今日のことば

原文】
心の官は則ち思なり。思の字は只だ是れ工夫の字のみ。思えば則ち愈(いよ)いよ精明に、愈いよ篤実なり。其の篤実なるよりして之を行と謂い、その精明なるよりして之を知と謂う。知行は一の思の字に帰す。〔『言志後録』第28章〕

【意訳】
心の大切な役目は思うことにある。「思」という字は工夫を意味する。思えばますます物事に詳しく明らかとなり、ますます誠実に取り組むことができる。誠実に取り組むことを「行」といい、物事に詳しく明らかとなることを「知」という。知行はともに「思」という一字に帰するのだ

【一日一斎物語的解釈】
ビジネスの原点は、「思い」にある。知識を得ることも、実行に移すことも、「思い」があってはじめて意味をなす。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、昨日に引き続き、『孔田丘一の儒学講座』を観ているようです。

「先週は忙しくて、配信を見逃してしまっていたんだった。先週の分も観てみよう」

「儒学を学ぶと大概は、『知行合一』という言葉を知ることになるじゃろう。しかし、その意味を誤解している輩が多いことは、本当に残念なことじゃ」

「本で読んだことを、そのまま受け売りで実行したところで、大した成果が出るわけがないじゃろう」

「知行合一という言葉の真の意味は、『本当に知ることができたことは必ず実行できる、ということを言っておるんじゃよ」

「そして、そのためには、『思う』という作業が必要なのじゃ」

「本で読んだことでも、誰かから学んだことでも、一旦は丸受けして、その内容を自分の仕事や生活に当てはめて、しっかりと思索することが重要なんじゃよ」

「一旦深く考えたら、そのまま思考を寝かせておくのもよいじゃろう。思考というものは、ワインのように熟成するものじゃからな」

このことを唱えた儒学者が、細井平洲じゃ。知っておる人も多いじゃろうが、あの上杉鷹山公の師に当たる人じゃな」

「この人が、『学思行相須(ま)って良となす』と言っておる。つまり、学んだことは、しっかりと思索した後に実行する。これこそが学問だ、という意味じゃろう」

「では、『思う』という作業は具体的にはどうすべきか?」

それは『中庸』に書かれておるんじゃ。ご存知だと思うが、孔子の孫の子思が書いたとされる書じゃな」

「『中庸』には、こうある。『博く学び、審らかに問い、慎んで思い、明らかに弁じ、篤く行う』」

「つまり、自分で間口を狭めずに幅広くインプットを行ない、分からないことは師匠や有識者に質問して理解を深め、それから一人で自分の事例に落とし込んで思い、行動すべきか否かを弁じ(決断し)、その上で強く実行する、ということじゃな」

学問には、博学・審問・慎思・明弁・篤行の5つが大事だとしておるんじゃが、このうちの審問・慎思・明弁の3つは、先ほどの細井平洲の学思行の『思』をさらに細分化したものと解釈して良いじゃろう」

「わからないことを問い質さずに勝手に思索したところで、得るものはほとんどない。まずは、知識のある人に聴くという素直さが必要なんじゃな」

「その上で、これまでの知識や経験に照らして、新しい学びを思索するんじゃ。さらにそれを行動に移すためには、行動すべきか否かを判断しなければならない。ここまで深く思索した後は、ただ実行あるのみ!」

「思うことは、工夫することじゃ。『中庸』にあるような正しいステップで思うことができれば、ますます物事に詳しくなり、誠を持って取り組むことも可能になるんじゃよ」

「人間の脳味噌なんぞ、使い過ぎということはないものなんじゃ。通常の人間は、その能力の10%も使わずに死んでいく」

「だからこそ、徹底的に頭をフル回転させる時間をつくるべきですな。ワシがここまで大してボケもせずに来たのは、思索の効果だと密かに任じておるんじゃ」

「諸君、思い給え!」

突然、動画が終了したようです。

「せっかく人気が出て来たんだから、もう少し終わり方をちゃんとした方が良いと思うんだけどなぁ。まぁ、これがあの爺さんのキャラなんだろうな」

「なるほど、『思う』ことが大事なわけか。本を読んだら、読みっ放しにせず、一度、深く考えてみる必要があるんだな」


ひとりごと 

学思行相須って良となす。

すでにこの名言は、何度も取り上げてきました。

先日もとある知人の読書会で、この言葉を紹介する機会があり、参加者の皆さんに感謝の言葉をいただきました。

「思う」という作業がなければ、読書も実行も、無駄になってしまうかも知れません。

思いましょう!


heiyu