今日のことば

【原文】
其の老ゆるに及んでや、之を戒むる得に在り。得の字、指す所何事かを知らず。余齢(よわい)已に老ゆ。因(よっ)て自心を以て之を証するに、往年血気盛んなる時、欲念も亦盛んなりき。今に及んで血気衰耗し、欲念卻って較(やや)澹泊(たんぱく)なるを覚ゆ。但だ是れ年歯(ねんし)を貪り、子孫を営む念頭、之を往時に比するに較(やや)(こま)やかなれば、得の字或いは此の類を指し、必ずしも財を得、物を得るを指さず。人死生有り、今強いて養生を覔(もと)め、引年を蘄(もと)むるも、亦命を知らざるなり。子孫の福幸も自ら天分有り。今之が為め故意に営度するも、亦天を知らざるなり。畢竟是れ老悖衰颯(ろうばいすいさつ)の念頭にて、此れ都(すべ)て是れ得を戒むるの条件なり。知らず、他の老人は何の想を著(つ)け做すかを。〔『言志後録』第176章〕

【意訳】
『論語』季氏篇には「老人になったら、戒めるべきは得つまり利欲である」とあるが、私には「得」の字が何を指しているのかよくわからなかった。私はすでに年老いた。そこで自分の心に照らして考えてみると、往年の血気盛んな時期には欲もまた盛んであった。最近は血気も衰え、欲は去ってやや淡白なものになってきた。ただ長生きを望み、子孫のために計を案じる想いは、往年と比較するとやや濃くなってきたようで、「得」の字はあるいはこうしたことを指しており、必ずしも財産や物品を得ることを指さないのであろうか。人には生死があるから、この年になって無理に養生したり、寿命を引き延ばそうとすることは天の命を知らない人間のやることであろう。子孫の幸福もまた天から賦与された分際がある。無理に計って何かをしようとすることも天の命を知らない行為である。結局、これらは老いぼれて朽ちかかった者の想いであって、すべて「得」を戒める条件なのだ。他の老人が何を思うかは私にはわからない。

【一日一斎物語的解釈】
結果をコントロールすることはできない。人生も仕事も自分の欲をいかに抑えるかが重要である。何かを得たいと思うこと自体が欲であり、そうした欲を極力排して、人事を尽くして天命を待つのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、N鉄道病院の長谷川名誉院長を訪ねたようです。

「長谷川先生、先生は医療の世界で素晴らしい貢献をされて、今は名誉院長としての地位を得られていますよね。もちろん、先生が誰よりも努力をされた方だとは理解しているつもりですが、そんな先生でも得られなかったものってあるのでしょうか?」

「ははは。神坂君は私を聖人君子と見誤っているんじゃない?」

「いや、長谷川先生が聖人君子であることは、疑いようがない事実じゃないですか」

「とんでもないよ。私は一介の医者であり、頑固親爺でしかないんだから」

「そんなご謙遜を」

「まぁ、神坂君が私を買い被りしていることは置いておいて、質問に答えようかね」

「お願いします」

「これまでに得られなかったものなんて、数えられないくらいあるよ」

「えーっ、そうなんですか?!」

「仕事の面で言えば、消化器の分野においては、N大学をT大学やK大学と肩を並べるトップレベルに持っていきたかった。しかし、それは叶わなかった」

「あぁ、そうなんですか」

「他にも大腸がんで亡くなる人を一人でも減らすためにも、大腸がん検診を普及させたかったけれど、これもまだまだでしょ」

「たしかにそうですね」

「プライベートだってそうだよ。本当は神坂君のような息子が欲しかった。親子で共同研究ができたら、どれだけ楽しかったろう」

「娘さんでは駄目なのですか?」

「娘はいつかは他人のモノになってしまうでしょ(笑)」

「なるほど(笑)」

「でもね。欲しいものが手に入らないのは当然なんだよ。何かを得たいと思うのは仕方のないことだけど、得ることができないこともまた仕方のないことだと思うんだ」

「はい」

「人は何かを手に入れる時には、何かを手放さなければならないと思う。だから無いものを欲しがるのではなく、有るものに感謝しないといけないんだよね」

「足るを知るですね」

「うん。人生が幸せだと感じる人は、今あるものに感謝の出来る人なんだろうね」

「おぉ、名言ですね」

「そして私のような年齢になったら、得ることよりも手離すことを意識しなければいけないんだろう」

「荷物を軽くするということですか?」

「うん。そうじゃないと冥土までたどり着く前に力尽きてしまうかも知れないからね(笑)」

「先生を受け容れなかったら、それこそ冥土にとっては大きな損害ですよ(笑)」


ひとりごと

人間にはいくつになっても欲はあるものなのでしょう。

しかし、学問をした人は、その欲を抑え、いまあるものに感謝できます。

その感謝の気持ちを幸福と呼ぶのではないでしょうか?

小生もそろそろ荷物を降ろし始めないと!!


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