【原文】
敬を錯認(さくにん)して一物と做(な)し、胸中に放在すること勿れ。但だに聡明を生ぜざるのみならず、卻って聡明を窒(ふさ)がん。即ち是れ累(わざわい)なり。譬えば猶お肚中(とちゅう)に塊(かい)有るがごとし。気血之が為に渋滞して流れず、即ち是れ病なり。
【訳文】
敬を誤認して一つの物となし、胸の中に放置してはいけない。賢明な働きができないだけでなく、反対に賢明さをふさぎとざして出さなくしてしまうのである。これが、累(わずらい)というものである。喩えていえば、腹の中(心中)にかたまった物があるようなもので、血液がこのために滞って流れていかないのと同じである。これが病気なのである。
【所感】
敬を重視せずに単なる一物として、胸中に放任していはいけない。ただ聡明になれないだけでなく、愚かになってしまう。これは禍いといえるだろう。例えて言えば体内に大きな塊があって、血液の流れを滞らせている状態、すなわち病と同じだ、と一斎先生は言います。
敬、すなわち己を虚しうして、慎み敬うことを軽視してはいけない。それは病にも似た大きな問題であると、一斎先生はご指摘されています。
病が体に、ひいては命に大きな影響を与えるように、不敬は人間関係を、ひいては人生を甚だしく悪化させるということでしょう。
それほどまでに一斎先生は敬を重要視し、何章にもわたって敬について触れています。
特に意識すべきは、昨日も触れた目下の人や弱者への敬でしょう。
相手の悪い点に目を向けず、良い点を見逃さずに、その良い点に対して敬の態度で接する。
一斎先生が仰るように、これが人生をより良く生きる最良の秘訣なのかも知れません。