今日のことば
【原文】
忠の字は宜しく己に責むべし。諸を人に責むること勿れ。恕の字は宜しく人に施すべし。諸を己に施すこと勿れ。〔『言志耋録』第187条〕
【意訳】
「忠」という文字は、己の誠を尽くすという意味で、これは自分を振り返るための言葉であり、他人に強要する言葉ではない。「恕」という文字は、己の心のごとく他人に接するという意味で、これは人に施すべきで、自分に対することをいう言葉ではない。
【一日一斎物語的解釈】
忠とは、自分が今為すべきことをやり遂げることであり、恕とは、自分に対するかのように他人に接することを言う。
今日のストーリー
今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋に居るようです。
「昨日、本を読んでいて驚いたのですが、『忠』という言葉の意味は、自分のやるべきことをやり遂げることなんですね」
「元々の意味はそういうことなんだよ。我々は忠犬ハチ公のイメージがあるのか、『忠』というと主人のいうことに素直に従うことだと思っている人が多いよね」
「まさに私がそうでした!」
「たとえば、武士は主君のために命を懸ける。それは武士の使命が、天皇を護衛することにあるからなんだ。だから、命を懸けて守ることが、彼らのやるべきことだったんだ」
「それを忠誠心と言ったのですね?」
「うん」
「ということは、我々営業マンは、お客様のお役に立つことが忠だと言えますね?」
「そういう解釈で正しいと思うよ」
「『恕』というのは、思いやりというような意味だと弱いんですか?」
「一般的にはそういう解釈でいいと思うけど、本来の意味は、自分と他人を分けて考えないということなんだ。自分の心のように他人の心に接する、というような意味だね」
「相手が他人だと思うのと、自分自身だと思うのでは、対応も変わってくるでしょうねぇ。でも、それはなかなか難しいですよね」
「そうだね」
「まず、カミさんですよ。子どもを愛するようには、愛せないですからね」
「だからこそ、まずは夫婦の関係を通して、恕を学べるんじゃないの?」
「あ、そうかもしれません。(笑)」
「森信三先生は、とても厳しいことを言っているよ。『他人の気持ちがわからないというのは、その人のおめでたさを語る何よりの証拠だ』とね」
「どういうことですか?」
「本当に偉い人というのは、現在自分が感じている苦しみは自分ひとりのものではなくて、世の中の多くの人も同じように経験しているということを深く知っているものだと言っている。つまり、人の心の痛みを自分の心の痛みに置き換えることができるんだろうね」
「それが『恕』ということですね」
「うん」
「深いですねぇ。『忠』も『恕』も簡単に使える言葉ではなさそうですね」
「だからこそ曽子は、『孔子の一生を貫く道は忠恕のみだ』と言ったんだろうね」
「孔子が一生をかけて貫こうとしたものですから、当然深い訳ですね。私は、お客様に対する忠も、メンバーに対する恕もまだまだ中途半端なことがよくわかりました!」
「奥様に対する恕もね!!」
ひとりごと
皆さんは、忠と恕の本当の(本来の)意味をご存知でしたでしょうか?
小生は、『論語』を学ぶ過程でこれを知り、大変驚きました。
それぞれに本当に深い意味を有した言葉だったのです。
だからこそ、孔子は「一もってこれを貫く」といい、曽子はその「一」とは「忠恕」だと看破したのでしょう。

