一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2015年12月

第322日

原文】
人は須らく貴賤各おの分有るを知るべし。貴人にして賤者の態を模倣し、賤者にして貴人の事を僭窃せば、吾れ辱(はずかしめ)を之れ招くに非ざれば、則ち菑(わざわい)に之れ及ぶことを知る。


【訳文】
人には貴賤の別があって、各々守るべき分限のあることを知らなければならない。貴い身分の人であって、身分の低く賤しい人の様子をまねたり、賤者が分を越えて貴人のすることを盗み真似るようなことをすると、恥辱を招くことにならなければ、災害を受けることになるであろうと思う。


【所感】
人には皆それぞれに貴賤の別があり、各々が守るべき分限があることを理解すべきである。高貴な人が賤しい人の真似をしたり、おろかにも賤しい人が高貴な人の真似をすることで、恥をかくことになるか、さらにひどい場合には災難に遭遇することさえあることを理解しておくがよい、と一斎先生は言います。


一斎先生は以前にも度々、人にはそれぞれ分限(分際)があるということを仰っております。


昨日の章句にもあったように、天の恵みは求めて得られるものではありません。


同じく地位や名誉や金銭も求めて手に入るものではありません。


人にはある程度分限が定まっているのです。


しかしだからといって、賤しい者は卑屈になり、徳行を放棄するようなことがあってはいけません。


森信三先生は、人にはそれぞれに受け持ちがあるとした上で、以下のように述べられています


万人いずれも唯一無二、何人にも任せられない唯一独自の任務に服しているわけですが、只(ただ)それに対する十分な自覚がないために、生涯をかけてその一道に徹し、もって国家社会のお役にたつほどの貢献がしがたいのです。


まずは自分の分を弁え、自分の受け持ちをしっかりと自覚することが真の人生の出発点のようです。


はたして小生は自分の受け持ちをしっかりと担えているのか?


まだまだ学び続け、実践していかねばなりませんね。

第321日

原文】
郷愿(きょうげん)一輩の人には、陰徳惜福の説有り。余謂う、徳に陰陽無し。公に之を為すのみ。其の陰徳を好む者は、陽報に待つ有り。若し陽報無きも陰徳必ず為さずして可ならんや。禍福も亦天来なり。竟(つい)に求む可からず。又惜む可からず。仮令(たとい)惜む可くも、亦朝三暮四の算のみ。之を究するに皆天数を揣摩す。断断として不可なり。


【訳文】
偽善者仲間には、人に知れぬように恩徳を施して、幸福を受けるのを惜しむという説がある。自分は思うに、徳には陰も無ければ陽も無い。徳はおおっぴらに行なうがよいのだ。陰徳を好むというのは、陽報(はっきり現われる報い)を待っているのである。もしも陽報がないからといって、陰徳をなさなくてよいだろうか。人間の禍福は天から与えられる所のものであるから、結局、求めたって得られるものではない。また、手放し難いからとて、手もとに置けるものでもない。たとえ惜しんだって、先になるか後になるかの違いだけである。天の運命をあて推量することは、断然よくないことである。


【所感】
偽道徳家連中は、人知れず徳を行ない、福を受けるのを惜しむという説がある。私は思う、徳に陽も陰もない、ただ公に行うだけであると。陰徳を好む人というのは実は明らかな見返りを待っているのだ。もし見返りがなければ徳を行なわなくても良いものだろうか。禍福は天からの授かりものであって、求めたり惜しんだりするものではない。仮に惜しんだところで、朝三暮四すなわち後先の問題にすぎない。結局のところ、天の命を推し量ることは断然よくないことである、と一斎先生は言います。


この一斎先生のお言葉は衝撃です。


本来、儒家の間では陰徳を積むことは良いこととされてきました。


ところが一斎先生は、徳に陰陽などない、ただ公然と行うべきだ、と仰っています。


そもそも陰徳を積む人は、どこかで見返りを求めているものであるが、徳を行なう際に見返りを求めることなどナンセンスであると。


孔子も『論語』の中で、


人知らずして慍みず、亦君子ならずや


あるいは、


人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり


と仰っています。(共に学而第一)


