今日のことば

原文】
性は善なりと雖も、而も軀殻無ければ、其の善を行うこと能わず。軀殻の設(もうけ)、本(もと)心の使役に趨(おもむ)き以て善を為す者なり。但だ其の形有る者滞れば、則ち既に心に承けて以て善を為し、又過不及有るに由って悪に流る。孟子云う、「形色は天性なり。惟(ただ)聖人にして然る後に以て形を践む可し」と。見る可し、軀殻も亦本(もと)不善無きことを。〔『言志録』第109条〕

【意訳】
心が善だと言っても、身体がなければ善を行うことはできない。身体を作ったのは心の指示に従って善をなすためである。その心も身体の中に滞留すれば善をなすが、時に行きすぎたり及ばなかったりすると悪に流れてしまう。孟子は「人の身体も容貌も天から与えられたものだが、聖人だけが、人の本性に内在する美を外に現わすことができる。」と言っている。身体もまた元々は不善でないことを理解すべきであろう。

【一日一斎物語的解釈】
本来人間の身体は天から与えられた心の善を行動に移すために存在している。ところが時には善を為そうとしてやり過ぎたり、やり切れなかったりで悪に流れてしまうこともある。孟子は聖人だけが常に心の善を行動に移すことができると言っている。本来、人間の心も身体も善だということを理解しておこう。


今日のストーリー

神坂課長が帰宅すると次男の楽君が落ち込んでいました。

「菜穂、楽はなんであんなに元気がないんだ?」

「今日、テニスの練習中に楽が打ち返した球が相手の前衛の子の顔にモロに当ってしまったらしいの」

「マジか? で、その子の怪我の具合は?」

「鼻血がすごかったので、病院で診てもらったらしいんだけど、骨折はしていなかったらしいわ」

「それは不幸中の幸いだな。その子の家にお詫びに行かなくていいのか?」

「先生は練習中の出来事だから大丈夫とは言ってくれたんだけど、さっき楽と一緒に行って来たわ」

「あー、そうか。相手の親御さんはどうだった?」

「楽があまりにも落ち込んでいるので、かえってこっちの心配をしてくれたぐらいで、全然気にしていないと言ってくれたの」

「そうか。それでも楽はショックだったんだな」

「血が凄かったらしいからね」

「鼻血って結構出るからびっくりするよな。俺も子供の時にキャッチボールで相手の子の顔にボールをぶつけてしまって、凄い量の鼻血が出て驚いたことを今でも覚えているもんな」

「ちょっと声をかけてみてよ」

「わかった」

神坂課長は楽君の部屋に行ったようです。

「楽、まだ落ち込んでいるのか?」

「うん。別に狙ったわけじゃないんだよ。クロスで抜けると思って思いきり打ったら、手元が狂ってストレートに打っちゃったんだ」

「そういうことはあるさ。落ち込むなら怪我をさせたことより、勝負どころで狙ったところに打てなかったことを反省した方がいいんじゃないか?」

「え?」

「相手の子にはかあさんも一緒に行って謝ってくれて、気にしてないと言ってもらったんだろ?」

「うん」

「だったら、そのことはそれで終わり。問題は、大事なところで身体が思い通りに動かなかったことじゃないか?」

「たしかにそうかもしれない。僕はいつも『ここだ!』と思うと力が入って狙い通りに打てないことが多いんだよね」

「心の鍛錬が足りていないと身体が思うように動かないんだ。大事な場面こそ、冷静さが必要になるからな」

「どうすればいいの?」

「たぶん楽は『決めなければダメだ』と思って打っているんじゃないか?」

「うん、いつもそう思ってる」

「それをマイナス思考と言うんだ。そうじゃなくて、『よし、ここで決めてやる!』とプラス思考で考えた方が体は動くはずだぞ」

「そうか! 次はそう考えて打ってみる!!」

「前向きに考えると心の思うままに体が動くはずだ。やってみろ!」

「うん、父さん、ありがとう!!」


ひとりごと

心と体についての章句が続くので、すこし超訳してみました。

聖人のみが善の心のままに体を善に活用できる、という理解をして、聖人を一流プレーヤーに置き換えてみたのが今日のストーリーです。

そして、神坂課長が楽君に伝えた言葉は、ジャイアンツファンの方はご存知かと思いますが、阿部選手から若き主砲・岡本選手に伝えられたメッセージです。

マイナスに考えるのではなく、プラスに考える。

これは、スポーツに限らず営業の世界でも活用できる教えです。

プラス思考で動くとき、営業マンの口も身体も思い通りに動いてくれるはずです。


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