今日のことば

【原文】
西洋の窮理は形而下の数理なり。周易の窮理は形而上の道理なり。道理は譬えば則ち根株(こんしゅ)なり。数理は譬えば則ち枝葉なり。枝葉は根株より生ず。能く其の根株を得れば、則ち枝葉之に従う。窮理者は宜しく易理よりして入るべきなり。〔『言志耋録』第234条〕

【意訳】
西洋の自然哲学は、有形の現象における法則を研究するものであり、『易経』における窮理は、無形の思慮の道理を学ぶものといえる。『易経』の道理は、たとえば根や株のようなものである。一方西洋の科学は、枝や葉のようなものである。枝葉は根株があって生ずるものである。従って、よくその根株を修得すれば、自然に枝葉の部分は修得できるはずである。物の道理を究明しようとする者は、まず『易』の理法を学ぶのが良い

【一日一斎物語的解釈】
現象だけを見るのではなく、物事の根底に流れる道理を理解しなければならない。物事の道理を学ぶための最良のテキストは『易経』である。


今日のストーリー

「おはよう、神坂君。お、『易経』を読んでいるの?」

「そうなんです。前から積読になっていた本を読むことにしたんです。興味深い内容なんですけど、やはり難解ですよね」

「一斎先生は、易を学べば、物事の道理に精通できると言っている。易は物事が移り変わる法則を書いた本だと言われるからね」

「竹村亞希子先生の龍の話はわかりやすいんですけどねぇ。この本は『易経』全文の解説書なので、ところどころ理解できない箇所があります」

「孔子は五十までに易を学んでおけば、大きな過ちを避けることができると言っているよね。ちょうどよい年齢で読み始めたのかもよ」

「じゃあ、すぐにわからなくてもよいってことですね」

「そう。とにかく、まずは最後まで読んでみるだけで良いんじゃないかな」

「はい、わからないところがあってもグイグイ読み進めてみます」

「一斎先生によると、易というのは植物の根や株のようなもので、西洋の思想はいわば枝葉のようなものだと言っている。一概にそうだとは言い切れないけど、やはり易を学んでおくと、今目の前にある現象がいつまでも続くものではない、ということが理解できるようになる」

「それは凄いですね。良いことがあれば、これがいつまでも続くと思わずに気を引き締め、悪いことがあれば、雨もいつかは上がるって考えるわけですか?」

「それが自然とできるようになるんじゃないかな」

「それは素晴らしい効用ですね。自分の境遇に一喜一憂しなくなるわけですから」

「そうだね。学びの浅い人は、少しのことでジタバタするよね。それがいわゆる小人ってものだろう」

「君子と言われる人はそうではないんですね」

「うん。変わるものと変わらないものがわかっているからね」

「以前に、易の三義というものを部長に教わりました」

「変易と不易と易簡の三つ。変易とは、すべて万物は移り変わらないものはないということ。不易は、その移り変わりには一定不変の法則があること。易簡とは、その易の法則を理解すれば、すべての事象が理解しやすくなるということ」

「そうか、変わるものと変わらないものがハッキリ理解できると、すべてをシンプルに考えることができるようになるんですね」

「ぜひ、時間をかけてじっくり取り組んでみたら?」

「そうします!!」


ひとりごと

分かったようなことを書いていますが、小生は易の本は数多く積んでありますが、一向にその真理を理解できておりません。

小生はすでに50をとおに過ぎてしまいました。

しかし、せめて60歳になるまでには、じっくりと易と格闘する予定です。

始めるのに遅すぎるということはない、と信じて。


uranaishi_ekisha_illust_3911