徳を公然と行おうが(陽徳)、人知れず行おうが(陰徳)、それは問題ではなく、徳を行なうべきときは人の眼など意識することなく、己の信念に従って行えばよいのです。


見返りは天からの気まぐれなプレゼントに過ぎないのかも知れません。


結局、徳を積むとは己の良心との戦いなのですね。

第320日

原文】
孔子斉に在りて、韶(しょう)を聞いて之を学び、杞に之(ゆ)きて夏時を得、宋に之きて乾(こんけん)を得、周を観ては往古を感慨し、宋に微服し、陳蔡(ちんさい)に厄し、衛に適(ゆ)き、鄭に適き、に適き、皆意を得ざりき。聖人の学、蓋し力を遠遊・艱難に得るや多し。


【訳文】
孔子が斉の国に赴いて、この国に伝わっている聖王舜が作った音楽である韶(しょう)を聞いて学び、夏の時代を見るために杞の国に赴いては、夏の年中行事を記した夏時という書物を得、殷の時代を見るために宋の国に赴いては、陰陽のことを記した乾(こんけん)という書物を得、さらに周を見てまわっては、昔の盛んな時代と衰微した今の時代を比較して感慨に耽り、人目につかぬよう変装して宋の国に赴き、陳蔡(ちんさい)で殺害されようとした。それから、衛や鄭や楚などに赴いたが、どこにも用いられずに終わってしまった。思うに聖人の学は、遠い所へ遊歴し、艱難辛苦にあって、実力を得たことが多かったのである。


【所感】
孔子が斉の国で韶(古の聖人舜の作った楽)を聞いてしばらく何を食べても味がわからなくなるほど心を奪われ、杞の国に行って夏の年中行事を記した書を手に入れ、宋の国では乾(陰陽の易理を記した書)を得、周を観ては太古の昔を思い、服装を変えて宋を過ぎ、陳蔡で桓魋(かんたい)に殺されそうになり、衛や鄭や楚などの国も訪れたが登用されることはなかった。思うに聖人の学問とは、遠方に赴き艱難に遭うことで磨かれることが多いようだ、と一斎先生は言います。


前章に続き、本章でも『論語』、『礼記』、『孟子』からのエピソードを引用しながら、本当の学びとは遠方へ旅することや艱難辛苦に遭うことで得られるものだ、ということを教えられています。


孔子は、自身のアイドルであった周公旦の築いた礼の諸制度を、今一度乱れ切った祖国魯において復活させることを夢見て、政治の道を志していました。


そして実際に仕官し、現代で言う副総裁の地位にまで登りつめますが、諸外国の謀略によって国の重臣らが女性に現を抜かすのを目の当たりにして失望し、祖国を捨てて諸国歴訪の旅に出ます。


孔子は、他国において、祖国で叶わなかった周公旦の礼制度の再現のために仕官を志しますが、結局用いられず、失意のうちに14年間の諸国漫遊にピリオドを打ち祖国魯に帰国、その後は弟子の教育にその生涯を尽しました。


ある意味で孔子の一生は不遇であったと見ることもできます。


しかし、晩年の弟子達の教育において、この14年間の諸国訪問の中で得た経験と知識を大いに活かされたことを思えば、この流浪の旅も決して無意味ではなかったはずです。


森信三先生も、


逆境は神の恩寵的試練なり


と喝破されております。


小生も多くの失敗を通して、


逆境の後にしか人生の花は咲かない


という教訓を得ました。


逆境を活かすも殺すもすべて己次第だと思います。


しかし古典などを通して人間学を学ばない限り、逆境を活かすことはできず、「なぜ自分だけがこんな不幸な目に遭うのだ」と自暴自棄に陥るのが凡人の性です。


聖人にはなれずとも、逆境に学び、逆境を活かす人でありたいものです。

第319日

原文】
孔子川上に在りて逝く者を嘆じ、滄浪を過ぎて孺子に感じ、舞雩(ぶう)に遊びて樊遅を善しとし、浴沂(よくき)に曾点に与し、東山に登りて魯国を小とし、泰山に登りて天下を藐(かろ)んず。聖人の遊観は学に非ざる無きなり。


【訳文】
昔、孔子が、川の上(ほとり)にいて、水の流れを見て、「逝く者はこのようであるか」といって嘆息し、滄浪(そうろう)の川を過ぎて子供が「水澄めば冠を洗い、濁らば足を洗おう」と歌うのを聞いて感嘆し、雨を祈る場所では門弟の樊遅の質問が修養に適することをほめ、曾点が沂水(きすい)に浴して身を清めるという意見に賛成し、魯の東山に登って魯国を小とし、泰山に登っては天下を小なりとして軽視した。以上の如く、聖人の遊観はどれも学問でないものは無い。


