一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2015年04月

第76日

原文】
古楽は亡びざる能わず。楽は其れ何(いずれ)の世に始まる。果して聖人より前なる歟。若し聖人に待つこと有りて而して後作(おこ)りしなば、則ち其の人既に亡くして、而も其の作る所、安んぞ能く独り久遠を保たんや。聖人の徳の精英、発して楽と為る。乃ち之を管絃に被(かぶ)らせ、之を簫磬(しょうけい)に諧(ととの)え、聴く者をして之に親炙するが如くならしむ。則ち楽の感召にして、其の徳の此に寓するを以てなり。今聖を去ること既に遠く、之を伝うる者其の人に非ず。其の漸く差繆(さびゅう)を致し、遂に以て亡ぶるも、亦理勢の必然なり。韶の斉に伝わる、孔子深く心に契(かな)えり。然れども恐らくは已に当時の全きに非ず。但だ其の遺音尚お以て人を感ずるに足るも、而も今亦遂に亡ぶ。凡そ天地間の事物、生者は皆死し、金鉄も亦滅す。況や物に寓する者、能く久遠を保せんや。故に曰く、古楽亡びざる能わずと。但だ元声太和の天地人心に存する者に至りては、則ち聖人より前なるも、聖人より後なるも、未だ嘗て始終有らず。是れも亦知らざる可からず。


【訳文】
昔の音楽は、滅亡しないわけにはいかない。音楽はいつの時代に始まったのであろうか。はたして聖人より以前のものであろうか。もし、聖人が世に出てから作ったものであれば、その聖人がなくなって、その作られた音楽が、どうして永遠に残っていられようか。聖人の徳の秀でたものが、外に現われて音楽となった。これを管弦簫磬などの楽器に和して、音楽を聴く者をして、聖人に親しませるようにしたのである。すなわち、これは音楽が人を感動させて、聖人の徳が音楽のなかに存しているがためである。今は聖人が世を去ってから久しくなっているので、音楽を伝える者も昔の人のようでない。次第に相違が出てきて、遂に滅亡するようになるのも、あたりまえである。韶の善美な音楽が斉の国に伝わって、孔子はその音楽を大変賛嘆せられた。しかし、それは恐らく、舜の時のものではない。ただ残っていた音が、人を感動させるに十分なものであったであろうが、それは現在滅亡してしまった。大体、天地間の万物は、生じた物は総て死に、金属のようなものまでも、滅亡してしまう。まして、楽器に寄寓する音楽は、久しくも保ち得るものではない。それで、古代の音楽は、滅亡しないわけにはいかないというのである。ただ、元声・太和のような最上の音楽が、天地人心の中に存在しているものについては、聖人より前も後ろも変わりなく。元来終始のあるべきものではない。このことも、知っていなければいけない。


【所感】
昔の音楽は廃れていくのは当然である。聖人が作った音楽であれば、当の本人が亡くなった後に廃れてしまうのも致し方ない。その人(聖人)に親しむように作られた音楽が、当の本人でない人によって伝えられても、そこには差異が出て当然であり、その結果廃れていくのである。かつて孔子が感動した韶ではあったが、舜帝の当時とは差異が生じていたはずで、ついには廃れてしまった。すべてこの世界の事物は滅亡していくものである。ただし最上の音楽には聖人のこの世にあるなしに関係なく、本来は終始などないはずである。このこともよく覚えておくべきだ、と一斎先生は言います。


音楽は作者の逝去と共に次第に変貌し、遂には消え失せてしまうというのは、世の中のすべての事物と同様のことで、当然である。
しかし本物の音楽と呼べるものには流行り廃りはなく、永遠に存在するものであることも忘れてはならない。


この章を読んで感じるのは、音楽のような形のないものと、文学のように書という形で残されるものとの寿命の違いです。


本日、共に学ぶ仲間と道元禅師ゆかりの永平寺を訪れ、宝物殿にて、道元禅師直筆の「普勧座禅儀」を拝見し心から感銘を受けました。


これは当時既に紙と墨が発明されており、800年の時を超えた現在にも道元禅師の書が現存していればこそ感じ得た感動であろうと思います。


ところが音楽は古代においては録音という技術がなく、作者の想いの込められた演奏が残されていません。
その結果、音楽は永く存在することができなかったのではないでしょうか。


森信三先生は、名著『修身教授録』の中で、成形の功徳と称して以下のような説明をされています。


すべて物事というものは、形を成さないことには、十分にその効果が現れないということです。同時にまた、仮に一応なりとも形をまとめておけば、よしそれがどんなにつまらぬと思われるようなものでも、それ相応の効用はあるものだということです。

