今日のことば
【原文】
余嘗て曰く、「五倫に君臣有りて師弟無し。師弟無きに非ず。君臣は即ち師弟なり」と。今更に思う。「師は特(ただ)に君の尊有るのみならず、而も父の親有れば、即ち父道も亦師道と通ず。長兄は父に若(したが)えば、則ち兄にも亦師道有り。三人行けば必ず我が師有れば、則ち朋友も亦相師とす。夫教え婦(つま)従えば、則ち夫も亦師なる歟(か)。是れ則ち五倫の配合、適(ゆ)くとして師弟に非ざるは無し」と。〔『言志後録』第173章〕
【意訳】
私はかつてこう言った。「儒教の徳目である五倫には、君臣についての記載はあるが、師弟についての記載がない。これは師弟が重要でないということではない」。今は更に加えてこう思っている。「君臣の関係はそのまま師弟の関係と同様なのだ」と。師というものは君のもつ尊さだけでなく、父のもつ親しみも有しているので、父の道はそのまま師の道に通じている。兄は父に従うものであるから、兄との間にも師の道はあるのだ。『論語』に「三人行けば必ず我が師あり」というように、共に学ぶ友との間にも師の道があるのだ。また夫が教え妻がそれに従うなら、夫もまた師と言えるであろう。こう視てくると、五倫の組合せの中に師弟の関係を読み取ることができるので、師弟についての記載が無いのだ」と。
【一日一斎物語的解釈】
「我以外皆師」という言葉があるように、人はどんな人からも学ぶことができる。真摯に学ぶ姿勢を大切にすべきである。
今日のストーリー
今日の神坂課長は、元同僚の西郷さんと食事をしているようです。
「神坂君ありがとうね。こうやって、会社を辞めた私をいつまでも食事に誘ってくれるのは、本当に嬉しいことなんだよ」
「それはサイさんの人柄の力ですよ。だって、サイさんと飲みたくなっちゃうんだもんなぁ」
「こんな老人と話しても面白くないでしょう?」
「いや、サイさんは私にとっての師の一人なんです。いつも勉強させてもらっています」
「恐縮です。神坂君には他にもたくさんお師匠さんが居そうだね」
「はい。我以外皆我師ですから」
「お、宮本武蔵の言葉だね?」
「はい、正式には宮本武蔵に語らせた吉川英治先生のオリジナルらしいですけどね」
「良い言葉を知っているね」
「これはもう一人の師匠である長谷川先生から教わりました」
「素晴らしいことだね。そういえば、孟子の唱えた五倫は知っているよね?」
「はい。父子の親・君子の義・長幼の序・朋友の信とあともう一つは何だっけな?」
「夫婦の別だね。それを忘れるなんて、奥さんとの関係は大丈夫なの?」
「ウチのカミさんは、私の師匠だと勝手に思っていますよ。私はあいつを師匠だと思ったことはないですけどね(笑)」
「その五倫の中に、師弟のことが触れられていないのは不思議じゃやない?」
「たしかにそうですね。何故なんですか?」
「おそらくは、その当時はまだ師弟関係というのは、それほどポピュラーではなかったんだろうな」
「なるほど、それで挙げられていないのか」
「ただ、これは佐藤一斎の言葉だったと思うけど、考えようによっては、父も君も兄も友も皆師となり得るから、あえて特別に抜き出していないという説を唱えているよ」
「一斎先生がそう言っているんですか。それはまだ勉強していなかったなぁ」
「いずれにしても大事なのは誰からでも学ぶ姿勢だよ」
「そうですね。最近、佐藤部長に教わったのですが、部下から学ぶ姿勢も大切ですよね? そういう意味では部下もまた師となり得るわけです」
「私は40歳を超えてからメキメキと成長する神坂君からたくさん教えられているよ。ということで、今日のお代は私が授業料としてお支払いするね」
「ちょっと待ってください。授業料を払うのは私ですから!!」
ひとりごと