【所感】
孔子が川のほとりで時の流れを嘆じ、滄浪(そうろう)という名の川を過ぎるときに子供の歌に感嘆し、舞雩台での遅の質問を善い質問だと褒め、曾点が沂水(きすい)にてゆあみしたいとの意見に賛成し、魯の東山に登ったときは魯国を小国とし、泰山に登ったときは天下を小なりとした。これらを見てわかるように、聖人の遊観はすべて学問でないものは無いのだ、と一斎先生は言います。


この章は『論語』や『孟子』に出て来る孔子に関するいくつかのエピソードを列記し、それをもって聖人はプライベートにおいても常に学ぶ姿勢を忘れないことを述べたものです。


ここに掲載されたエピソードは、『論語』子罕第九篇、顔淵第十二篇、先進第十一篇、『孟子』離婁上篇、尽心上篇から取られています。


その詳細はここでは割愛しますので、詳細を知りたい方は是非小生が主査する潤身読書会にて共に学びましょう。


さて、現代のビジネスの世界においても、同期や同世代の中で頭角を現わす人というのは、オフの時間を有効に活用し、読書や自己啓発に充てているようです。


小生もよく若い社員さんに対し、「社内にいて仕事をしている時はその質・量ともにそれほど差がないものであり、オフやプライベートでどれだけ自己啓発に時間を割けるかで、将来大きな差がつくものです」という話をします。


読書ばかりでなく、例えば小生のように営業の世界に身を置く者は、プライベートの時には買い手として営業マンに接するケースが多くあります。


このときの営業マンの姿勢からは大いに学ぶところがあるものです。


ところがいざ物を買う時になると、値切って安く買うことばかりに集中して、相対する営業マンのセールストークやプレゼンテーションに注意を払わない人が大半のようです。


聖人君子はプライベートの時間でさえも学ぶ姿勢を崩さないように、優秀なビジネスマンもまたオフの時間を有効に活用しているのです。


オフだからといって、昼まで寝ていたり、一日中遊び呆けているようでは一流のビジネスマンにはなれないよ、という箴言としてこの章を理解してみると、味わい深いものがあります。

第318日

原文】
未だ生まれざる時の我れを思えば、則ち天根を知り、方(まさ)に生まるる時の我れを思えば、則ち天機を知る。


【訳文】
自分がまだ母の胎内にあって生まれなかった時の自分を考えてみると、混沌たる未分の状態であって、こういう状態が天創生の始原であることを知り、また、自分が母胎から生まれ出た時の自分を考えてみると、天の巧なはたらきのあるのを知ることができる。


【所感】
生まれる以前の自分のことを思えば、天根すなわち物を生ずる根元を知り、母胎から生まれ出た自分を思えば、天機すなわち天地万物が生長していく天の妙機を知ることになる、と一斎先生は言います。


非常に難解な章です。


一斎先生は、天と人間の創生は同じ過程を経るものと理解されていたそうです。


人間が生まれる以前には、渾沌とした何もない「無」の状態にあるが、親の胎内に新たな生命が芽生え、この世に生まれでると、ひとりの人間の一生を通して様々な天の妙配を見ることができる。


すべての物がこれと同様に絶対的な無から生じ、天地の力を借りて成長し、やがてまた無の世界へと帰っていく。


考えれば考えるほど不思議なのは、人間が生きている間だけその人間の中に無形でありながら絶対的に存在する記憶や思念は、その人の死と共に跡形もなく消えてしまうことです。


人間の肉体は、死んだ後も有形ですが、記憶や思念は終始一貫無形であり続けます。


こうした人間の記憶や思念は、いったいどのようにして生まれ、どこへと帰っていくのでしょうか?


