今日の神坂課長は、善久君と同行しているようです。
「神坂課長、すみませんでした。絶対注文をもらえると思っていたのですが・・・」
「ご挨拶した瞬間に、この先生は買わないなと感じたよ」
「え、本当ですか?」
「うん。表情や声のトーンが、イエスを出す人のものではなかったからな」
「どうしてそんなことがわかるのですか?」
「ひとつは経験値だろうな。俺もお前と同じように、絶対受注できると思っていたのに、失注したケースを山ほど経験してきたからなぁ」
「ああ、そうなんですか?」
「俺の若いころは、お前よりよっぽどイケイケだったからな。ドクターが『いいね』と言ったら買うものだと思っていた。(笑)」
「それは・・・」
「そういう経験を積むうちに、何て言うのかな、ただ目と耳だけでお客様と接していてはダメなことに気づいた」
「どういうことですか?」
「カッコ良く言うと、心の目と耳を活用すべきだということだろうなぁ」
「心の目と耳ですか?」
「さっき、表情と声のトーンから買わないと感じたと言っただろう。あれは心の目で顔を見て、心の耳で声のトーンを読み取ったんだよ」
「むずかしいですね」
「たしかにな。説明するのも難しいよ。かなり感覚的なものだからな。そうだ、観音様っているだろう? あれは音を観ると書くんだよな」
「はい、たしかにそうですね」
「音を観るって分かりにくくないか?」
「はい、音は聴くものですよね」
「そう、耳は音を聴くためにあるんだけど、心は音を観ることができるんだよ。逆に言えば、表情を聴くこともできる」
「難しいです!!」
「まあ、良いさ。こういう経験を積んでいくうちに、心の目と耳の使い方がわかってくるんだから。どんどん商談を経験して、成長してくれ」
ひとりごと
目と耳だけでは、感じ取れないものを感じることができるのが心です。
営業という仕事を長くやっていると、目の前のお客様が出す雰囲気からイエスを出すか出さないかがわかるときがあります。
おそらくは、目と耳から入った情報を、心の目と耳で分析しているのでしょう。
ただし、心の目と耳は一朝一夕には、活用できるようになりません。
やはり、経験と鍛錬が必要なのです。
【原文】
視るに目を以てすれば則ち暗く、視るに心を以てすれば則ち明なり。聴くに耳を以てすれば則ち惑い、聴くに心を以てすれば則ち聡なり。言動も亦同一の理なり。〔『言志耋録』第71条〕
【意訳】
ものを見るときに目だけでみようとすれば、ものの真相はつかめないが、心をもって観れば、真相をつかむことができる。耳だけで聞こうとすれば、かえって迷うが、心をもって聴けば、聡ることができる。言動もこれと同じ道理である。
【一日一斎物語的解釈】
物事を把握する際は、目と耳だけでなく、心の目と耳も活用すれば、より深く悟ることができる。