現実界が有形界だとしたら、この地上に一つの新たな有形物を生み出すということは、それ自身確かに一つの善事であり、功徳のあることと言ってもよいわけです。


小生は営業部門のマネジメントをしています。


マネージャーとして最初に取り組んだ事の一つが、手書きの日報をデジタル化(IT化)することでした。


書いたら書きっぱなしで、再読されることがほとんどなかった日報を、全社で共有するIT日報へと変えたことによって、本来無形であった多くの有用な情報が社の財産として活かされるようになりました。


これも成形の功徳のひとつだと認識しています。


さて一方で一斎先生は、本物は永遠であるとも指摘しています。


本物とは何か。


それは天地自然の法則であり、それに適ったものと言えるでしょう。


日々、成形の功徳を実感すべく、形にするという活動を行いながら、本物を見出し、本物を生み出せるような人間へと成長したいものです。

第76日

原文】
人君当に士人をして常に射騎刀矟(とうさく)の技に遊ばしむべし。蓋し其の進退、駆逐、坐作、撃刺(げきし)、人の心身をして大いに発揚する所有らしむ。是れ但だ治に乱を忘れざるのみならずして、又、政理に於いて補(おぎない)有り。


【訳文】
人君たる者は、武士をして弓術や馬術やそして剣道をやらせなければならない。思うに、これらの進んだり退いたり、駆けたり逐(お)ったり、坐ったり立ったり、撃ったり刺したりする動作は、人の心身を大いに鼓舞し元気づける所のものである。このようなことは、よく治まった泰平の世にいて、乱世に処する覚悟を忘れないだけではなく、また政治を行うにつけても大変たすけになる。


【所感】
君主は、武士に対して武道を学ばせるべきである。そこで学ぶ前進後退、駆けたり追ったりすること、坐ったり立ったりすること、撃ったり刺したりすることは、武士の心身を大いに成長させるところがある。有事に備えるだけでなく、政治上でも大いに意味のあることである、と一斎先生は言います。


武士である以上、武道を学ぶことは当然ですが、武道を学ぶことによって、瞬時の判断や臨機応変の対応などを学ぶことができ、それは政治を行う上でも役立つということでしょう。


戦国の世が終わり、天下泰平の江戸時代となり、武士はいつしか武人から役人へと変貌していきました。


本来は戦うことがその職務であった武士が、それなりに立派に役人として務めることができたのは、武道を身につけていたからなのかも知れません。


そうであるとすれば、現在の政治家に欠けているのは文武両道の武であると言えそうです。


決死の覚悟をもって政治にあたる政治家であるためには、彼らにも武道を身に付けさせることが必要なのかも知れません。


いや、小生のようなビジネスリーダーも然りと言えそうです。

第75日

原文】
人心は歓楽発揚(かんらくはつよう)の処(ところ)無かる可からず。故に王者の世に出ずる、必ず楽(がく)を作りて以て之を教え、人心をして寄(き)する所有り、楽しんで淫(いん)するに至らず、和して流るるに至らざらしむ。風移(うつ)り俗易(かわ)りて、斯(ここ)に邪慝(じゃとく)無し。当今(とうこん)伝うる所の雅俗(がぞく)の楽部(がくぶ)は、並(ならび)に風(ふう)を移し俗(ぞく)を易(か)うるの用無しと雖(いえど)も、而(しか)も士君子(しくんし)之を為すも、亦不可なる無し。坊間(ぼうかん)の詞曲(しきょく)の如きに至っては、多くは是れ淫哇巴ゆ(いんあいはゆ)、損有りて益無し。但(た)だ此(こ)れを舎(お)けば、則ち都鄙(とひ)の男女、寄(よ)せて以て歓楽発揚す可き所無し。勢(いきおい)も亦之を繳停(しゃくてい)す可からず。諸(これ)を病(やまい)に譬(たと)うるに、発揚は表(おもて)なり。抑鬱(よくうつ)は裏なり。表を撃(う)てば則ち裏に入(い)る、救う可(べ)からざるなり。姑(しばら)く其の表を緩(ゆる)くして、以て内攻(ないこう)を防ぐに若(し)かず。此(こ)れ政(まつりごと)を為す者の宜(よろ)しく知るべき所なり。


