神坂課長が大累課長と雑談中のようです。

「ようやく梅雨明けらしいですね。もう8月ですよ。異常気象もここまで来たかって感じですね」

「本当だな。むしろ、『えっまだ梅雨は明けてなかったの?と思っちゃったけどな」

「梅の頃の雨っていう意味で、梅雨って書くんですよね? 漢字の変更が必要じゃないのかな?」

「ははは。たしかに!」

「そして南の海上には台風が発生しているらしいですよ。むかしは台風って9月以降のイメージでしたよね? どうなってるんだろうなぁ」

「日本の文化を育んできた四季が崩れていく気がして残念だよな」

「お陰で最近は、水不足という言葉を聞かなくはなりましたけどね」

「そうだなぁ。でもな、一斎先生はそうやって暦と天候がズレるとちょっとでも文句を言う癖に、人は自分の言動と行動が一致していないことには気づかない。そっちの方が問題じゃないのか、と言ってるんだよ」

「ゲッ、それは痛いところを突かれた感じですね」

「だろ? あの言葉を読んでからは、大声で文句を言いにくくなった。(笑)」

「そういえば、昔は朝、会社に来ると、神坂さんが大概何かに文句をつけて吠えてましたよね」

「そういう恥ずかしいことは早く忘れてくれない?」

「そう簡単に忘れられませんよ。あれが嫌で直行してた奴もいましたからね!」

「マジで?! 誰よ?」

「それはそいつの名誉のために、内緒にしておきます」

「新美だろ?」

「ブッ」

大累課長が口に入れたコーヒーを噴き出したようです。

「汚ねぇなぁ。でも、そうやって慌ててるところみると、やっぱり新美だな。なんだよ、直接文句を言えばいいのによ」

「あの場面で文句を言ったら、怒りの矛先が自分に向くのは目に見えてますからね。そんな危険を冒すバカはいませんよ」

「若気の至りとはいえ、恥ずかしいなぁ」

「そう考えると、神坂さんも変わりましたね。神坂さんの場合、一日の間に四季がありましたからね」

「どういう意味だよ?」

「笑う→怒る→凹む→悲しむ、という感情の四季をぐるぐる巡ってましたよ」

「そうか、でもその感情の四季ってのは、なくなった方が良い訳だな?」

「そうなんですけど、ちょっと寂しさも感じたりしますね。(笑)」

「そうなのか? じゃあ、昔の俺に戻るか?」

「あっ、余計なこと言っちゃった。また、新美に怒られる。『神坂さんを煽らないでくれ!』って」


ひとりごと 

自分の言動と行動の不一致を棚に上げて、周囲に文句を言っていないか?という一斎先生のご指摘は強烈ですね。

仰るとおりです、と頭を垂れるしかありません。

まずは、修己、その後に治人というのが、儒学の基本的なスタンスです。

己をしっかりと省みる必要がありますね。


【原文】
寒暑の節候、稍暦本と差錯(ささく)すれば、人其の不順を訴う。我れの言行、毎(つね)に差錯有るも、自ら咎むるを知らず。何ぞ其れ思わざるの甚だしき。〔『言志耋録』第74条〕

【意訳】
寒暑の時節時候が暦と少し違うだけで人は天候の不順さを訴える。一方、私の言行にはいつもズレがあるが、それを自ら咎めることをしていない。なんとはなはだしく考えの足りないことではないか

【一日一斎物語的解釈】
周囲の環境に文句を言う前に、自分の言動と行動が一致しているかを反省せよ。


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