今日の神坂課長は、出張ついでに久しぶりに実家に寄ったようです。

「いやー、久しぶりにゆっくり寝たなぁ」

「勇、おはよう。久しぶりの実家の居心地はどう? 朝ごはんも用意してあるわよ」

「おー、懐かしい。母さん特製のベーコンエッグか、昔はよく食べたなぁ」

「はい、ホットコーヒー。普段はインスタントなんだけど、あんたが来るというから本物のコーヒーを買ってきたよ」

「ははは。別にインスタントが偽物ってわけじゃないだろう。あれ、何を見てるの?」

「あんたの子供の頃の写真よ」

「マジで、なんでまた?」

「あんたの朝ごはんを作っていて、昔を思い出しちゃってね。思わず、アルバムを引っ張り出してみたの」

「ガキの頃の俺は頭がデカいな。3頭身くらいじゃないか。(笑)」

「あんたの頭のサイズは大きかったわよ。標準サイズの帽子が合わなかったからね」

「その割には中身は空っぽだけどな」

「この頃のあんたは、毎日のように喧嘩をして帰ってきたわね。いつも、身体が傷だらけだったわ」

「そうだっけ? あんまり覚えてないな」

「夜になって突然あんたが、『母さん、今から友達に謝りに行きたい』って言い出して、夜遅くに謝りに行ったことが何度かあったわね」

「へぇー、それも全然覚えてない」

「家に帰ってきて、ひとりで部屋にこもって喧嘩のことを反省したんだろうね。自分が悪かったと思ったら、その日のうちに謝らないと気が済まない子だったな」

「おお、俺も結構、純真だったんだな」

「喧嘩はするけど、自分が悪かったと思えば素直に謝ることができたから、私はあまり心配していなかったの」

「実は、会社に入ってからもよく同僚と喧嘩はしたんだよ。でも、その時はあまり謝れなかった気がする。いろんな我欲があって、自分を素直に見つめなおすことができなくなっていたんだな」

「あら、じゃあ最近はそうじゃなくなったの?」

「うん。上司やお客様から読書を薦められてさ。いろいろ本を読むうちに、くだらない争いごとは減ってきた気がするよ」

「どんな本なの?」

「『言志四録』とか『論語』とか」

「なに、あんたがそんな難しい本を読んでるの? 嘘でしょ、信じられないわ」

「そうだろうな。俺も時々信じられないもんな。(笑)」

「じゃあ、そういう本のお陰で幼いころの純真な真心を思い出したのかね?」

「そうかもしれない。やっぱり勉強は大事だよ、母さん」

「あんたからそんな言葉が聞けるとは思わなかった。もうお迎えが来ても心残りはないわ」

「おいおい、俺がちょっと素直になったくらいで死なれたら困るよ。俺はそこまで悪党でもないだろう?」

「それはそうね。ほら、熱いうちに食べなよ」


ひとりごと 

中江藤樹先生は、人は生まれた時にはみな良知(正しい心)をもって生まれてくるが、生きていくうちにその心に私欲や我欲といったケガレがついてしまうので、そのケガレを取り除く必要がある。

それが、致良知(良知を致す)だと言っています。

心のケガレは知らず知らずに積み重なっていきますので、定期的に心のメンテナンスが必要です。

心のメンテナンスに必要不可欠なものが、古典や東洋哲学なのではないでしょうか?


【原文】
人の童子たる時は、全然たる本心なり。稍長ずるに及んで、私心稍生じ、既に成立すれば、則ち更に世習を夾帯(きょうたい)して、而して本心殆ど亡ぶ。故に此の学を為す者は、当に能く斬然として此の世習を袪(さ)り以て本心に復すべし。是を要と為す。〔『言志耋録』第51条〕

【意訳】
人が幼児の頃には、完全な真心を有している。少し成長すると、私心が生まれ、成人となる頃には、世俗の習慣が混入して真心をほとんど失ってしまう。それゆえに儒学を学ぶ者は、まさにきっぱりとこの世俗の習慣を振り払って真心に帰るべきである。これが最も肝要である

【一日一斎物語的解釈】
人は齢を重ねるにつれ、純真な真心を失っていく。学問とは、生まれたての赤ん坊の心のような純真な真心を取り戻すためにある。


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