今日のことば

【原文】
学者は当に先ず自ら己の心有るを認むべし。而る後に存養に力を得。又当に自ら己の心無きを認むべし。而る後に存養に効を見る。〔『言志晩録』第10章〕

【意訳】
学問をする者はまず自分自身に心(道心)を有していることを認めるべきである。それでこそ心を存養する上で得るものが大きくなる。また、同じく自分自身に欲心(人心)の無いことを認めるべきである。欲心があっては、心を存養するにも効果は薄くなってしまう

【一日一斎物語的解釈】
人は世のために尽くしたいという心を生まれながらに有していることを理解して、自己修養に励む必要がある。自分の利を優先するような心のまま自己修養を行っても大した効果は期待できない


今日のストーリー

今日の神坂課長は、YouTube動画で『孔田丘一の儒学講座』を視聴しているようです。

「諸君、人は二つの心を持っていることをご存知かな?」

「ご存じない?」

「そんなことでは、何をしても大した効果は期待できんじゃろうな」

「では、それを話すとしますか」

「えっ、そのために動画を作ってるんだろうって?」

「そのとおり! まぁ、お聞きなさい」

「人間は、損得を考えて、己の利を優先しようとする心と、善悪を考え、誰かのために力を尽くそうとする心がある」

「儒学では、前者を『人心』と呼び、後者を『道心』と言うんじゃ」

「人心を優先していては、せっかく自己啓発に取り組んだり、人間修養にいそしんでも、その効果は薄くなってしまう」

「誰にも欲はあるじゃろう。間違っても、無欲になろうなどと思いなさるな! どうせできやしないんだからの」

「大事なことは、『私欲』にまさる『公欲』を持つことじゃ」

「私欲にまみれた心が人心であり、公欲を満たそうとする心が道心だと言ってもいい」

「儒学で言うところの君子と小人の違いは、突きつめてしまえば、この公欲と私欲の持ちようにある」

「つまり、公欲が私欲に勝っている人間が君子であり、私欲が公欲に勝っている人間が小人だということじゃよ」

「この動画を見ている諸君は君子を目指しておるはずじゃ」

「それなら、私欲に勝る公欲を見つけ、それを実現するために、わが身を修養することですな」

「無我・無欲・滅私などということは、あんたらのような凡人にはなれっこないんじゃよ」

「そもそも、そういうものは目指すべきものではあっても、たどり着けるものではないんじゃ」

「もっといえば、欲や我や私というものは人間の行動のエネルギー原でもあるんじゃ」

「ただし、生のままでは汚いものなので、修養によって浄化する必要がある訳ですな」

「人は、自分の為に生きるより、誰かの為に生きた方が幸福感を感じるものなんじゃよ」

「真の幸福を得たいなら、誰かの為にあなたの力を尽くしてみなさい」

「そのとき、醜い我や欲や私をガソリンにして進めばいい!」

「いいですな。つねに二つの心があることを忘れずに、道心を人心に優先させなされ」

「では、また近いうちにお会いしましょう!」

動画が終わりました。

「なるほどな。たしかに気を抜くとつい善悪より損得を先に考えてしまうもんな。つねに二つの心が戦っているわけだな。心しておくよ、爺さん!!」


ひとりごと

儒学の経典には、「道心」と「人心」についての記載が多くみられます。

人間はこの二つを持っているはずです。

「道心」しか持たない人や、「人心」しか持たない人などいないでしょう。

要するに、「人心」を抑え、「道心」を働かせることができるように修養を積むことで、君子の振る舞いが可能となるのです。


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