今日の神坂課長はお気に入りのYouTubeコンテンツ『孔田丘一の儒学講座』を観ているようです。

孔田「みなさん、こんにちは。コロナも一段落したかと思いきや、まだまだですな。東京じゃエライことになっている。わしは人里離れた山奥に住んでおるから関係ないですがね」

神坂「どこの山奥に住んでるんだろうな、この爺さん。一度、会いに行ってみたいな」

「みなさんは、『知行合一』という言葉を知っておるかな? よく『ちぎょうごういつ』などという馬鹿者がおるが、これは『ちこうごういつ』ですぞ」

「知ってるよ。相変わらず上から目線だよなぁ」

「これを『知って実行することが大事だ』などと理解しているなら、とんだ大間違いですぞ。この言葉はそんな甘いもんじゃないんだ!」

「え、違うの?」

「真の知行合一は、知った瞬間に即行動することを言うのです。例えば、強烈な異臭を嗅いだとき、人は瞬間的に鼻をつまみますな。これです」

「どういうこと?」

「そこで、口をポカンと開けているあんたのために、詳しく説明しますかな。つまり、頭で理解するだけでなく、瞬時に行動に移せるかどうかが重要だということ。『あれ、なんか臭うぞ。これは鼻をつままなければ』なんて考えてから鼻をつまむわけではないでしょう?」

「たしかに、そうだな」

「つまり、人はなぜ学ぶのかと言えば、行動するため。なぜ行動するかと言えば、学ぶためなんだ。この2つを別々に考えてはいけない!」

「よく、『行動してナンボだ』などという輩がおるが、甘いですな。『行動して、学んでナンボ』と考えないとダメなんだ」

「そうか、学びと実践は分けて考えてはいけないのか」

「煙草は身体に害があると知ったなら、もうその瞬間から禁煙ですよ。『明日から禁煙します』などという奴は、大抵やりはしないものだ。

「いるよな、そういう奴」

「まあ、わしは煙草はやめんがね」

「なんだよ、それ! じゃあ、なんで煙草を例に出したんだよ!!」

「とにかく、学びと実践は不可分なのです。そのことをよく頭に叩き込んでおきなさい。一刹那で行動できる人間こそが君子なのですぞ!」

「さて、そろそろ終わるとしますかな。ちょっと、一服やりたくなったのでね。では、また、お互いに生きていたらお会いしましょう!」

「だから、なんで煙草を例に出したんだっつうの!!」


ひとりごと 

知行合一については、間違って理解している人が多いようです。

知と行は不可分であって、知ったら即行動、行動したら即学ぶということが瞬時にできることを指すのです。

「知っているだけで、行動しなければ、それは本当の知ではない」というような理解では、まだまだ浅いのです。

真の知行合一は、はるかに厳しく、高いレベルの要求なのです!


【原文】
心に就きて知と曰う。知は即ち行の知なり。身に就きて行と曰う。は即ち知のなり。譬えば猶お人語を聞きて之を了するがごとし。諾は口に就き、頷(がん)は身に就くも、等しく是れ一了字なり。〔『言志耋録』第52条〕

【意訳】
心の動きを知と言う。知は即ち実行するための知である。 身体の動きは行と言う。行は知ったことを行うのである。例えば、人の言葉を聞いてこれを了承する事である。口では「承知した」と言い、身体では「頷いてみせる」が、どちらも了承したということである

【一日一斎物語的解釈】
知ることと行うことは一体である。心で了解することが「知」であり、身体で了解することが「行」であって、この二つは別のものではないのだ。


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