【原文】
忿熾(いかりさかん)なれば則ち気暴(あら)く、欲多ければ則ち気耗す。忿を懲(こ)らし欲を塞ぐは、養生においても亦得。
【訳文】
怒る心が激しく盛んであれば、気があらくなり、欲望が多ければ、気が無くなってしまうものである。忿怒や欲望を抑制するのは、心の修養でもあり体の養生でもある。
【所感】
怒りが盛んであれば気持ちも荒々しくなり、欲が強すぎると気持ちが消耗する。怒りや欲望を抑えることは、養生としても良いことなのだ、と一斎先生は言います。
安岡正篤先生の『運命を創る』という本の中に下記のような記載があります。
液体空気で冷却したガラス管の中に息を吹き込むと、息の中の揮発性物質が固まり、無色に近い液体になる。その人間が怒っていると、数分後に栗色の滓が管の中に残る。この滓を実験用のネズミに注射すると、必ず興奮し、その人間が激しい憤怒や憎悪を抱いておるものの滓だと、数分で死に至るそうです。
また人間の脳は主語を理解しないとも言われており、相手に対する怒りの言葉であっても、脳は自分への言葉として捉えてしまうという話を聞いたことがあります。
また欲望が多ければ、手に入れられないものを嘆くことも多くなり、その結果として気持ちが落ち込むということも理解できます。
このように怒りや欲望をコントロールできないと、心だけでなく、肉体までもが不調を来たすのだと、一斎先生は仰っています。
ではどうやってコントロールすれば良いのでしょうか?
これについても安岡正篤先生が、以下のような大変興味深いことを述べておられます。(『人間としての成長』より)
余り怒らぬと人間はだれる。
私情はいけないが、公憤は良い。
それよりも自分の不肖に対する怒りは、 大いに発したいものであります。
つまり全く怒らないのではなく、正しい怒りをもつことでバランスをとるということでしょうか。
欲望についても同様に、無欲を目指すのではなく、社会的な欲望を抱けばよいのではないでしょうか?
夢:For me
志:For them
だと言います。
つまり大志を持つことで、私欲を押さえ込むことができるのではないか、ということになります。
小生も気がつけば今年50歳となります。
孔子は五十歳にして天命を悟ったと言われています。
私欲を塞ぐ天命をもって、残りの人生を歩んでいきたいものです。