一斎先生の仰るように、天の妙配を感ぜざるを得ません。


川上正光先生は、この章句の解説の中で王陽明先生の「四言教」を紹介し、以下のような解説をされておりますので、参考までに掲載しておきます。


王陽明の四言教

善なく悪なきは心の体
善あり悪あるは意の動
善を知り悪を知るはこれ良知
善をなし悪を去るはこれ格物

ここに示すとおり、心の本体は宇宙の本義の通り、善もなく悪もない。これが天根である。それが心意が動いて善悪の区別が生じ、その善悪の区別を判断してよく知るのが良知であり、物の性をきわめ、その善をなし、悪を去るのが物事にいたること即ち格物であり、これが天機であるとするのである。


小生のような凡人は、善もなすが悪もなす、というレベルにあります。


格物致知とは、善悪をよく見極め、善だけを為し、悪は決して為さないことである、ということでしょうか。


格物致知については、小生などには大変理解し難いことですが、言志四録の学びを続ける中で、少しずつ明らかにしていければよいと考えております。

第317日

原文】
人は当に自ら母胎中に在る我れの心意果たして如何を思察すべし。又当に自ら出胎後の我れの心意果たして如何を思察すべし。人皆並(ならび)に全く忘れて記せざるなり。然れども我が体既に具われば、必ず心意有り。則ち今試みに思察するに、胎胞中の心意、必ず是れ渾然として純気専一に、善も無く悪も無く、只だ一点の霊光有るのみ。方(まさ)に生ずるの後、霊光の発竅(はっきょう)、先ず好悪を知る。好悪は即ち是非なり。即ち愛を知り敬を知るの由りて出づる所なり。思察して此に到らば、以て我が性の天たり、我が体の地たるを悟る可し。


【訳文】
人は自ら、母胎の中にあった自分の心がどうであったかを考えて見るべきである。また、母胎から出た自分の心はどうであったかを考えて見るべきである。だれでも皆すっかり忘れてしまって記憶してはいない。しかしながら、自分の体はすでに具わっているのであるから、必ず心があるわけである。それで、いま試みに考えてみると、母胎内にあった心は、必ず同じ一つの純粋な気であって、善も無く悪も無く、ただ一つの霊妙な光明(良知・仏性)があるだけである。この世の中に母胎から生まれ出ると、この心の霊光が現われて、まず最初に物の善悪を知りわける。この善悪は、すなわち是非である。それによって愛と敬とを知るに至るのである。考えてここに至ってみると、我が本性は天から受けたものであり、体は地から得たものであることがわかるであろう。


【所感】
人は自ら母胎の中にいた頃の自分の心がどうであったかを思い出してみるべきである。また、母胎から生まれ出た頃の自分の心はどうであったかも思い出してみるべきである。皆完全に忘れていて記憶してはいない。しかし、自分の体がすでに出来上がっていれば、必ず心も備わっているはずである。いま試みに考えてみると、母胎内にあった心は、一つの純粋な気であって、善も無く悪も無く、ただ一つの霊妙な光があるだけである。この世の中に生まれ出ると、この心の霊光が現われて、まず最初に物の善悪を理解する。善悪とは、すなわち是非のことである。この是非こそが愛と敬を知る根源である。思いがここに至ると、私の本性は天から授かったものであり、体は地から得たものであることを悟ることができる、と一斎先生は言います。


これまでにも時折出て来た一斎先生の世界観について書かれた章句です。


今は忘れてしまった胎児および幼少期の自分の心こそが天と一体となった混じり気のない純粋な心であり、この純粋な心の作用によって幼子は自然に親を知り、愛情や敬意を感じていくようになるのだ、と一斎先生は仰っています。


したがって、修養の目的はこの幼子のころの純粋な心を取り戻すためであると言えるのでしょう。


何かを学んで心に付け加えていくのではなく、余分なものを取り除いていく作業こそが重要だということでしょう。


有名な『論語』の章句に、


曽子曰わく、吾日に吾が身を三省す。(学而第一)


とあります。


曽子は一日に何回も自分ことを「省」したのだそうです。


この「省」の字を、安岡正篤先生は、「省みる」と読むだけでは50点であり、「はぶく」という意味があることに気づかねばならないと仰っています。


だから、「かえりみてはぶく」と読むのでなく、「さんせいす」と読むのが良いとされております。


人との交わりの中で、自分がした行為は果して間違いではなかったと反省し、良くなかったこと、やるべきでなかったことを省いていったのが、孔子の孫の子思の師でもあった曽子であったということですね。


