな感じだしな」

「しかし、世の中の仕組みが変わってしまったとなると、これからはどうやって良知・良能を育てていけばいいんだろう? 本当は、『論語』の素読とかが良いんだろうけど、それを学校で復活させるなんて夢物語だろうなぁ」

「ああ、そういえばこの前、読書会で知り合った杉田さんが、寺子屋をやっていると言ってたな。そういう地道な活動を広げていって、親を親しみ、目上の人を尊敬する気持ちを知ってもらうのが今は一番良いのかもしれないな。よし、杉田さんに連絡をとってみよう!」


ひとりごと

本章は、『孟子』に出てくる「良知」と「良能」についての一斎先生の考察です。

人間は生まれながらに良知と良能をもっている。

それを最初に発揮する場が家庭である、いや家庭だったわけです。

ところが核家族化や一人っ子の家庭が一般的となり、自然に良知・良能を育む機会が失われているのが現代なのかも知れません。

実は、小生が『論語』の話をしたのをきっかけに、九州のとある中学校の校長先生がこれから毎月『論語』の言葉を語っていくと言ってくれました。

また、関西には有志が集まって、寺子屋を開催し、子供たちに偉人の話をしている人もいます。

まだまだ、日本は捨てたものではありません。

こうした地道な活動を、できる範囲でやり続けていきましょう!!


【原文】
慮らずして知る者は天道なり。学ばずして能くする者は地道なり。天地を幷(あわ)せて此の人を成す。畢竟之を逃るる能わず。孟子に至りて始めて之を発す。七篇の要此(ここ)に在り。〔『言志耋録』第10条〕

【意訳】
『孟子』にある「慮らずして知る者」とは天道である。同様に『孟子』にある「学ばずして能くする者」とは地道である。天と地を合せて人間が形成される。結局のところ、ここから逃れることはできない。孟子の時代になってはじめてこの点が取り上げられた。『孟子』の七篇の要点はここにあるのだ

【一日一斎物語的解釈】
人間は、天から与えられた、考えずとも知る力である良知と、地から与えられた、学ばずとも行動できる良能とを持ち合わせて生まれてくる。つまり、人は天地の声に耳を傾けて生きるならば、道を踏み誤ることはないのだ。


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