今日のことば

【原文】
講書と作文とは同じからず。作文は只だ習語を飜して漢語と做すを要す。講書は則ち漢語を飜して以て習語と做すをば、教授において第一緊要の事と為す。視て容易と為す可からず。〔『言志晩録』第46条〕

【意訳】
書物を講義することと漢文で文書を作ることとは同じではない。作文は日常会話を言い換えて漢語にすることを必要とする。書物の講義は漢語を言い換えて日常の会話となすことが、講義における最も重要なことである。一見して容易なことだと考えてはならない

【一日一斎物語的解釈】
漢文で文書を書くときは、日本語の日常会話を漢文にする必要がある。また経書を講義する際は、漢文を日常の日本語に変換する必要がある。どちらも決して容易なことではない。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、元同僚・西郷さんの『論語』の読書会に参加した後、二人で食事をしているようです。

「それにしてもサイさん、『論語』を我々にわかりやすく伝えるのには随分準備が必要なんでしょうね」

「まぁ、そうだね。せっかく有料で参加してくれる皆さんに中途半端な資料を渡すわけにはいかないからね」

「漢文を現代の日本語に読み替えるわけですから、大変ですよね?」

「私は中国語を話せるわけじゃないからね。高名な先生の解説を深く読み込んで、それを現代の人の腹に落ちるように落とし込んでいるだけだよ」

「なるほど。それでも、やっぱり凄いことですよ。一人でテキストを読んでもさっぱり理解できないのに、サイさんが解説してくれた後だと、すごく場面が浮かんできて理解できるようになりますからねぇ」

「そう言ってもらえると嬉しいよ」

「サイさんが読書会を開催していなかったら、一生ご縁のなかった本だと思います」

「そんなことはないんじゃない? 佐藤さんがきっと神坂君を導いてくれたでしょう」

「あぁ、そうかも知れません。そういえば、部長が言っていたのですが、維新の志士たちは、みな漢文の詩が書けたそうですね?」

「あの頃の日本人が一番知的レベルが高かったのかも知れないね」

「みな中国語が話せたのでしょうか?」

「いや、そうではないと思うよ。でも、たくさん漢詩を読み、学んでいるから、ある程度型を把握していたんだろうね」

「その型に文字をはめ込んでいったというイメージですか?」

「うん、そうだろうね。私もそれを意識して、最近は漢詩をたくさん読むようにしているんだよ」

「日本語を中国語にするわけですよね? それはまた大変な作業ですね」

「でも、漢詩をつくることができたら素敵なことだと思わない?」

「思います。でも私の場合は、漢詩はハードルが高すぎるので、まずは和歌からかなと思っています」

「いいね!」

「佐藤部長も最近、『万葉集』を読んでいるそうです。なので、一緒に勉強して見ようと思っているんですよ」

「では、いつかお互いに和歌と漢詩を教え合えるレベルになれるように頑張ろうね!」

「いいですね!!」


ひとりごと

著作は一冊も残していない西郷隆盛公も、たくさんの漢詩を残しています。

以前に紹介した「天意を識る」という漢詩は、元広島カープの黒田投手が座右の銘としていた、

雪に耐えて梅花麗し

という名言を生んだ漢詩です。(2720日参照)

小生もいつか漢詩を書いてみようと思っています。


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関西
吟詩文化協会HPより