学んだはら省いていく、これが本当の修養であり、学ぶ人たちが目指すべきは天と通じ合った幼児の心である。


そう考えれば、


童心に帰る


という言葉の裏には深い真理が隠されていたことにも気づかされます。


第316日

【原文】
人の世を渉るは行旅の如く然り。途に険夷(けんい)有り、日に晴雨有りて、畢竟避くるを得ず。只だ宜しく処に随い時に随い相緩急すべし。速やかならんことを欲して以て災を取ること勿れ。猶予して以て期に後(おく)るること勿れ。是れ旅に処するの道にして、即ち世を渉るの道なり。


【訳文】
人が世渡りすることは、あたかも旅行するようなものである。旅行の途中には、険阻な所もあれば平坦な所もあり、また日によっては、晴天もあれば雨天もある。結局、これらは避けることができない。旅行者は、ただ険易な所、晴雨の時に従って、旅程をゆっくりしたり、急いだりするがよい。あまり急ぎ過ぎて災害を受けてはいけない。また、あまりぐずぐずして予定の期日に後れるような事があってはいけない。これが旅をする仕方であり、また世渡りの道でもある。


【所感】
人が世の中を渡っていくのは旅をすることに似ている。途中には険阻な所や平坦な所がある。また晴れの日も雨の日もあって、結局これを避けることはできない。ただ時と状況に応じて緩急を意識するべきである。急ごうとして禍を被ることのないようにせよ。またゆっくりし過ぎて期日に遅れるようなことがあってもいけない。これが旅の仕方であり、世渡りの道である、と一斎先生は言います。


昔から人生は長い旅に喩えられてきました。


人生、山あり谷あり、と。


この章句を読んで思い出されるのは、徳川家康公が書いたと言われる『徳川家康公遺訓』でしょう。


名文ですので、ここに全文を掲載しておきます。


人の一生は重荷を負うて
遠き道を行くが如し
急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
心に望み起らば
困窮したるときを思い出すべし     
堪忍は無事長久の基
怒りは敵と思え
勝つことばかり知りて
負けることを知らざれば
害その身に至る
己を責めて
人を責めるな
及ばざるは
過ぎたるより勝れり


この遺訓、ならびに上記の一斎先生のことばから読み取ることができる教訓は以下のようなものでしょうか。


1.ありのままを受け入れる。
2.矢印を自分に向ける。
3.少し損をする生き方をする。


この3ヶ条を意識すれば、人生を大過なく過ごすことができるはずです。


それにしても小生は、ほんの最近までこの3ヶ条のすべて逆をやってきたように思います。


つまり、


自分の境遇を歎き、すべて他人のせいにし、少しでも他者より先んじることを意識して生きてきました。


せめてこれからの残りの人生は、上記3ヶ条を心に刻んで生きていきます。 

第315日

【原文】
人生には貴賤有り貧富有り。亦各おの其の苦楽有り。必ずしも富貴は楽しくて貧賤は苦しと謂わず。蓋し其の苦処より之を言えば、何れか苦しからざる莫(な)からん。其の楽処より之を言わば、何れか楽しからざる莫(な)からむ。然れども此の苦楽も亦猶お外に在る者なり。昔賢(せきけん)曰く、
「楽は心の本体なり」と。此の楽は苦楽の楽を離れず、亦苦楽の楽に堕ちず。蓋し其の苦楽に処りて、而も苦楽を超え、其の遭う所に安んじて、而も外を慕うこと無し。是れ真の楽のみ。中庸に謂わゆる、「君子は其の位に素して行ない、其の外を願わず。入るとして自得せざる無し」とは是れなり。


【訳文】
人生には貴賤もあり貧富もある。その各々に苦楽がある。必ずしも富貴であれば楽しく、貧賤であれば苦しいというものではない。思うに苦しいということから言えば、どんな事でも苦しくないことはなく、楽しいということから言えば、どんな事でも楽しくないことはない。しかしこういう苦楽は、心の外にあるもので、心の中から来るものではない。昔の賢人王陽明は、「楽は心の本体である」といった。心の本体である楽は、世間で普通いう所の苦楽の楽からも離れることもなく、また苦楽の楽に堕落するものでもない。思うに、世間のいわゆる苦楽と共にいて、しかもその苦楽の外に超然とし、ただ自己の遭遇する所(運命・境遇)に満足して、何等その外を羨み慕う所のないのは、これが真の楽である。『中庸』に「君子はただ現在の地位・境遇に満足して事を行ない、決して外の事を思い願わない。どんな境遇にいても不満をいうことなく、悠々自適の生活をしていく」とあるのはこのことをいうのである。


