今日のことば
【原文】
凡そ古器物・古書画・古兵器、皆伝えて今に存す。人は則ち世に百歳の人無し。撰著以て諸(これ)を後に遺すに如(し)くは莫し。此れ則ち死して死せざるなり。〔『言志耋録』第229条〕
【意訳】
古い道具、古い書画、古い兵器などは、皆今に伝わっている。人間は百歳まで生きることはできない。そこで書物を書いたり編纂したりして後世に残すよりほかはない。これがすなわち肉体は死すとも精神は死なずということである。
【一日一斎物語的解釈】
自分の生きた証をなんらかの形で残すことで、自分の肉体が朽ちた後も精神を残すことができるのだ。
今日のストーリー
今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋に居るようです。
「今年は年始の挨拶も必要最小限にとどめているので、なんだかゆったりとしたスタートですね」
「たしかにそうだねぇ。たまにはこういう年始も良いかもね。ただ、COVID-19の猛威は止まる所を知らない感じだね」
「いよいよ関東は緊急事態宣言が発出されそうですね」
「重症者も増えてきたからね」
「あれ、部長の机の上にある古いノートは何ですか?」
「あぁ、これは私の祖父の日記のようなものだよ」
「お爺様ですか。どんな方だったのですか?」
「実は高校の教師だったんだ」
「え、学校の先生ですか?」
「そうなんだよ。私が古典に興味を持ったのも祖父の影響かも知れないなぁ」
「国語の先生だったのですか?」
「いや、物理の教師だったんだけど、古典も好きで、たしか『老子』を愛読書にしていたと思う」
「そうなんですね。それで、そのノートはなぜそこに?」
「実は昨年の初めに永平寺で道元直筆の書を見た時に、自分の考えを文字にして残すことは大事なことだなと思ったんだ」
「はぁ・・・」
「それでその後、実家の父に電話をして、亡くなった祖父の直筆のものはないか探してもらったら、これが見つかったんだ」
「あぁ、そういうことですか」
「一斎先生も書物を書いたり編纂して後世に残すことで、肉体は死んでも精神は死なないと言っている。ただ、一般人は誰でも本を書けるわけではないからね。それでも直筆のものがあるだけで、その人の魂がそこに存在し続けるという気はするよね」
「たしかにそうですね。私も何かを書き残しておこうかな?」
「うん、良いね。私も、このノートを見つけて以降は、日記をつけることにしたんだ。これがここにあるのは、私にとってのお守りみたいな意味合いだね」
「そうなると、両親の直筆も入手しておきたいですね」
「そうなんだよね。母は時々手紙をくれるけど、父親は手紙なんて書かないからねぇ」
「日記はつけてないんですか?」
「生きている親父に日記を書いているかとは聞けないよ。恥ずかしいじゃない」
「たしかに、私も聞けないですね。(笑)」
「母親にそっと電話をして、父が書いたものがあったらとっておいてくれとお願いはしてある。ただ、それから1年以上経つけど、いまだに連絡はないけどね。(笑)」
「私も両親の直筆を手に入れたいなぁ。母に頼んでみます」
「それが良いよ!」
ひとりごと
現代は、日記だけでなく、SNSなどにも自分の考え方や意見を書くことができます。
それを自分の死後に子供たちに見てもらうことも可能でしょう。
小生の場合、このブログなども自身の考えを書き留めていますので、精神が籠っているものと言えるかも知れません。
しかし、見られては困るようなものもあるのは事実でして、その処分も考えておかねばなりませんね。(笑)