今日のことば

【原文】
我れ自ら面貌の好醜を知らず。必ず鏡に対して而る後に之を知る。人の我れを毀誉するは、即ち是れ鏡中の影子(えいし)なり。我れに於いて益有り。但だ老境に至り、毀誉に心無ければ、則ち鏡中も亦影子も認めざるのみ。〔『言志耋録』第219条〕

【意訳】
私には自分自身の顔の良し悪しはわからない。鏡に映った自分をみてはじめて知るのである。他人が私のことを褒めたり非難したりするのは、鏡に映った自分の影のようなものである。自分に矢印を向ければ有益なものとなる。ただし、老境に入ると、他人の毀誉褒貶に心を動かされなくなるので、鏡の中に自分の影を見つけることもなくなるものだ

【一日一斎物語的解釈】
他人から自分への毀誉褒貶は、鏡に映った自分の影のようなものであり、自分の成長のために活用すれば利益がある。しかし、年齢とともに、そうした他人の評価が気にならなくなる生き方を心がけよ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、年末のご挨拶でN鉄道病院名誉院長の長谷川先生を訪れたようです。

「先生、今年も大変お世話になりました。後半はあまり顔を出せておらず、申し訳ありません」

「いまはCOVIDがあるから、仕方ないよ」

「はい、実は年末のご挨拶もどうしようかと思ったのですが、やはりご無礼はできないと思い、こうして参上しました」

「一応、私もちょっと配慮して、今日はこの部屋を押さえておいたんだ。ここなら密にならないでしょう」

「はい、定員30名の部屋に2人だけですからね。(笑)」

「そういえば先日、変な手紙が届いてね」

「手紙ですか?」

「あなたはいつまで学会で出しゃばるのか?といった内容で、かなり辛辣な内容が便せん3枚に渡って書かれていたんだ。(笑)」

「先生、それ笑いごとではないですよ。そんな無礼な人がいるんですね。誰だろう?」

「犯人捜しをする気もないし、誰であっても関係ないよ」

「なんだか、私の怒りが収まりません!」

「ははは。私に対する手紙だよ」

「わかっていますが、長谷川先生にそんな失礼なことをいう人間は、懲らしめてやりたいです!」

「若い頃の私なら、神坂君のように、売られた喧嘩は必ず買うといった感じで、反論しただろうけどね」

「今はそういう心境ではないですか?」

「そうだね。50歳を過ぎたあたりからは、自分への誹謗中傷を冷静に捉えて、自分に非があると思ったことは修正するようになったなぁ」

「いやぁ、私にはそれはまだできないかなぁ・・・」

「ははは。今はさらに心境が変化していてね。そういう手紙を読んでも何も感じなくなった。老化現象かもね?」

「そんなことはないです。さらに悟りの境地になられたということではないですか?」

「悟りというと大げさだけど、それに近い心境なのかもね」

「その人はドクターなのでしょうか?」

「さぁ? 誰であろうと関係ないよ。だいたい反論のしようがないもの」

「なぜですか?」

「住所も名前も書かれていない怪文書だからね。(笑)」

「あぁ、そうですね!(笑)」


ひとりごと

小生も売られた喧嘩は買ってしまうタイプですので、なかなかこうした心境にはなれないものです。

しかし、50歳を越え、こうして古典を数年学んできたお陰なのか、自分から災いを呼ぶような行為は影を潜めたかと感じます。

そのために、誹謗中傷を受けることもほとんどなくなりました。

やはり、誹謗中傷の原因は自分にあったということでしょうね。


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