【所感】
人の一生には貴賤もあれば貧富もある。その各々に苦楽がある。必ずしも富貴は楽しく、貧賤は苦しいというものでもない。思うに、苦しいという見地から言えば、すべてが苦しくなり、楽しいという見地から言えば、すべてが楽しくなるものである。しかしながら、こうした苦楽は心の外にあるものである。昔の賢人(王陽明)は、「楽は心の本体なり」と言った。心の本体としての楽は、苦楽の楽から離れず、苦楽の楽に堕するものでもない。思うに世間でいう苦楽にあって、しかも苦楽を超越しており、ただ自己が遭遇する状況に満足して、外の世界を慕うこともない。これが真の楽である。『中庸』という古典にも、「君子はその時の地位に甘んじて行動し、自分がどうすることもできない外のことを願わない。どんな境遇に入っても自主自由に道を行なう」とはこれ(真楽)である、と一斎先生は言います。


今の境遇に一喜一憂せず、どんな境地にあっても最善を尽くすことが、真楽(真の楽しみ)である、と一斎先生は仰っています。


一斎先生が引用されている『中庸』の該当部分をもう少し詳しく掲載しておきます。


【原文】
君子は其の位に素して行ひ、其の外(ほか)を願はず。富貴に素しては、富貴に行ひ、貧賤に素しては、貧賤に行ふ。夷狄に素しては、夷狄に行ひ、患難に素しては、患難に行ふ。君子は入るとして自得せざることなし。


【訳文】
君子は自分の当面する位置・境遇において道を行なうに最善をつくし、みだりに他人の境遇をうらやんで、よこしまな行いに陥ることがない。幸いに富み栄えている順境にあっては、よく自分から抑制しておごりたかぶらず、不幸にも貧しくおちぶれた逆境にあっては、自分から卑屈に陥って他人におもねるようなことはない。野蛮人の間に住まなければならないときは、自然に野蛮人をも道に感化させるようにし、万一非常に困難な状態にぶちあたったときは、困難に耐えてとりみださない。このように、君子はどんな境遇に入ろうとも常に自主自由に道を行なうのである。(赤塚忠先生訳)


人は外にあるもの、特に他人との比較によって、自分の境遇を喜んだり憂いたりします。


地位や財産などはその最たるものでしょう。


開国前の日本は決して裕福な国ではありませんでした。


しかし、そこに住む人々は質素な生活を営みながらも、そこに楽しみを見いだし、幸せに暮らしていたと言われています。


開国後に日本を訪れた心ある欧米人の中には、日本を開国させ欧米の文化に触れることが本当に幸せなことだろうかと疑念を抱いたと言います。


そして現在、日本は経済大国になりました。


ところがそこに住む我々は、日々地位や名誉や財産を求めて血眼になっています。


かつての心ある欧米人が感じたとおり、日本はむしろ不幸せな国となってしまったのではないでしょうか?


どんなに高い地位を得ても、定年がくればただの人です。


どんなに財産を貯えても、冥土に持って行くことはできません。


そろそろ過度な競走や他人との比較をやめ、王陽明先生が言った心の本体としての楽(真楽)を取り戻す時期にあるのではないでしょうか?

第314日

原文】
好みて大言を為す者有り、其の人必ず小量なり。好みて壮言を為す者有り、其の人必ず怯愞(きょうだ)なり。唯だ言葉の大ならず壮ならず、中に含蓄有る者、多くは是れ識量弘恢(こうかい)の人物なり。


【訳文】
世の中には好んで大きな事を言う者がいる。そういう人はきまって度量が小さい。また、好んで元気盛んな言葉を口にする者がいる。そういう人はきまって臆病である。ただ口にする言葉が、大きくもなく元気でもなく、その言葉の中に何となく深い意味を含んでいるような言葉を吐く人は、たいていは見識も高く度量も広く大きい人物である。


【所感】
あえて大きな事を言う人がいるが、そういう人は必ず小人物である。あえて意気盛んな言葉を発している人もいるが、そういう人は必ず臆病な人物である。言葉は大き過ぎず、勇まし過ぎもせず、含蓄のあることを話す人は見識も博く、度量も寛大な人である、と一斎先生は言います。


