今日の神坂課長は、元同僚の西郷さんと食事しているようです。

「サイさん、読書会はしばらくオンライン開催ですか?」

「うん、8月からはリアルに戻そうかと思ったんだけど、今の状況を見ると難しいかなぁ」

「そうですね。まあ、私の場合は終了後の懇親会が一番の楽しみなんですけどね。(笑)」

「それはそれで良いと思うよ。私も皆さんと一緒に一杯やりたいもんね!」

「飲食店も大変ですね。こうやって、仲間内であっても、アクリル板で仕切って飲食をするようにお客さんにお願いしなきゃならないなんてねぇ」

「そのうち、営業もアクリル板を隔てての商談が主流になるかもよ?」

「それじゃますます相手の本心が見えなくなりますね」

「そういう時代になるならなおさら、自分の心の曇りを磨いて、鏡のように研ぎ澄ませて置かないとね」

「自分の心がピカピカの鏡のようになっていれば、相手の心も視通せるということですか?」

「儒学者は、そう考えているよね。自分の心が曇る最大の要因は、私利私欲だ。そういうものを心から極力追い出しておけば、相手の言葉や表情から真意を汲み取ることは可能だ、という見方だね」

「たしかに若い頃は、どうしても売りたいという気持ちが強すぎて、相手の気持ちを読めずにごり押しをして、よく断られました。『二度と来るな』と言われたこともあったなぁ」

「お前の会社は、押し売りの営業マンを育てているのか!って怒られたこともあったね」

「その節はご迷惑をおかけしました。(笑)」

「『論語』で最も大切な徳目は、仁だとされているよね。あの仁というのは、今の私の定義では、『無償の愛』ということになる。親は子供のためなら、自分のことを顧みずになんでもするものだよね。あれが無償の愛、つまり仁だと思うんだ」

「なるほど。よくありがちな『思いやり』という定義よりは、よっぽど深くて腹に落ちますね」

「それを、血のつながった身内だけでなく、他人にも施せるか。それが孔子塾の大きな実践項目だったんだろうね」

「お客様に対しても、無償の愛で課題解決を図ることを心がけるべきなんですね?」

「とても難しいことだけどね。それをするには、自分の心から私利私欲を取り払わないといけないだろうね」

「なるほど。営業スタイルが、アクリル板経由になろうと、オンラインになろうと、仁の心で無償の愛をもって接することができれば、結果は出るんでしょうね。いや、勉強になりました!」


ひとりごと 

自分の目で見ている世界は、すべて自分というフィルターを通してみている主観の世界なのだと言われます。

当然そこには、自分の私利私欲が紛れています。

少しでもそうしたものを払って、なるべくクリアな心を維持できれば、相手の心の中もある程度は見通せるのかも知れません。

しかしそのためには、仁の心=無償の愛で接するという、とても難易度の高い言動が必要となります。

そのために、日々の修養が必要となるわけです。


【原文】
能く疑似を弁ずるを聡明と為す。事物の疑似は猶お弁ず可し。得失の疑似は弁じ難し。得失の疑似は猶お弁ず可し。心術の疑似は尤も弁じ難し。唯だ能く自ら霊光を提して以て之を反照すれば、則ち外物も亦其の形を逃るる所無く、明明白白、自他一様なり。是れ之を真の聡明と謂う。〔『言志耋録』第73条〕

【意訳】
紛らわしくて判別しづらいものを弁別することを聡明という。事物の紛らわしいものは弁別することが可能である。当を得ているか否かを弁別することは難しい。それでも当を得ているか否かはなんとか弁別可能であるが、心のはたらきの是非を弁別することは究めて難しい。ただ自身の霊妙な心の光で照らしてみれば、外から入ってくる名利の念や欲望などは、その本性を現わさざるを得ず、すべて明白に、自分と他者とを一致させることができる。これを本当の聡明というのだ。

【一日一斎物語的解釈】
自分にとっての損得を見分けることは、物事の是非を見分けることよりも難しく、人の心を見分けることは更に難しい。しかし、修養によって、生まれながらに授かった真の心のはたらきを取り戻したならば、他者の心を正しく観ることも不可能なことではない


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