今日のことば

原文】
此の学は、吾人一生の負担なり。当に斃れて後已むべし。道は固より窮り無く、堯舜の上善も尽くること無し。孔子は志学より七十に至るまで、十年毎に自ら其の進む所有るを覚え、孜孜として自ら彊(つと)め、老の将に至らんとするを知らざりき。仮(も)し其れをして耄(ぼう)を踰(こ)え期に至らしめば、則ち其の神明不測なること、想うに当に何如と為すべきや。凡そ孔子を学ぶ者は、宜しく孔子の志を以て志と為すべし。(文政戊子重陽録す)〔『言志後録』第1条〕

【意訳】
儒学は我々が一生背負っていくべきものである。まさに死ぬまで学びをやめることがあってはならないのだ。道というものは当然極まることがなく、聖人尭や舜の善行でさえ極め尽くすことはできなかった。孔子は十五歳から七十歳に至るまで、十年単位で自らの進むべき道を定め、ただひたすら努め励み、老いが迫っていることすら気づかないほどであった。もし仮に孔子が八十、九十を超えて、百歳まで生きたならば、神のごとくすべてに明るく、人がとても測り知ることのできない境地へと到達したであろうことは、想像に難くない。孔子を学ぶ者は、みなこの孔子の志をしっかりと心に留めて自らの志としなければならない

【一日一斎物語的解釈】
人は生きる限り、学び続けるべきだ。学びをやめるのは死ぬときだ。孔子のように10年単位で自分の課題を設定し、それをクリアしながら自分自身を鍛錬し、成長させていかねばならない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長と年末の挨拶で同行しているようです。

「私は儒学の勉強をするようになってから、徳川家康公遺訓が儒学の教えをベースに書かれていることを知って感動しました」

「人の一生は重き荷を負うて遠き道を往くが如し。急ぐべからず」

「不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし」

「堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え」

「勝つ事ばかり知りて、負くる事を知らざれば害その身にいたる」

「おのれを責めて人を責めるな」

「及ばざるは過ぎたるよりまされり」

「気持ちよい響きをもった名句だよね」

「ちょうど今年の大河ドラマで、徳川慶喜と渋沢栄一がこの遺訓を一緒に唱えたシーンがあって感動的でした」

「私も観たよ。涙が出たね」

「私はようやく人生を折り返したくらいなのでしょうか? これからもまだまだ遠き道を歩いていかなければならないんでしょうね」

「そのとおり! だからこそ、学び続けることが大事なんだよね」

「はい。学ぶことの楽しさを教えてくれたのは、学校の先生ではなく、佐藤部長でした」

「本物の学びというのもは、楽しいもののはずなんだ。知らないことを知る喜び、学んだことを実践してみる楽しさは何物にも代えがたいものがあるよね」

「おっしゃるとおりです。孔子は十五歳で学問に志しました。私は四十を超えてからです。二十五年も送れていますから、どこまで行けるかわかりませんが、学び続けていきます」

「うん。四十代、五十代、六十代、七十代をどう生きるか。さらに余生があるなら八十代ではどんな人間になっていたいか。そこを明確にしておきたいね」

「はい。一斎先生は『荘にして学べば則ち老いて衰えず』と言っていますよね。渋沢栄一のような元気な六十代を過ごせるよう精進します!」

「私はもうすぐ六十が見えてきた。しかし、『老いて学べば死して朽ちず』だ。まだまだ学び続けるつもりだよ」

「背中を追いかけます!」

「追い越せそうなら追い越していいからね!(笑)」

「実はまだまったく視界に捉えていないので、追いつけるかどうかわかりませんが、いつかは追い抜くつもりで学びますよ!」

「よし、じゃあ私もこのリードを保てるようにしっかり学ぶとしよう」


ひとりごと 

学びとは本来楽しいものなのです。

それなのに、勉強嫌いな子供ができてしまうのは何故でしょうか?

やはり家庭教育、学校教育の双方に問題があるのでしょう。

小生の主査する読書会で、学ぶ楽しさを知ったといってくれる参加者の方がいます。

とても嬉しい言葉です。

学んで、気づいて、実践する日々を送ることが、最高に充実した人生を築く礎となるはずです。

共に学びましょう!!


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