今日の神坂課長は、善久君に修理内容の説明に行く際のポイントを伝えているようです。
「故障の原因を後で特定することは難しい。あくまでも推定原因として伝えることが大事だぞ」
「はい、ありがとうございます」
「善久、なにか不満でもあるのか?」
「え? いや、別にないです」
「そんなことはないだろう。心の迷いが顔に出てるぞ。何か心配なことがあるんだろう?」
「そうですか、顔に出ていますか? それならお話します。実は、今回ご説明する河守先生は、すごく短気なんです」
「知ってるよ。(笑)」
「だから、今回の故障の推定原因を下手に伝えると、キレられるのではないかと心配なんです」
「『俺が壊したというのか!』ってやつな。それは想定しておかないとな。だから、あくまでも推定原因として伝えるんだ。内側より外側の方がガラス繊維の破損が大きいということは、外部からの損傷の可能性が高いわけだからな」
「どうしても修理代を値引きするのはダメですか?」
「そうだな。最初から値引きするのでは、メーカーさんの製品責任を認めてしまうことになるからな」
「とにかく、お前ももう河守先生を担当して2年経つんだから、自分なりに工夫してみろよ。最悪の場合は、俺がいつでも行ってやるから」
「はい・・・」
「善久、お前、そんなしみったれた顔で河守先生に会うなよ」
「え?」
「お前は心の中が全部表情に出るんだよ。そんな不安そうな顔で面会したら、あの先生のことだ。これは攻撃すれば値引きしてくれるかも知れないと思うだろう」
「顔に出ないようにするにはどうすれば良いのでしょうか?」
「人は誰でも、不安になれば、不安な顔になる。それだけじゃない、不安な気持ちは声にも乗るんだ。あとでやってみて欲しいんだけど、同じ原稿を普通に読んだ後、もう一度笑顔で読んで、その音を録音してみろよ。声が全然変わるから」
「そうなんですか?」
「俺もやってみて驚いたよ。それで話を戻すと、感情を表情に出さないように努力するというのは根本解決にならない。やっぱり、簡単に心が動揺しないように、心を鍛えるしかないんだ。それには経験も必要になる。河守先生に思い切り叱られるのも、お前にとっては必要なことなんだよ」
「課長もそういう先生がいますか?」
「たくさんいるよ。多田先生なんて、2回に一回は怒られるからな。それもかなりの毒舌でよ。(笑)」
「心を鍛えると、感情が顔に出なくなるのですか?」
「そうじゃなくて、心を鍛えると、物事に一喜一憂しなくなるんだよ。心に不安がなければ、不安な顔になるわけないだろう?」
「ああ、なるほど」
「心を鍛えるには、古典を読むのが一番なんだが、それはもっと後でもいい。若いお前のような世代は、まず経験だよ。自分で試行錯誤して、失敗して、また試行錯誤して、ということを繰り返すしかない」
「わかりました。やってみます」
「ほら、心に不安がなくなると、そういう明るい表情と明るい声になるんだよ。それが人間なんだよな」
ひとりごと
人はだれしも物事に一喜一憂しがちなものです。
しかし、その心の動きは必ず表情や言葉の音色に影響を与えます。
したがって表情をコントロールすることを考えるのではなく、心の平静を失わない鍛錬を心掛けねばなりません。
それには古典を読むといったインプットと、経験というアウトプットの両輪を回していく必要があります。
【原文】
喜・怒・哀・楽は直ちに面貌に見(あら)わる。形影は一套、声響は同時、之を心身合一と謂う。〔『言志耋録』第53条〕
【意訳】
喜怒哀楽の感情は、すぐに表情に表れるものである。形と影はひとつであり、声と響きとは同時に発せられるが、これを心身合一という。
【一日一斎物語的解釈】
感情が動けば、表情に表れる。表情を取り繕うのではなく、簡単には動じない心を養うべきである。