今日のことば

【原文】
「其の背(はい)に艮(とどま)り、其の身を獲ず。其の庭に行きて其の人を見ず」とは、敬以て誠を存するなり。「震は百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪わず」とは、誠以て敬を行なうなり。震艮(しんこん)正倒して、工夫は一に帰す。〔『言志晩録』第80条〕

【意訳】
『易経』艮為山(ごんいさん)の卦に、「その背に(とど)まりてその身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎なし」(意味:(見ざる所)に止まれば、欲心に乱されることが無いので、忘我の境地になれる。外に出ても人(外物)のために煩わされることが無い。まったく禍なく安泰である)とあるのは、敬の心をもって誠をその身に存するということである。同じく、震為雷の卦に「震は、亨る。震の来るとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(あくあく)たり。震は百里を驚かせども匕鬯(ひちょう)を喪わず」(意味:(震の象)鳴が方百里の遠きに及んで驚かすことがあっても、宗廟の祭祀に祭用の匙や香酒を手にする者は、戒慎恐懼してそれを取り落とすことがない)とあるのは、誠の心をもって敬を行うということである。震艮は真逆のものであるが、敬と誠の工夫はひとつに帰するものである

【一日一斎物語的解釈】
「敬」と「誠」という徳目は、まったく別物のようであるが、実はその修得の工夫においては不可分のものなのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、勉強会仲間のフミさんこと、松本さんと食事をしているようです。

「フミさんは、誰に対してもつねに謙虚で、人を敬う心が言葉や行動に表れていますよね」

「うれしいことを言ってくれるね。もし、そう見えているなら、ワシもようやく学びが板についてきたのかもしれないな」

「そうですか? 最初に会った時から感じていましたけどね」

「何をご冗談を。敬の心を持つことは簡単なことじゃないよ」

「そうなんですか?」

「人を敬うということは、ある意味で自分の至らなさを認めることでもあるからね」

「『負けた!』と思えるから、敬えるということですか?」

「ザッツ・ライト! 自分の至らなさに気づくためには、自分自身に誠がなければならないからね」

「誠ですか?」

「自分地震に対しても嘘をつかない心、そしてその心をベースにして他人に対しても偽らない心、それが誠というものだよね」

「なるほど」

「心の中ではそれほどでもないのに、大袈裟に人を褒めるような人間には誠がない。誠のない敬は相手に伝わらない」

「誠なくして敬はない、ということですか?」

「イグザクトリー! そして、誠の心が敬を育む一面もある」

「敬と誠は表裏一体なんですね」

「セパレートすることはできないだろうね!」

「フミさんの場合は、そんな凄いことを実体験から学んできたんですね?」

「もちろんそういう面もあるけど、やはり学びの効果だと思うよ。もし、古典とめぐり会っていなければ、きっと人を心から敬うことはできなかっただろうからね」

「そう言われると私もまだ本当の意味で人を敬うことができていない気がします」

「ゴッドの場合は、まだ若いんだから、その年で気づけたことに感謝すべきだよ!」

「そうですね。そして、フミさんにこうしてめぐり会えたことにも感謝をしたいです!」

「オー、ユー・マスト・ビー・ジョーキング(ご冗談を!)」


ひとりごと

敬も誠も儒学においては、非常に重要な徳目です。

しかし、頭で理解できても、実際にこの徳目を実践することは容易ではありません。

その理由は、この2つの徳目は不可分だということに気づかないからなのかも知れません。

本来、徳目とはそういうものなのでしょう。

ひとつを卒業したら次に取り組む、といった類のものではなく、互いの関係性を理解しつつ同時に取り組むべきなのでしょう。


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