今日のことば
【原文】
「感応は一理なり」。応又感に感じ、感又応に応ず。一なる所以なり。〔『言志耋録』第118条〕
【意訳】
朱熹が編纂した『近思録』に「程子曰く、感ずれば則ち必ず応有り。応ずる所また感をなす。感ずる所また応有り。已まざる所以なり」とある。感は文字通り感じることで、応は感じて作用することであるから、この二つは一体であって一つの理で貫かれている。
【一日一斎物語的解釈】
感じることと応じる(反応する)ことは一体である。感じて自然に動いた結果が道から外れない生き方をせよ。
今日のストーリー
今日の神坂課長は、石崎君と同行しているようです。
「これからお会いする松永消化器クリニックの院長先生は、ほとんど反応がない人なんです。何を言っても『うん』とか『そうだね』しか言わないんですよ」
「ははは、居るよなそういう先生。俺も苦手なタイプだな」
「買う気があるのかないのかもよくわからないんです」
「しかし、考え方を変えてみれば、反応がないということは、何も感じていないということかも知れないぞ」
「どういうことですか?」
「人間、感じれば必ず反応するものだからな。巨乳の女の子が谷間を見せて歩いていたら、思わず勃起するだろ? あれが自然なんだよ」
「いきなり下ネタですか?」
「お前みたいな下品な奴にはこういうネタが一番わかりやすいだろう。相手に応じて話を変えてやってるんだ」
「一緒にしないでくださいよ! 僕は、胸は小さい子の方が好きです」
「マジか!?」
「何の話をしているんですか!!」
「あ、そうだった。ゴメンゴメン。要するに松永院長の心に響く話ができてないから反応がないんじゃないかってことだよ」
「まあ、それはそうかも知れません。何を話せば心の琴線に触れるのかが、まったく見えてこない人ですから」
「趣味はなんだ?」
「わかりません」
「一度、同じN大の先生に聞いてみてやるよ」
「お願いします。今日は、内視鏡の最終見積りを提出するんです」
「デモの評価は?」
「『いいね』のひと言でした・・・」
「ははは。これは手強そうだな。でも、楽しみになってきた。俺もかつて全然しゃべらないドクターを担当したことがある。二人で狭い部屋で若い先生の内視鏡検査の動画を見ながら、30分以上無言だったこともあった」
「それは地獄ですね」
「最初は辛かったな。沈黙が怖くて、何かを話すんだけど、反応はすべて『うん』だったからな」
「松永先生とそっくりです。(笑)」
「でも、腹を括ってひたすら沈黙の中で時間を過ごしたら、それが先生の心に響いたのか、それからは俺が来るのを楽しみにしてくれるようになった。なにも話さないのにだぞ」
「へぇー」
「松永先生が同じタイプかはわからないが、とにかくいろいろと試してみよう。ワクワクしてきたな!」
「私は苦痛でしかないですよ。やっぱり課長は変態ですね!」
ひとりごと
この一斎先生の言葉を広く解釈するなら、人は感じれば必ず反応(行動)する、ということでしょう。
この言葉を踏まえるなら、相手が行動しない時には、自分の伝え方に問題がないかを確認する必要があるということでしょう。
反応しない相手が悪いのではなく、反応させられない自分に矢印を向けることが重要だということでしょう。