今日のことば

【原文】
余は弱冠前後、鋭意書を読み、目、千古を空しゅうせんと欲す。中年を過ぐるに及び、一旦悔悟し、痛く外馳(がいち)を戒め、務めて内省に従えり。然る後に自ら稍得る所有りて、此の学に負(そむ)かざるを覚ゆ。今は則ち老ゆ。少壮読む所の書、過半は遺忘(いぼう)し、茫として夢中の事の如し。稍留りて胸臆(きょうおく)に在るも、亦落落として片段を成さず。益々半生力を無用に費ししを悔ゆ。今にして之を思う、「書は妄に読む可からず、必ず択び且つ熟する所有りて可なり。只だ要は終身受用足らんことを要す」と。後生、我が悔を蹈むこと勿れ。〔『言志後録』第239章〕

【意訳】
私は二十歳前後の頃、一心不乱に書物を読み、千年の昔のことまで極め尽くしたいと思っていた。中年を過ぎる頃、一度そのことを後悔して、心を外物にはしらせることを戒め、務めて心の内を省みるようにした。その後やや自得するところがあり、儒学に反しないことを悟った。今は年老いて、若い頃に読んだ本のことも大半は忘れ去り、ぼんやりとして夢のようである。胸の内に記憶していることも、まばらで断片的である。益々この半生を無駄に過ごしてきたことを悔いている。今になって思うことがある。「読書は妄りに読むべきものではなく、よく選択をして熟読玩味すべきである。ただ要点は、本で学んだことを一生活用することである」と。後に続く人達は、私の後悔を繰り返さないで欲しい

【一日一斎物語的解釈】
読書はみだりに数を読めばよいというものではない。むしろ良書を厳選し、それを熟読することが望ましい。その目的は、自分自身の人間力を高めることに置くべきである。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長と同行しているようです。

「読書が習慣になって、もう随分本を読んだと思うのですが、意外と頭に残ってないんですよね。自分のバカさが嫌になります」

「ははは。一度読んだくらいですべて頭に入ったら、それこそ天才だよ」

「そうですか、ちょっと安心しました。吉田松陰さんとか年間に500冊読んだとか聞いたので」

「松陰先生と比べるなんて、神坂君も大きくなったね(笑)」

「たしかにそうですね。Y県の人たちに怒られますね(笑)」

「あの一斎先生だって、若い頃に読んだ本はほとんど忘れていると嘆いてるくらいだからね」

「あぁ、一斎先生でもそうなら、私が覚えているわけはないですね」

「何冊読んだかを競っても、まったく意味がないよ」

「はい」

「できれば重要な本を選んで、なんども熟読する方が良いかもしれない」

「私のような単細胞は、そっちの方がいいでしょうね」

「そして、それよりも重要なことがある」

「実践ですね!」

「さすが! いくら本を読んでも、重要な本を熟読吟味しても、それを実践につなげなければ何の意味もないと言っても過言ではないだろうね」

「私は1冊の本から、コレだ!という一行を選んで、ノートにまとめています。あまり多くても実践できないので、1冊の本から3つ以内に絞って、実践することを心がけています」

「すばらしいね。私も参考にさせてもらおうかな」

「部長にそう言われると、俄然やる気になります!!」

「神坂君がそういう姿を見せてくれるのは、とても有難いよ。きっと後輩たちも刺激を受けているはずだからね」

「そうだと良いんですけど。少なくともそう信じて、読書実践を継続します!」


ひとりごと

もちろんインプットは大いに越したことはありません。

しかし、どれだけインプットしても、アウトプットしなければもったいない。

読書は実践するためにあるのです。

どれだけ読んだかを競うより、どれだけ実践できたかを競いましょう!


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