今日のことば

【原文】
少壮の書生と語る時、荐(しきり)に警戒を加うれば則ち聴く者厭う。但だ平常の話中に就きて、偶(たまたま)警戒を寓すれば、則ち彼に於いて益有り。我れも亦煩瀆(はんとく)に至らず。〔『言志耋録』第159条〕

意訳
若くて意気盛んな学生と語り合うときは、あまりしつこく警告や戒めの言葉を与えれば、聴く者は嫌がるものである。通常の会話の中に、さりげなく訓戒の言葉を差し挟めば、彼らにとっても有益であろう。話をする自分にとってもその方がわずらわしさがなくてよいのだ

一日一斎物語的解釈
若者に説教などの指摘をする際は、さりげない会話の中に戒めを含めて話すとよい。その方が聴く者にも、話す者にも有益であろう。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、元同僚の西郷さんと食事をしているようです。

「いやぁ、若い奴に説教するのって難しいですよね。さあ、今から説教をするぞ、という段になると露骨に嫌な態度を取りますからね」

「若い頃の神坂君もそうだったじゃない?」

「げっ、そうでしたっけ?」

「昔、西村さんが神坂君に説教をしたとき、神坂君はおもむろに鞄から競馬新聞を取り出して読み始めたことがあったよね。西村さんはその競馬新聞を取り上げて、カンカンになって怒っていたっけなぁ」

「そ、そんなことありましったけ? あ、でもあったかも・・・」

「ははは。凄い若者が入って来たなと思ったよ」

「サイさんは若い人に説教をしなければいけない時は、どんなことを心がけていましたか?」

「さあ、今から説教をしますよ、という雰囲気を作らないようにしていたかなぁ」

「え、どうやって?」

「たとえば、指摘したいことがあったら、本人の過失として話すのではなく、以前にこんな人がいたんだよ、と他人の話をするとかね」

「なるほど」

「自分のことでなくても、自分と同じことをしている人の話というのは気になるよね。それで、自分に照らして反省してくれればいいなと思って、話をしていたね」

「さすがですね。私の場合はストレートに、『お前のダメなところはココだ!』とやってしまいます。それこそそれがダメなんですね」

「まあ、そういう言い方だと耳をふさがれてしまう可能性は高いよね」

「なるほどなぁ」

「種明かしをすると、これは孔子のやり方なんだ」

「え、孔子のですか?」

「うん。孔子は弟子を戒めるときは、『我々が目指す君子と呼ばれるような人は、つねに〇〇をしている』といった話をする。実は、その〇〇こそが、話をしている当人ができていないことなんだけどね」

「おお、マイナス面を語るのではなく、プラス面を語るわけか」

「そう。こうすると、君子を目指す弟子としては、それを改善せざるを得ないでしょ?」

「いやぁ、良いことを聞かせてもらいました。私も明日からさっそくそういう話し方をしてみますよ」

「神坂君の素晴らしい所は、過ちを即改善するところだよね。『過ちて改めざるこれを過ちという』と孔子も言っている」

「そういえば、かつてサイさんは、いつもそんな風に私を褒めてくれていましたね。私はサイさんの掌の上で転がされていたんだなぁ」


ひとりごと

小生が『論語』に出会ったのは、部下指導で挫折し、新たなマネジメントスタイルを探していたときでした。

この物語でも書いたように、孔子の弟子に対する指導方法に感動し、自らも実践することを心がけました。

それまでの私は、それこそ「さあ、説教をするぞ」という姿勢で、滔々とお説教を垂れていました。

それでは、叱責も耳には入りませんね。

ちなみに、上司に叱責された時に競馬新聞を取り出したのも、誰あろう、若き日の小生でした・・・。


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