営業2課の善久君が商談を終えて帰ってきました。

「おお、善久。どうだった?」

「はい、ばっちり注文を頂きました!」

「そうか、ありがとう! ところで、どっちだった?」

「下位機種で決まりました」

「そうか、残念だったな。あれ? でもお前、全然残念そうじゃないな」

「はい。どちらになっても全力を尽くすと決めていましたから」

「そうだったな」

「それに、下位機種の話をして、金額差を考えるとそちらの方がおススメだと伝えたら、院長先生がすごく喜んでくれて、『その若さで、君のように正直で誠実な営業マンに初めて会った』と言われました」

「それは嬉しい言葉だな」

「はい。『きっと素晴らしい上司や先輩に恵まれているんだろうね』と言われました」

「で、なんと答えたんだよ?」

「『はい、尊敬できる上司がいます』と」

「ちゃんと言ってくれたのね? なんて可愛い部下なんだ!」

そばに居た他の営業2課のメンバーから失笑が漏れています。

「昨日、課長に自分で決めろと言われたのが、今はとてもありがたかったと思っています。もし、課長の指示で下位機種を推薦していたら、こんなに爽快な気分にはなれなかったと思います」

「うん、そうだよな。やっぱり人から指示されて動くより、自分で決めて動く方が結果はどうあれ、心は清々しいよな」

「はい、まるでお風呂上がりの爽快感のようです!」

「おお、そういえば一斎先生の言葉にそんなのがあったぞ。欲望の中にあるときは、熱湯風呂の中にいるようなもので、欲望を消し去ると風呂上りのような爽快感を味わえる。たしか、そんな内容だった」

「はい、まさにそういう気分です」

「お前のうれしそうな顔を見ていたら、俺まで風呂上りのような爽快感に満たされてきた。そして!」

「・・・」

「風呂上りと言えば、生ビールと相場は決まっている。これからお祝いに一杯やらないか?」

「ありがとうございます!」

「ちょっと待った!!」

「なんだよ、石崎。まるで『ねるとん』のワンシーンみたいだな。(笑)」

「私も昨日、エコー装置の商談を決めたんですけど・・・」

「ちっ、そうだったな。よし、若造二人。一緒に来い!!」

「よろこんで!!」


ひとりごと

欲望のある状態とない状態をお風呂に譬えた一斎先生のユーモアが楽しい章句です。

たしかに、一瞬私欲が浮かんだ後に、それを抑えて行動できたときは、清々しい気分を味わえるものです。

私欲に負けて行動すると、期待通りの結果が出てもなぜか心にわだかまりが残り、私欲に克って行動を慎むと、望む結果にならなくても爽快な気分になれるものです。

人間の心は本来善なのだということがこのことからもわかる気がします。


【原文】
人欲起る時、身の熱湯に在るが如く、欲念消ゆる時、浴後の醒快(せいかい)なるが如し。〔『言志耋録』第41条〕

【意訳】
欲望が起こるときというのは、自分の身体が熱湯の中にあるようであり、欲念が消えたときというのは、入浴後のさっぱりした気分のようである

【一日一斎物語的解釈】
欲を消し去ったときの爽快感は、まるで風呂上りの爽快感のようだ。


ofuro_goemon_man