冒頭から小生の心に突き刺さる言葉が発せられています。


小生はどちらかというと大言壮語の傾向がありますが、そんな奴は臆病者の小人物だと看破されてしまいました。


元々儒教においては、行ないより言葉が先に立つことを戒められています。


『論語』の中に面白い件があります。


孔子と弟子の宰我(予)との問答です。


【原文】
子曰わく、始め吾人に於けるや、其の言(ことば)を聴きて其の行(おこない)を信ず。今吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行いを觀る。予に於てか是を改む。(公冶長第五篇)


【訳文】
先師は言われた。
「私は今までは、人の言葉を聞いてその人の行いを信じた。だが今は、その人の言葉を聞いても、その行いを見てから信じるようにしよう。お前によって人の見方を変えたからだよ。(伊與田覺先生訳)


孔子の弟子である宰我(名は予)が昼寝をしていて、孔子にこっぴどくやり込められる場面で孔子が発した言葉です。


宰我は三千人いたと言われる孔子の門下において、言語に優れるとして孔門の十哲(じってつ)に挙げられているほどの人物です。


ただ言葉が巧みなだけに、得てして大言壮語を吐いたり、あるいは敢てとげのある言葉を発する傾向があったようです。


このため『論語』においては4回登場しますが、すべて孔子に叱られているという個性的なキャラクターの持ち主です。


孔子はこの宰我を見て、人物鑑定のやり方を変えたとまで仰っているところが面白いですよね。


ただし、宰我は決して小人物ではないのですが。。。


では、どんな人が良しとされるのか。


『論語』から答えを探してみましょう。


【原文】
剛毅木訥仁に近し。(子路第十三篇)


【訳文】
人の気質には剛といって強くて何物にも屈しないものがあり、毅といって忍耐力が強くて操守の堅固なものがあり、木といって要望が質樸で飾りのないものがあり、訥といって口を利くことが下手で遅鈍なものがある。この四つは皆質が美しくて仁に近いものである。(宇野哲人先生訳)


やはり仁者への道ははるかに遠いようです。。。

第313日

【原文】
域市紛鬧(ふんどう)の衢(ちまた)に跼蹐(きょくせき)すれば、春秋の偉観を知らず。田園間曠(かんこう)の地に逍遥(しょうよう)すれば、実に化工の窮り無きを見る。余嘗て句有りて曰く、「域市春秋浅く、田園造化忙(いそが)わし」と。自ら謂う、「人を瞞する語に非ず」と。


【訳文】
都会のごたごたした騒がしい所で休む間もなくこせこせしていたのでは、春夏秋冬の偉大な自然の眺めは分らない。田園の静かな広々とした所を散歩してこそ、実に造化のたくみの無限であるのが見られる。自分は以前に詠んだ句がある。「町の中にいては、春秋の眺めも人に感動を与えることが少ないが、田園にては造化の神が霊妙な技を振うのに忙しい」と。自分は「この言葉は人を欺くものではない」と思う。


【所感】
都会の喧騒の中でこせこせとしていると、四季の景観の素晴らしさに気づくことができない。田舎の広々としたところを散策してみると、万物生成の窮まりのないことを知るのである。私は過去に歌を詠んで、「都会では四季の変化も目立たぬが、田舎では万物が忙しく生成している」としたが、これは「人をたぶらかすような言葉ではない」、と一斎先生は言います。


昨日に続き大自然に触れる必要性を説かれています。


特に日本には四季という素晴らしい天の恵みがあります。


ところが都会で暮らしていると、単に寒暖の変化だけで季節を感じるということになりがちです。


小生が東京に住んでいた頃、時々地方都市に行くと、空の広さに驚くことがありました。


東京のような都会は超高層ビルが立ち並んでいるため、自分の立っている場所から見上げたときに見える空の範囲は非常に狭いのです。


まして遠くを見渡しても山を目にすることもできませんでした。


今は仕事柄車で高速道路を使って移動をすることも多いため、その車窓から四季を感じています。


日本ほど明確に四季を感じることができる国はありません。


これぞ天の恵みであり、神の恩寵です。


四季を肌で感じる生活をするためにも、四季折々の自然を味わうことを忘れないようにしたいものです。

プロフィール

れみれみ