今日の神坂課長は、県外移動が可能となったので、総務部の西村部長、営業部の佐藤部長と3人で奈良を訪れたようです。

(西)「生憎の雨ではあるけど、こうやって静かなお寺を訪れるのは、やっぱりいいね」

(佐「本当ですね。いつ以来ですかねぇ、こうしてこの3人で旅をするのは・・・」

(神「去年の秋以来じゃないですか? それにしても、まだ人は少ないですね」

(西)「インバウンドの人たちがいないからな。彼らは金を落としてくれるのは有難いけれど、マナーが酷い。個人的には、彼らが戻ってこなくても済むような観光ビジネスを作り上げて欲しいけどね」

(佐「日本の素晴らしい文化を世界に知らせるという意味では、諸外国の観光客に来てもらうのは良いことなんですけどね。なかなか難しい問題です」

(神「そうですよね。神社仏閣を巡り、仏像を鑑賞するなんていう高尚な趣味は、凡人には理解できないでしょうから」

(西)「神坂君、だいぶ上からの発言だね。(笑) そういう君は、私が初めてお寺巡りに誘ったときは、相当抵抗していた記憶があるけどな?」

(神「そ、そうでしたっけ? 私は、歴史のある建物や仏像を鑑賞することには、以前から興味がありましたよ」

(佐「そういえば、一斎先生はこう言っていたな。『高価な筆や硯を使うことや、自然の景色を鑑賞することを自分の楽しみにしている。それは高尚な楽しみにも思えるが、孔子や顔回の楽しみには及ばない』ってね」

(神「孔子や顔回の楽しみってどんなものですか?」

(佐「質素な食事をとり、肘を枕にして寝る。そんな生活の中にも楽しみを見つけることはできる、と孔子は言っている。極貧の生活をしていても、そこから逃げ出したいなどと考えず、ただ学ぶことを楽しんでいる顔回を孔子が心から褒めている言葉もある」

(西)「なるほどな。要するに、日常生活の中に真の楽しみを見つけることが、最高の生き方だということだな」

(佐「さすがは西村さんです」

(西)「高級時計を身につけたり、豪邸に暮らすことに対して、世間の人は憧れを持つけれど、そこには真の楽しみは無いのかもしれないね。それを持てば持ったで、失うことを畏れて、自由な思考や行動ができなくなることもあるだろうし」

(神「日常の暮らしの中の楽しみって、たとえばどんなことなのでしょう?」

(佐「一家団欒で食事をすることや、食事の後に静かに読書の時間を持てること、そんなありふれたことかも知れないよ?」

(神「ああ、たしかにそうですね! 最近は残業で遅くなった時ほど、本を読みたいと思うことがあります」

(西)「へぇー、あの活字嫌いの神坂君がねぇ? さとちゃんマジックは恐るべしだな」

(佐私は何もしてませんよ。神坂君が成長したんです」

(神「いえ、違います。こうして神社仏閣を巡る楽しさを教えてくれたのは西村さんですし、読書の楽しさを教えてくれたのは佐藤部長です。このご縁のお陰です」

(西)「では、さっそくご本尊をお参りして、我々が出会えたご縁に感謝を伝えようじゃないか!」


ひとりごと

ずっと長い間欲しいと思っていた物を手に入れた瞬間に、その物に対する熱意が冷めてしまうという経験はありませんか?

物を手に入れても、喜びは一瞬だということでしょう。

そんなことよりも健在である親との時間や、日々成長する子供たちと過ごす時間にこそ、真の楽しみがあるのではないでしょうか?

燈台下暗しであって、幸せはすぐ近くに転がっているのかも知れません。


【原文】
吾が輩、筆硯(ひっけん)の精良を以て、娯(たのしみ)と為し、山水の遊適を以て娯と為す。之を常人の楽しむ所に比すれば、高きこと一著なりと謂う可し。然れども之を孔・顔の楽しむ処に方(くら)ぶれば、翅(ただ)に数等を下るのみならず。吾人盍(なん)ぞ反省せざらんや。〔『言志耋録』第35条〕

【意訳】
私は良質の筆と硯を持つことを楽しみとし、山水の良い景色に遊んではそれを喜びとしている。これは一般の人達の楽しみと比べれば、なかなか高度な楽しみだと言えるかもしれない。しかし、孔子や顔回の楽しみに比べれば、数段劣ると言わざるを得ない。反省しないわけにはいかない


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