今日のことば

【原文】
白は能く衆采(しゅうさい)を受く。五色の原なり。賁(ひ)の極、色無きを白賁と為す。素以て絢(あや)と為すは白なり。其の位に素して行なうは白なり。素履の吉なるは白なり。余嘗て之を攷(かんが)うるに、五色の原は白より起る。白の凝聚(ぎょうしゅう)するを青と為し、青の舒暢(じょちょう)するを黄と為し、黄の爛熟するを赤と為し、赤の積累するを黒と為し、黒の極至(きょくし)は又白に帰す。生出(せいしゅつ)流行すること、蓋し亦此の如し。〔『言志後録』第179章〕

【意訳】
白は様々な色を受けており、五色の原色である。飾りの極みは無色であって、これを白賁という。『論語』に「素以て絢を為す」とあるが、孔子がいうには、絵を描くときには白という色彩を一番最後に加えることによって絵が引き立ち、完成するということである。『中庸』に「君子は其の位に素して行なう」とあるが、これは君子は自分の境遇に応じて最善を尽くすことを言ったものであって、わが身を飾らず心は純白のごとくあることを言う。『易経』に「素履(そり)す、往くときは咎無し」とあるが、これは純朴な心になにも飾ることなく道を進むならば、災いを受けることはないということであり、やはり心を純白にするということである。私はこれについてかつてこう考えた。五色の元は白色であり、白色が凝集して青となり、青が伸び広がったものが黄色となり、黄色が熟し切ると赤となり、赤が積み重なると黒になり、黒の極致はまた白にかえる。色が次から次へと生まれ展開するのはこのようなことであろう

【一日一斎物語的解釈】
ビジネスの成功要因としても素直さというのは大きな要素である。素直な心とは色で示せば純白の心ともいえよう。純白な心で物事を観察することを忘れてはいけない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業2課の梅田君と同行中のようです。

「最近、ちょっと仕事に慣れてきてズルくなってきた気がするんですよね」

「ははは。悪いことじゃないだろう」

「でも、新人の頃は無我夢中でやっていたんです。あの頃の心は真っ白だったなぁって思うんですよ」

「今は真っ黒か?」

「さすがに真っ黒だとは思わないですけど、ちょっとくすんだ色じゃないですかね」

「そう思えることが素晴らしいじゃないか」

「そうですか?」

「だって、新人の頃は早く慣れたいと思って仕事をしていたんじゃないか?」

「あー、たしかにそうですね」

「それが達成できた事に満足するんじゃなくて、真直ぐさを失ったことを反省しているなんて、立派だよ」

「ありがとうございます!」

「俺はいつも自分が一番だと思ってやってきたからな。真っ白な心を失っているなんて思ったこともなかったよ(笑)」

「課長らしいですね(笑)」

「梅田の心のキャンバスがくすんだ白なら、俺はもう濃いグレーくらいにはなってるかもな(笑)」

「それはヤバいですね」

「お前に気づかされたよ。いつでも純白な心で仕事をすることを心掛けるべきだよな。それでこそ、お客様の課題解決のお手伝いができるんだろうからな」

「はい。いまなら心を漂白すれば白に戻れるんじゃないですか?」

「そう簡単じゃないぞ。洗濯物と違って、心を真っ白にする漂白剤は売ってないからな」

「どうしたら良いのでしょうか?」

「知識と技術と心の3つを磨き続けることだろうな」

「具体的にはどうすればいいんですか?」

「学び続けるしかないよ。医学知識、製品知識を学び、営業のスキルを学び、そして人間力を学ぶんだ。死ぬまで勉強だな」

「やはり、勉強するしかないんですね。苦手ですけど、頑張って取り組みます!」

「その若さで自分の心のくすみに気づけるんだから、しっかり勉強すれば超一流の営業人になれるよ!」

「絶対になります!!」


ひとりごと

新人の心は、いわば真っ白なキャンバスだとも言えるでしょう。

そのキャンバスにどんな色をつけ、絵を描いていくのか、ワクワクしていたはずです。

ところが時間の経過とともに、そのことを忘れ、ズルさを覚えます。

だからこそ、我々は学び続けて、いつでもキャンバスを白く塗り直し、新たな気持ちで目の前の仕事に取り組む必要があrのです。


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