今日のことば
【原文】
数有るの数は迹(せき)なり。数無きの数は理なり。邵子(しょうし)は則ち数有るの数を以て、数無きの数を説く。皇極経世、恐らくは未だ拘泥を免れざらん。〔『言志耋録』第232条〕
【意訳】
形としてとらえられるものは事象という。形として知覚できないものは理と呼ぶ。宋の邵康節 (しょうこうせつ)は、事象をもって性理を説明しようとした。このため彼の著作である『皇極経世書』は、字句に拘り過ぎている感がある。
【一日一斎物語的解釈】
目には見えないものを、無理に説明しようとしても無駄なことだ。心で感じるしかないのだ。
今日のストーリー
今日の神坂課長は、次男の楽(がく)君と買い物に来たようです。
「爺ちゃんと婆ちゃんからもらったお年玉で、またゲームを買うのか?」
「うん、一番新しいウイイレを買う」
「ウイイレ? 楽器みたいな名前だな」
「ウイニング・イレブン、サッカーのゲームだよ」
「あぁ、なるほどな」
お目当てのゲームを手に入れたあと、フードコートでラーメンを食べているようです。
「ねぇ、父さん。神様って本当にいるの?」
「そりゃ、いるさ。サッカー場やテニスコートにも場の神様がいるから、みんな一礼するんじゃないか」
「ふーん。でも、誰も観たことないでしょ?」
「神様は目に見えるものではないからな」
「じゃあ、いるかどうかわからないじゃん」
「いるかいないかを考えるのではなくて、いると信じるものなんだよ」
「よくわからないなぁ」
「なぁ、楽。目に見えるものだけが世の中のすべてじゃないんだ。お前はテニスの試合に負けた時、運が悪かったと思うこともあるだろう?」
「自分のせいだとは思うけど、運が悪いなと思うときはあるよ」
「じゃあ、その運って目に見えるか?」
「見えるわけないじゃん」
「そうだろう。でも、みんな運というのがあると信じているじゃないか」
「あー、そうか」
「目に見えないものを無理に見ようとしても意味がないんだよ。ただ、心で感じればいい。神様も、運も心で感じるものだ」
「なんとなく、分かった気がする」
「なんとなくで良いんだよ。(笑)」
「よし、帰ったら、兄ちゃんとウイイレで試合をするんだ。運ではなくて実力で兄ちゃんをやっつけてやる!」
「おいおい、ゲームでそこまで気合いを入れるなよ。父さんはテニスの試合で頑張ってほしいなぁ・・・」
ひとりごと
今の時代は特に目に見えないものは真実でないと考える風潮があるようです。
しかし、いわゆる形而上的なものを無理に説明しようとしてもできるものではありません。
哲学が一般の人に理解しがたいのは、哲学がまさにそれをやろうとする学問だからです。
心で感じることを大切にしましょう。
ブルース・リーの言葉「考えるな、感じろ」とは、蓋し名言です。

