今日のことば
【原文】
君子とは有徳の称なり。其の徳有れば、則ち其の位有り。徳の高下を視て、位の崇卑を為す。叔世(しゅくせ)に及んで、其の徳無くして、其の位に居る者有れば、則ち君子も亦遂に専ら在位に就いて之を称する者有り。今の君子、蓋(なん)ぞ虚名を冒すの恥たるを知らざる。〔『言志録』第9条〕
【意訳】
君子とは徳のある人の総称である。かつては徳のある人は、その徳に相応しい地位を得ていた。したがって、その人の徳の高低によって、地位の高下も自然と定まっていた。ところが後世になると、徳を具えていなくとも高い地位を得る者が出てきたので、いつの間にか君子という言葉は、高い地位にある人を称する言葉になってしまった。今日の君子といわれる人々は、名実伴わないことの恥ずかしさを知らないのではないか。
【一日一斎物語的解釈】
君子とは、必ずしも地位の高い人のことではない。徳の高い人を指す言葉である。本来は同義語であったが、今は地位ある者必ずしも徳あらずという世の中となってしまった。
今日のストーリー
今日の神坂課長は、佐藤部長と同行中のようです。
「部長、サイさんから聞いたのですが、『君子』という言葉は、本来は徳も地位も高い人のことを指す言葉だったようですね」
「そうだね。孔子の時代、いやそれより以前の堯舜の時代には、徳の高い人が高い地位に就いていたからね」
「孔子の時代になると、そうでもなくなってきたということですか?」
「周の王様の権威が地に落ち、諸侯が力をつけていた時代だからね」
「いわゆる下克上の時代ですか?」
「正式にいうと、孔子の生きていた時代はまだギリギリ周王室の権威は残っていたので、下克上の時代とまでは言えないけど、その後に戦国時代を迎えて、まさに覇道の時代、力こそが権力の時代になっていくんだ」
「なるほど。そうなると、そこから2500年にわたって、徳のある人が高い地位につくということはレアケースであり続けている気がしますね」
「残念ながらそうだろうね。特に最近は各国のトップもちょっと危険な人が増えてきた。フィリピンのドゥテルテ大統領、ブラジルのボルソナーロ大統領、イギリスのジョンソン首相なんかもその部類かなぁ」
「中国の習近平もそうじゃないですか?」
「うん、たしかにそうだね」
「あの人たちに徳があるようには見えませんね。(笑)」
「でしょう。(笑)」
「でも、笑いごとじゃないかもしれません。私も一応は会社の中ではマネージャーのひとりです。しかし、私に徳があるかといえば・・・」
「まだまだ厳しいかな?」
「ですよねぇ。(笑)」
「中国古典の『書経』には、徳の高い人には地位を与え、能力の高い人には報償を与えよ、とある。ところが、今は能力の高い人に地位が与えられる世の中になっているね」
「仕方ない部分もある気がしますけどね」
「うん。だからこそ高い地位についた人が勉強して、徳を磨くべきなんだと思うよ」
「はい! 重々承知しております!!」
「頼もしいね。一緒に徳を磨いて行こう!!」
ひとりごと