【原文】
君の臣に於ける、賢を挙げ能を使い、与(とも)に天職を治め、与に天禄を食(は)み、元首股肱(ここう)、合して一体を成す。此(これ)を之れ義と謂う。人君若し徒(いたずら)に、我禄俸を出(いだ)し以て人を養い、人将に報じて以て駆使に赴かんとすと謂うのみならば、則ち市道と何を以てか異ならん。
【訳文】
人君たる者はその臣に対して、賢者を挙用し、有能者を使って、それらの者と共に、天から与えられた職務を尽くし、共に天から授かる俸禄をもらい受け、元首の君主と輔佐する臣とが一体となって、国家のために尽くすことを義というのである。
しかし、もし人君が徒らに、自分が俸禄を出して人民を養っているから、人民らはその恩義に報いんとして、自分の命のままに追い使われようとしているだけのことであるというならば、それは利益だけを考えて道義的観念を無視する商売の道と別に異なることがあろうか。
【所感】
人の上に立つ者は、客観的な視点で賢者あるいは有能者を登用し、上下関係を忘れて共に働くことが肝要であり、それを義と呼ぶのである。ところが上に居るからという理由だけで、下位者に対して自分の家来のように取り扱うのであれば、それは義を忘れて利にはしる商人と同じレベルとなってしまう、と一斎先生は言います。
ここでは、現在の仕事を天職と捉えて、上下の区別なく共に天命を尽くし、共に天から俸禄を頂くのだという捉え方が大変重要です。
一斎先生は、政治の話として語られていますが、一般的な私たちの社会における仕事においても、こうした意識をもってリーダーがメンバーに接するのであれば、その職場は良好な環境で素晴らしいアウトプットを生み出すでしょう。
以前にも
「立場の上下は認めても、人間そのものの上下は認めない」
という仏教の言葉を紹介しました。
リーダは決してメンバーを私物化(私有化)してはいけません。
リーダー自らがメンバーと共に働く姿勢を明確にすることの重要性に、あらためて気づかせてくれる箴言のひとつと言えます。