今日のことば

原文】
堯・舜・文王、其の遺す所の典謨訓誥(てんぼくんこう)は、皆以て万世の法と為す可し。何の遺命か之に如かん。成王の顧命、曾子の善言に至りては、賢人の分上、自ら正に此の如くなるべきのみ。因りて疑う。孔子泰山の歌、後人仮托して之を為すかを。檀弓(だんきゅう)の信じ叵(かた)きは、此の類多し。聖人を尊ばんと欲して、而も卻(かえ)って之が累を為すなり。〔『言志録』第134条〕

【意訳】
堯・舜・文王の『書経』にある教訓は、すべて万世に通じる法則とすることができる。これに勝る遺命があるだろうか。成王の臨終の言葉や曾子の善言は賢人のものであり、聖人のものではない。そこで私が疑問に思うのは、『礼記』檀弓上篇に掲載されている、孔子が臨終間際に作ったという「泰山の歌」のことである。孔子は「泰山其れ頽(くず)れんか、梁木其れ壊(かい)せんか、哲人其れ萎(や)まんか」とあり、その七日後に他界したといわれている。これは後世の人が孔子を敬するがあまり事実をゆがめてしまたもので、こうした類のことは多く存在している。聖人を尊敬する気持ちがかえって禍を及ぼしているのだ。

【一日一斎物語的解釈】
古の聖人と呼ばれる人の残した言葉は、現代においても十分に通用するものが多い。一方、賢人とされる人の言葉は、個人の身の上を語る言葉が多く、聖人の言葉には及ばない。そのそう考えると、孔子の臨終間際に残したとされる『泰山の歌』はあまりにも私的であり、後世の偽作である可能性が高い。聖人を尊ぶあまりかえって不要な混乱を生じさせている。このようなことは、ビジネスの上でもよくあることである。過去の人物や行為を美徳化するために、事実が改竄されることがある。それはかえって過去を汚すことになるのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、同業Y社の菊池さんとN大学近くの喫茶店で雑談しているようです。

「そういえば最近、オタクの先代会長の七回忌があったよね?」

「よくご存知ですね。こういう状況下なので、幹部社員数名だけで法要を営んだようです」

「中山虎太郎、忘れられない凄いおっさんだったな」

「はい、未だに社内では、中山伝説が頻繁に語られますからね」

「俺は若い頃に数回会っただけだったけど、あれだけのオーラを持っている人にはなかなか出会えないよ」

「ただですね。今回、七回忌の記念として全社員に中山虎太郎の小伝が配布されたんですが、その中身ときたら、かなり美化されていて、事実とはだいぶかけ離れている印象を持ちました」

「神様みたいに祭り上げられているの?」

「はい。景気を読むことができたので、不況が来る前に売掛金を回収した話とか、とある病院を再生するために私財を投げうった話とかが、やたら沢山書かれていました」

「たしかに凄い人だったけど、酒を飲むとベロンベロンになったし、朝礼なんかでも話しているうちに感極まって、よく涙を流していた、なんて話も聞くよ。でも、そういう人間臭いところが魅力の人だったと思うんだけどね」

「はい。我が社を実質的に日本有数の医療機器商社へと成長させたのは、中山ですからね、わからなくもないんですけど、欠点が無いような記載は間違っていると思います」

「それって結局は、中山虎太郎という人の価値を下げることになるんじゃないかな?」

「私もそう思います。車の運転は下手でよく事故を起こしたとか、女好きで、奥さん以外にも2~3人の女性を囲っていたとか、そういう事実を覆い隠すのもどうかと思いますよね」

「ははは。さすがに最後の女性の話は、当のご本人も天国で『それは隠しておいてくれと、ハラハラしているかもよ」

「たしかに、そうですね。(笑)」

「菊池君も孔子って名前は聞いたことあるでしょ?」

「はい、たしか『論語』を書いた人でしたっけ?」

「いや、『論語』を書いたのは孔子の弟子達だよ。その孔子も最愛の弟子が死んだ時には人目をはばからずに号泣したり、ときに弟子をからかい過ぎて、後でその言葉を撤回したりしているんだ」

「へぇー、欠点のない、近寄りがたい人なのかと思っていました」

「後世の儒学者が、孔子を神様のように美化しすぎたために、我々にそういう印象を与えることになってしまった。結局それも、孔子という人の魅力を消してしまうことになりかねなよね」

「ありのままが一番ですね。我が社としても、今回の小伝に載っている美化された中山会長ではなく、ありのままの中山虎太郎を伝えていくべきですね!」

「うん。ただし、さっきの女性の話はオフレコの方がいいかもね!!」


ひとりごと

偉人と呼ばれる人は、時代が経過するとともに神格化される傾向があるようです。

しかしそれは、かえってその偉人の功績を汚すことにもなりかねません。

小生も『論語』を学ぶようになって、孔子という人の人間臭さに魅了されました。

孔子という人は、いつもしかめっ面をしていて、感情の起伏を表に出さない、そんな人だと思い込んでいました。

これは、宋代に朱子学が起こり、孔子を神格化した影響なのです。

ありのままを見つめ、ありのままを愛する人でありたいですね。


kamidana