今日のことば

【原文】
認めて以て我れと為す者は気なり。認めて以て物と為す者も気なり。其の我れと物と皆気たるを知る者は、気の霊なり。霊は即ち心なり。其の本体は性なり。〔『言志晩録』第11章〕

【意訳】
自分で我と認めるものは気である。また物と認めるものも気である。我(主観)と物(客観)とが気であることを知るものは気の霊である。霊とは即ち心である。そしてその心の本体とは性である

【一日一斎物語的解釈】
主体と客体とを認識し、見分けるのは心の力である。人間の心は宇宙の摂理を体現したものであるから、本来は善なのだ


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋で談笑中のようです。

「人間って生まれながらに善と悪を見分ける力を持っているんでしょうか?」

「儒学では、万物は理と気からなると考えていて、宇宙の摂理を宿した無形のものが理で、我々の身体のように有形のものは気からなるとしているんだ」

「そうなると、人間の心は理だということになるんですか?」

「うん。理は人間に入ったときは性となると考える。だから、人間の心は理すなわち性を備えているということになる」

「そうなれば当然、善と悪を判別する能力を持っていると考えて良いんですね?」

「私はそう理解しているんだけどね」

「人は嘘をつくと、なんとなく後ろめたい気持ちになりますよね。あれって、嘘をついてはいけないと学んだからというよりは、本能的にそれを感じているからじゃないかと思うんですよ」

「そうだね。たとえば、子供が井戸に落ちそうになっているのを見たら、咄嗟にその子を助けようとするよね」

「そんなときは、善悪など考えずに、すぐに助けようとしますよね」

「孟子はそういう心の働きを惻隠の心と呼んでいる」

「あぁ、他人を可哀そうに思う心のことでしたね?」

「うん。そしてそれは仁の端(きざし)だと言うんだ。つまり人間は、生まれながらに仁の端を持っている。孟子は、それと同じように、善悪を判断する心も生まれながらに持っているとしているんだ。それを是非の心と名づけている」

「やはり、そうなんですね。それなのに、いつの間にか善悪よりも損得で物を考えるようになり、時には善でないとわかっていながら悪を働いてしまう。なぜなんでしょうね?」

「善悪を判断する是非の心は、智の端だとしている。つまり、惻隠の心も是非の心も、そのままではか弱いものだから、育てて大きくしていく必要があるんだよ」

「それが学ぶということなんですね?」

「さすがは神坂君、そのとおりだよ」

「学びが足りていないと善悪を正しく判断できないわけか。やはり学び続けるしかないですね」

「うん。本来持っている心をしっかりと発揮するためにも、学問は欠かせないということだね」

「はい。若い頃に遊び呆けて無駄にした時間を少しでも取り戻せるように学び続けていきます! ご指導よろしくお願いします!!」

「うん。一緒に学び、共に成長していこうね!」


ひとりごと

人間は生まれながらに善悪を判断する心を有していると、儒学では考えます。

しかし、悪事を働く人がいるのはなぜか?

生まれたときに持っている是非の心は、赤ちゃんの身体と同じく小さくか弱いものであり、肉体と同様に育てていかなければなりません。

しかし、肉体の成長ほどには関心をもたず、是非の心を育てることを疎かにしてしまうために、正しく善悪を判断できなくなってしまうのです。

食事が肉体を育てるように、学問が心を育てます。

学び続けましょう!


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