今日のことば

【原文】
治心の法は須らく至静を至動の中に認得すべし。呂涇野謂う、「功を用いる必ずしも山林ならず、市朝も亦做し得」と。此の言然り。〔『言志晩録』第85条〕

【意訳】
心を治める方法は、出来る限り静かな心を極めて忙しい中に認めるべきである。明代の儒者・呂涇野は「精神修養の功を積むのは、必ずしも静かな山林に行かずとも、喧噪の街中でもなし得るものだ」と言った。此の言葉はまったくその通りである、

【一日一斎物語的解釈】
精神の修養は必ずしも静寂の中で積む必要はなく、むしろ喧騒の中で積むべきかもしれない。


今日のストーリー

神坂課長のところに、石崎君がやって来たようです。

「課長、会議資料作成なんですけど、集中したいので近くのコワーキングスペースでやっても良いですか?」

「ここじゃうるさいか?」

「いろいろと気が散るんですよね。特に」

「特になんだよ?」

「言いにくいんですけど、課長の声がデカくて、全然集中できないんですよ」

「言いにくいなら言うなよ。俺の声がデカいのは生まれつきなんだよ。生まれてすぐに俺の泣き声がうるさいといって、何回かクレームが来たらしいからな」

「さすが、筋金入りですね!」

「やかましいわ! まぁ、そうしたいなら構わないぞ。ただな」

「はい?」

「そんなことで集中できないようでは、お前は腹の座った立派な営業人にはなれないかもな」

「なぜですか?」

「精神の修養というのは、静寂の中で積むより、むしろ喧噪の中で積むべきものだとも言われているんだ。つまり、バカでかい音が鳴り響く中でも、常に集中できるような人間が一流だということだな」

「そうなんですか? それならここで頑張ります!」

「いいよ、無理するな。徐々にそういう精神力を身につけていけ、ということだよ」

「では、今日は近くのコワーキングスペースに行ってきます」

「うん」

「あっ、それなら私も」

「おー、善久もか? いいよ」

「では、私もいいですか?」

「え、本田君も?」

「私も行ったことがないので、一度行ってみます」

「山田さんまで? そして誰もいなくなった……」


ひとりごと

小生も若い頃は、静かな場所でないと読書ができませんでした。

しかし、いつの間にか、ある程度周囲がざわついていても読書ができるようになりました。

ただ、小生の場合は、修養の結果ではなく、年齢とともに鈍感になっていっただけのようにも思えます。

いずれにしても、喧噪の中で精神を磨くという意味の、

至静を至動の中に認得すべし」

という言葉は覚えておいて損はないでしょう。


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