【原文】
人は須らく貴賤各おの分有るを知るべし。貴人にして賤者の態を模倣し、賤者にして貴人の事を僭窃せば、吾れ辱(はずかしめ)を之れ招くに非ざれば、則ち菑(わざわい)に之れ及ぶことを知る。
【訳文】
人には貴賤の別があって、各々守るべき分限のあることを知らなければならない。貴い身分の人であって、身分の低く賤しい人の様子をまねたり、賤者が分を越えて貴人のすることを盗み真似るようなことをすると、恥辱を招くことにならなければ、災害を受けることになるであろうと思う。
【所感】
人には皆それぞれに貴賤の別があり、各々が守るべき分限があることを理解すべきである。高貴な人が賤しい人の真似をしたり、おろかにも賤しい人が高貴な人の真似をすることで、恥をかくことになるか、さらにひどい場合には災難に遭遇することさえあることを理解しておくがよい、と一斎先生は言います。
一斎先生は以前にも度々、人にはそれぞれ分限(分際)があるということを仰っております。
昨日の章句にもあったように、天の恵みは求めて得られるものではありません。
同じく地位や名誉や金銭も求めて手に入るものではありません。
人にはある程度分限が定まっているのです。
しかしだからといって、賤しい者は卑屈になり、徳行を放棄するようなことがあってはいけません。
森信三先生は、人にはそれぞれに受け持ちがあるとした上で、以下のように述べられています。
万人いずれも唯一無二、何人にも任せられない唯一独自の任務に服しているわけですが、只(ただ)それに対する十分な自覚がないために、生涯をかけてその一道に徹し、もって国家社会のお役にたつほどの貢献がしがたいのです。
まずは自分の分を弁え、自分の受け持ちをしっかりと自覚することが真の人生の出発点のようです。
はたして小生は自分の受け持ちをしっかりと担えているのか?
はたして小生は自分の受け持ちをしっかりと担えているのか?
まだまだ学び続け、実践していかねばなりませんね。