【訳文】
人の心というものは、大いに喜び楽しんだり、発散する所がなくてはならない。故に有徳の君王が世に現われると、必ず音楽を作って人民に教え、人心を音楽に引き寄せて楽しくさせるが、みだらなことにはならないし、互いに和合しても放逸になることもない。そのような音楽であるから、風俗が変っても邪なることは起らない。今伝わっている高尚なそして卑俗な音楽は風俗を改める効用はないけれども、学徳のある人がこれを奏でても、少しも悪いことではない。世間で行われている歌詞音曲のようなのは、大抵みだらで、しかも卑俗なもので、損があっても何等益する所はない。ただ、これを捨ててしまえば、町や田舎の男女は、互いに寄り合って、喜びや楽しみを発散する所がない。自然の成り行き上、これも無理に止めさすこともできない。これを病にたとえれば、人心を発散させるのは表であり、抑えふさがるのは裏である。表を打てば裏に入り込んで、どうしても救いようがない。それでしばらく表をゆるくして、病が内部をおかさないようにするのがよい。これは為政者たるものは知っておくのがよい。


【所感】
人の心は常に楽しみ、解放されているべきである。古の聖人が即位すると必ず音楽を作ったのもそのためである。また音楽によって人民を導いたのである。現在の雅楽なども、人民を導くということはなくなったが、悪いものではない。しかし一般の民衆における歌は、淫らなものでなにも益のないものである。かといってこれを禁止するようなことになれば、発散するところがなくなってしまう。病気でいえば一気に症状を出させずに、無理に薬で押さえ込めばかえって病状は体の奥深くに進行するようなものである。為政者はこのことをよく理解しておくべきである、と一斎先生は言います。


この章も前章と同じことを指摘していますが、特に音楽というものの有用性を説くために、もう一度取り上げたということでしょうか。


かつてビートルズ旋風が吹き荒れた頃、ロックを聴くこと、エレキギターを持つことは不良の証であるとされたそうです。


しかし今、ビートルズの音楽を否定するような論説を目にすることはありません。


時代の変遷とともに新しい音楽の要素が加わっていくのは当然の成り行きであって、これを止めることはできないということでしょう。


ただしこうした現代の流行ばかりでなく、歌舞伎や能などの伝統芸能および俳句や短歌などの文学をいかに若い人たちに伝えていくか、それが現代の課題なのかも知れません。

第74日

原文】
治安日に久しく、楽事漸く多きは、勢(いきおい)然るなり。勢の趨(おもむ)く所は即(すなわ)ち天なり。士女(しじょ)聚(あつま)り灌(よろこ)びて、飲讌歌舞(いんえんかぶ)するが如(ごと)きは、在在(ざいざい)に之れ有り。固(もと)より得(え)て禁止す可(べ)からず。而(しか)るを乃(すなわ)ち強(し)いて之を禁(きん)じなば、即(すなわ)ち人気抑鬱(にんきよくうつ)し、発洩(はつえい)する所(ところ)無く、必ず伏(ふ)して邪慝(じゃとく)と為(な)り、蔵(かく)して凶姦(きょうかん)と為り、或は結ばれて疾毒瘡(しつちんどくそう)と為り其の害殊(こと)に甚(はなはだ)し。政(まつりごと)を為す者は、但(た)だ当(まさ)に人情(にんじょう)を斟酌(しんしゃく)して、之(これ)が操縦(そうじゅう)を為し、之を禁不禁(きんふきん)の間に置き、其れをして過甚(かじん)に至らざらしむべし。是(こ)れも亦(また)時に赴(おもむ)くの政(まつりごと)然(しか)りと為す。


【訳文】
国がよく治まって平和が永く続くと、楽しみ事が多くなるということは、自然の成り行きである。この自然の勢いのおもむく所、それがとりもなおさず天意なのである。男女が集って喜び合い、酒宴を催して歌ったりおどったりするようなことは、いたる所でしている事であって、もちろん禁止することはできない。それを無理に禁止したならば、人心が抑えられ塞って発散する所が無く、必ず隠れてよこしまな事をしたり、または、それが内に凝りかたまって、熱病になったり、腫れ物が生じたりして、その弊害は甚だしいものがある。政治家は、人心の向う所をよく酌みとって適当に処理し、禁ずるような禁じないような状態にして、偏り過ぎないようにすべきである。これもまた、時勢に適応した政治である。


【所感】
国が平和になれば、人民が陽気になるのは当然であって、無理にこれを押さえ込まないことだ。厳しく取り締まれば、かえって法の目をくぐるような行為をしたり、疫病が発生したりする。政治家たるものは、人民に適度な楽しみを与えておくべきで、あまりに厳しく取り締まらないようすべきである、と一斎先生は言います。


この章を読んで、まず頭に浮かぶのは


白河の 清きに魚も 棲みかねて もとの濁りの 田沼恋しき


という狂歌です。


これはご存知のように、白河公こと松平定信公の政治があまりにもクリーンであったために、庶民は窮屈さを感じ、かつての田沼意次時代のダーティな政治(賄賂政治)が懐かしく感じてしまう、という趣旨の歌です。


