今日のことば

原文】
聖人は死に安んじ、賢人は死を分とし、常人は死を畏る。〔『言志録』第132条〕

【意訳】
聖人は安らかに何の不安も不満もなく死を迎え、賢人は天命として死を受け容れるが、凡人は死に対する恐怖心を拭い去れない。

【一日一斎物語的解釈】
心の修養を積んだ人は最悪の結果についても心を惑わすことなく淡々と受け容れる。知識や技術を磨いた人は、最悪の結果を止む得ないこととして受け容れる。心も技術も磨いていない凡人は最悪の結果を畏れて実行すらできない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、ネットでプロ野球の記事を読みながら憤慨しているようです。

「昨日のサヨナラ負けは痛かったな。この連敗で首位陥落か」

「甲子園に観客が入るとやっぱり異様な雰囲気になりますね」

いつものように本田さんが話し相手になってくれたようです。

「守護神のビエイラは、前の試合で33試合ぶりに失点したことで、打たれることの怖さを思い出したんだろうな」

「昨日はストレートにもキレがなかったですね」

「そもそもストレートをあまり投げていなかったよね。最後のストレートも渾身の投球というより、なんとなく投げ込んだ感じがあったもんなぁ」

「まだまだ若い投手ですから、こういう経験をたくさん積んでいけば、凄い投手になるんじゃないですか」

「そうだね。二流の投手は、自分の球やコントロールに自信がないから、打たれてしまうのではないか?と悪い結果を恐れて、力を発揮できないんだ」

「そうかも知れませんね」

「一流の投手となると、それなりの練習を積んで自分の球に自信を持てるようになる。そうなると自信を持って投げ込んだ球を打たれても、納得して結果を受け容れることができるんだろうな」

「ビエイラの練習量はチームで一番らしいですから、あとは自信をつけることですね」

「うん。どうせなら、ビエイラには超一流の投手になって欲しいんだよね」

「超一流の投手というのはどういう投手を言うのですか?」

「心の修養を積んだ超一流の投手は、勝っても負けても、すべて淡々と受け容れて、次の投球に備えることができる。一年間試合に出続けて、ずっと無失点でいられるわけはないことがわかっているから、何ごとにも一喜一憂しない。それが超一流じゃないかな」

「なるほど。ビエイラは勝った時にマウンドで吠えますよね」

「あれは自信の無さの裏返しかもな。もちろん、パフォーマンスとしては面白いんだけど」

「今の話を聞いて思いましたが、営業の世界も同じかも知れませんね。超一流はすべてをありのままに受け容れる。一流は、自分の知識や技術を信じているから、仮に残念な結果となっても納得して受け容れる。ところが、二流の営業マンは、自分に自信がないから失敗を過度に恐れて、行動すらできなくなるんでしょうね」

「まったくその通りだね。成功の反対は、失敗ではなく、何もしないことだということがわかっていない。行動しなければ、結果も出ないし、そもそも何も学べない。失敗すれば、多くのことを学べるからね」

「さて、3戦目の明日が肝心ですね!」

「いや、天王山はまだ先だよ。仮に3タテを喰らったとしても、菅野と山口を温存できているジャイアンツは次のカードで勝ち越せる。一方、死力を尽くした阪神が、次のヤクルト戦も勝ち越せる保証はないよ」

「なるほど。しばらくは三つ巴の激戦が続くわけですね」

「そう。そして最後は我がジャイアンツがペナントをもぎ取るというシナリオだね」

「では、日本シリーズでお待ちしています」

「え、楽天は大丈夫? 最後はまたソフトバンクじゃないの?」

「課長はそれを一番恐れているのでは?」

「そう。俺は凡人だからソフトバンクには勝てるイメージがまったく湧いてこないんだよね。(笑)」


ひとりごと

心の修養を積んだ聖人と知恵を積んだ賢人、そして凡人では、死に対する受け容れ方が違うと、一斎先生は言います。

死を様々な不測の事態と読み替えると、学びを得ることができる章句となります。

不測の事態を過度に恐れて行動をやめてしまうことが最もよろしくありません。

自分に自信が持てるまで鍛錬を積み、後は運を天に任せて行動することが大切です。


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