【原文】
死を畏るるは、生後の情なり。躯殼有りて而る後に是の情有り。死を畏れざるは、生前の性なり。躯殼を離れて始めて是の性を見る。人須らく死を畏れざるの理を、死を畏るるの中に自得すべし。性に復(かえ)るに庶(ちか)からん。
【訳文】
死に対して恐怖をいだくのは、人間が生まれてから後に起る感情である。身体ができてから後に感情があるわけである。死を畏れないのは、生まれる以前の本性である。身体を離れてはじめて、この本性を見ることができる。人が死を畏れないという道理を、死を畏れる中(生後)において、自ら会得すべきである。かくして、本性に復ること(復性)がおそらくできるであろう。
【所感】
死ぬことを恐れるのは、人間がこの世に生れ、身体ができた後に発する感情である。死ぬことを恐れないのは、生まれる前の本性であって、天性が身体を離れた後にこの本性を見ることができる。人間は死を恐れない理性を、この世に生まれた後、死を恐れる中に自ら掴みとるべきである。これは本性に帰ることと同じことである、と一斎先生は言います。
『大学』における、「明明徳(明徳を明らかにする)」、あるいは王陽明先生の謂う「致良知(良知にいたる)」などと同じく、人が生れたときに持っていた本来の心(明徳・良知)に帰ることを説いた章です。
たしかに一斎先生の仰る通り、私たちは生まれ落ちたその瞬間には何も恐れていません。
ところが多くの人生経験を積むうちに、いつしか心(本性)の周囲には様々な塵芥(ちりあくた)が積り、それが死を恐れたり、行動することを躊躇させたりするようになります。
これはスポーツの世界では顕著にみられることです。
たとえば、プロ野球界において、新人時代は恐れるものは何もないとばかりに快投を続けた投手が、次第に一球の怖さを知り、勝ち星から遠ざかっていくというケースは数多く見ることができます。
こうなるとその選手は自信を失い、技術面を必死に磨こうとするのですが、結果は芳しいものになりません。
やはり超一流と言われる投手は、もちろん人の何倍もの努力をした上でのことですが、その上でより一層自分自身を信じ、結果という手に負えない未来を見ず、ただ目の前にある自分の投じる一球という今に魂を込めているのです。
つまり、結果は出てから反省すれば良いという良い意味での開き直りをしているのです。
もちろん小生の所属する営業の世界でもまったく同じことが言えます。
売上という結果を恐れてしまうと、お客様を訪問することさえもが苦痛となってしまうのです。
こう考えてきますと、仕事における結果とは、人生における死と同じものであるように思えます。
つまり、日々今為すべきことに精一杯の力を注いで仕事をすることは、人生において死を恐れなくなるための訓練をしていることになるのではないか。
人は仕事を通して人生を学ぶことができる。
小生は、この章句を味読することで、改めてそんな大切なことに気付くことができました。