何事もやり過ぎは偏りを生じ、思いもかけない悪を生みだすことになるものです。


孔子は『論語』の中でこう仰っています。


わく、くに(せい)(もっ)てし、(ととの)うるに(けい)(もってすれば、れて()ずることし。てし、(ととの)うるにてすれば、()ずる(ただ)し。『為政第二篇』より


つまり、国を治めるのに、政令や法律のみによって、統制するのに刑罰をきびしくすれば、民は要領よく免れて何ら恥じることがなくなる。一方国を治めるのに道徳を基本とし、統制するのに礼(慣習法的規範)によれば、自ら省みて過を恥じ、そうして自ら正していくようになる、ということです。


法治政治ではなく、徳治政治こそが大切であるとする儒教の教えに沿った言葉です。


一斎先生のこの言葉も同じ趣旨の言葉でしょう。


組織においてもリーダーは、あまりに厳しくメンバーを管理することは避けるべきです。


小さなことには目をつぶり、徳を磨きつつ、大らかな心で接していくことが求められます。

第73日

原文】
古(いにしえ)は方相氏儺(だ)を為す。熊(ゆう)皮を蒙り、黄金四目、玄衣朱裳(しゅしょう)、戈(ほこ)を執り盾を揚げ、百隷(れい)を帥(ひき)いて之を殴(う)つ。郷人群然として出でて観る。蓋し礼を制する者深意有り。伏陰愆陽(けんよう)、結びて疫気と為る。之を駆除せんと欲する、人の純陽の気に資するに若(し)くは莫きなり。方相気を作(な)して率先し、百隷之に従う。状、恠物(かいぶつ)の若く然り。闔郷(こうきょう)の老少、雑遝(とう)して聚(あつ)まり観て、且つ駭(おどろ)き且つ咲(わら)う。是に於いて陽気四発し、疫気自ら能く消散す。乃ち闔郷の人心に至りても、亦因りて以て懽然として和暢(わよう)し、復(ふたたび)は邪慝(じゃとく)の内に伏鬱(ふくうつ)する無し。蓋し其の戯に近き処、是れ其の妙用の在る所か。


【訳文】
中国の古代で、方相氏という役人が、疫病を取り払う式を行った。役人は熊の皮をかぶり、金色の四つ目をして、黒い衣に赤色の下ばかまを着け、ほこと盾を手にして、多くの部下を従え、疫病の神を打った。村の人々は群り集まって来てこれを見た。思うに、この儀式を周代における礼の制度となしたことには深い意義がある。陽気の中にある陰気と季節はずれの陽気とが結合して悪い気となり、人に病をおこさせる。この悪疫を取り除こうとするには、人間の純粋なる陽気によるにまさるものはない。それで、方相氏がまず陽気を発し、多くの部下が従った。その状態は怪物のようであった。村の老若男女はことごとくごたごたと集って、これを見ては驚きながら笑った。そのために、陽気が四方に発散し、悪疫の神は退散してしまった。全村の人々の心もこれによって喜んでのどかになり、再び悪疫が内にこもらなくなった。思うに、滑稽じみた処が、妙用のある所であろうか。


【所感】
中国の古代において、方相氏という人が疫病を退治するために敢えて民衆から嘲笑をかうような格好をして、疫病神を退治する儀式を行った。これを見た民衆は大いに笑った。ところがこの心から笑うということによって、民衆の中に陽気が起こり、これによって疫病が消え失せてしまった。つまり民衆の心が明るく溌剌としたことで、陰気(疫病)が入り込む余地がなくなったのだ。このように滑稽じみたことがかえって良かったということであろうか、と一斎先生は言います。


この章を読んで真っ先に頭に浮かんだのは、フランスの哲学者アランの名著『幸福論』にある以下の言葉です。


幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ


辛いときこと、まず笑ってみよう。
笑うことで、人間が本来有している陽気を呼び覚まし、内面から健全になろう。そうすれば幸せは後からついてくるものだ、ということでしょう。


この一斎先生の引用した説話の意味することは、方相氏は実際に疫病神を退治したわけではなく、道化役を演じて民衆を笑わせることで、民衆の中にある陽気を呼び覚まし、自然治癒力を高めたということです。


思えばチャップリンの映画も、チャップリンが道化を演じながら、悲しい現実の中に笑いの種を蒔き、観衆の心に明るい火を灯してくれたように思います。


いつも笑顔の絶えない人間であろうとするだけでなく、積極的に道化を演じて笑いを振りまく人でありたいですね。
プロフィール

れみれみ