【原文】
泰西の説、已に漸く盛んなるの機有り。其の謂わゆる窮理は以て人を驚すに足る。昔者(むかしは)程子、仏氏の理に近きを以て害と為す。而るに今洋説の理に近き、仏氏より甚だし。且つ其の出す所奇抜淫巧にして、人の奢侈を導き、人をして駸駸然(しんしんぜん)として其の中に入るを覚えざらしむ。学者正に亦淫声美色を以て之を待つべし。
【訳文】
西洋諸国の学説が次第に盛んになる兆候がある。その言う所の理を窮めるということは、人々をびっくりさすに十分である。昔、宋儒の程子が、仏教のいうのは理に近いので、それが弊害であると言った。西洋の学説は理に近くて、仏教よりも甚だしい。それは、思いも及ばないほどにみだらで、人々を贅沢にさせ、そして人々をして自然とその中に入れさせてしまうのである。学者は、西洋の学問をみだらな声や美しい女と考えて用心すべきである。
【所感】
西洋の学説は次第に流入し盛んになってきている。その論説は人を驚かせるには充分なものである。かつて宋の儒者である程子(程明道と程伊川の兄弟)は、仏教の説は理に近いために有害であるとした。ところが昨今の西洋の学説は、仏教以上に理に近い。またそれは常識外れかつ淫らなもので、人を贅沢にさせ、いつの間にかその中にどんどんと入り込ませてしまう。学問をする者は、西洋の学説に対しては、美しい声をした美女だと捉えて対応すべきだ、と一斎先生は言います。
小生の古典の読解力では、ここにある「理に近い」という言葉の意図を理解できません。
いくつかの解説を見ても、どれもそのまま「理に近い」と訳されております。
理が真理ということであれば、それに近いことは悪いことではありません。
ここでいう「理」とは、空理空論と理解すれば良いのでしょうか?
昨日の一斎先生のご指摘のように、行動を伴わない知と同じだと捉えておきたいと思います。
昨日の一斎先生のご指摘のように、行動を伴わない知と同じだと捉えておきたいと思います。
さて、一斎先生が亡くなったのは1959年ですから、ペリーが浦賀に来航してから数年後ということになります。
一方この『言志録』が書かれたのは、1813年から1824年ですので、開国よりは30~40年前にあたります。
その時期に既に西洋の学説は、おそらくは長崎を経由して広く入り込んでいたのでしょう。
鎖国時代の日本人にとって、西洋の本に書かれていることは、まったくもって驚きを禁じ得ないものだったはずです。
そしてそれは俄かには信じられない内容であったのも理解できます。
この当時、どんな本が読まれたのかは資料がありませんが、義より利を優先するようなものであったことは予測できます。
それを読んだ一斎先生がこれを読んだら日本人は堕落すると思われたのも無理はないでしょう。
米国の初代日本領事であったハリス提督は開国後にこう言ったそうです。
この国と国民を豊かにし幸せにすると日本を開国させたが本当によかったのだろうか?この国の国民は、たとえ貧しくとも幸せそうである。本当に開国させたことがよかったのであろうか?
2015年の今でさえ、このハリス提督の問いかけに答えることは容易ではありません。
ただし、その後の世界状況を見るならば、日本が植民地化されなかったのは開国の影響であるとすることは間違いないように思います。
それにしても、一斎先生のこの章句は、当に現在の日本を予言していたと見ることができそうです。
その慧眼には敬服するほかありません。