一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2016年04月

第443日

【原文】
敬忠・寛厚・信義・公平・廉清・謙抑の六事十二字は、官に居る者の宜しく守るべき所なり。


【訳文】
敬忠(尊敬・忠実)、寛厚(心が広くて温厚)、信義(誠実で正しい)、公平(公明正大)、廉清(心が潔白)、謙抑(謙遜して自分を抑制)の六事十二字は、官職にある者よく守るがよい。


【所感】
敬忠・寛厚・信義・公平・廉清・謙抑の六つの事項およびこの十二文字は、官職に就いている者が心して守るべきところである、と一斎先生は言います。


この6つの言葉およびそれを形成する十二文字は、公職に就く人でなくても守るべき事項といえそうです。


小生はこの章を読んで、『論語』学而第一篇にある弟子の子貢が孔子を評した言葉を思い出しました。


【原文】
子禽(しきん)、子貢に問うて曰わく、夫子の是の邦に至るや、必ず其の政を聞く、之を求めたるか、抑(そもそも)々之を與えたるか。子貢曰わく、夫子は温良恭險譲、以て之を得たり。夫子の之を求むるは、其れ諸れ人の之を求むるに異なるか。


【訳文】
子禽が子貢に尋ねた。
「孔先生は、どこの国に行かれても、必ず政治について聞かれるが、これはご自分から求められたものか、それとも先方からもちかけられたものでしょうか」
子貢はこれに対し言った。
「孔先生はお人柄が、おだやかで素直、うやうやしくして行いにしまりがあり、それに謙虚で人に譲るところがあるので、自(おのずか)ら先方から求められたのである。
従って先生が求められるのは、一般の人の求め方と大いに違うように思う」(伊與田覺先生訳)


小生は『論語』のこの章に触れて以来、この温良恭險譲という五つの徳を備えることを意識してきました。


本章で一斎先生が挙げられた六事十二字 とこの『論語』の言葉を比較すると、一斎先生の六事十二字にあって、『論語』にないものとしては、敬忠・信義・公平といった相手に対する態度が挙げられます。


この敬忠・信義・公平という徳目は、特にビジネスを行う上で大変重要な徳目です。


自らは温良恭險譲の徳目を備え、他人に対しては敬忠・信義・公平を旨とする。


まさに君子と呼ばれる人はこうあるべきなのでしょう。


人間が一生勉強せねばならぬ所以です。

第442日

【原文】
事已むことを得ざるに動かば、動くとも亦悔无(な)からん。革(かく)の夬(かい)に在りて曰く、「みぬる日に乃ち之を革(あらた)む」とは是なり。若し其れ容易に紛更(ふんこう)して、快を一時に取らば、外面美なるが如しと雖も、後必ず臍を噬(か)まん。政を為す者、宜しく戒むべき所なり。


【訳文】
已むを得ない事情があってなすことは別に後悔することはない。それで、『易経』革卦(かくか)の六二(りくじ)には「乃ち之を革む。征けば吉にして咎无し」(革むべき好期に革めれば過は無い)とあるのは、この事をいうのである。もしも、革めるべき時期でも無いのに、軽率に改革して、その時だけの快感を得たならば、外面は立派そうに見えても、後になって必ず後悔することであろう。為政者はこの点をよく戒むべきである。


【所感】
やむを得ない状況で動くのであれば、動いて後悔することもない。『易経』革卦(かくか)が変じて卦(かいか)になる時の言葉に「(きじつ)にしてすなわちこれを革む。征けば吉にして咎なし」とあるのはこのことを言うのだ。もしもやみくもに変更をして、一時的な快楽を貪れば、外面的には立派に見えても、後で必ず悔しい思いをするものである。政治を執り行う者は、よく心得て戒めとせねばならない、と一斎先生は言います。


行動するには然るべきタイミングがあるということを教えた章句です。


『易経』革卦の六二にはこうあります。


【原文】
日(きじつ)にしてすなわちこれを革む。征けば吉にして咎なし。


日とは、十干(じゅっかん)すなわち、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の六番目に己があることから、すでに半ばを過ぎているということ、また己は五行では土であり、土の徳は信であることから、信じられて改めるべき時、という意味になるのだそうです。(鹿島秀峰先生)


したがって上記の『易経』の言葉は、


改革を急ぐことをせず、改革を要するよろしくない事態が進み、弊害が顕著になってきて十年の半ばを過ぎた己日にして始めて改革の行動を起こすのである。このように用意周到であるから、進んで行けば吉であって、何の咎もないのである。(鹿島秀峰先生)


となります。


つまり、行動を起こすには様々な条件を検討し、その上で今がベストタイミングだと判断したときだけ行動すべきであって、己の損得から安易に行動を起こせば、一時的にはうまく行っても、長期的には痛い目に逢うということを教えてくれているお言葉だと理解しておきます。


ここでは為政者への箴言(いましめの言葉)として、一斎先生は書き留めておられますが、ビジネスにおいても十分に適用できるお言葉だといえます。


かつて稲盛和夫さんは、第二電電(現KDDI)を事業化するにあたり、大いに悩み、何度も、


動機善なりや、私心なかりしか


と自分に問いかけ、決断を下したのだそうです。


リーダーが重要な判断を下す際には、


動機は善であるか

己の損得のために動くのではないか

然るべきタイミングなのかどうか


という3点をよく分析して行動に移す必要があるということでしょう。


事の大小を問わず、大切にしておきたい箴言です。

第441日

【原文】
攻むる者は余り有りて、守る者は足らず。兵法或いは其れ然らん。余は則ち謂う、「守る者は余り有りて、攻むる者は足らず」と。攻めざるを以て之を攻むるは、攻むるの上なり。


【訳文】
攻撃する側の者には勢力に余裕があり、守る側の者には勢力が十分でない。これは兵法としてはそうであるかも知れないが、しかし自分としては「守る方に余裕があって、攻める方に勢力が十分でない」といいたい。攻めないで、攻める時と同じ効果を挙げるならば、これが攻め方の最上のものといえる。


【所感】
攻める者には勢力に余裕があり、守る者には勢力が不足している。これは兵法においてはその通りであろう。だが私としてはこう言いたい。「守る者には余裕があって、攻める者には余裕がない」と。攻めないでいて、相手を攻めるというのが、最上の攻め方なのだ、と一斎先生は言います。


兵法書の代表といえば、『孫子』です。


この『孫子』形篇にこうあります。


【原文】
勝つ可からざる者は守りなり。勝つ可き者は攻めなり。守るは則ち足らず。攻むるは則ち餘り有り。善く守る者は九地の下に藏(かく)れ、善く攻むる者は九天の上に動く。故に能く自ら保ちて勝ちを全うするなり。


【訳文】
勝てないというのは守備のことであり、勝てるというのは攻撃によるのである。守るのは力が足りないからであり、攻めるのは余裕があるからである。守ることのうまい者は、地下に隠れたかのように姿を見せず、攻めることのうまい者は、天上を動くがごとく軽快に活動する。だから、自分の軍を保全し、勝利を全うすることができるのである。(山井湧先生訳)


自軍の勢力に余裕がないときはひとまず守りを固め、勢力に余裕があれば一機果敢に攻める、というのが兵法におけるセオリーだと言えましょう。


ところが一斎先生は、力に余裕があるならば敢えて無理をせず、相手を誘い出して攻めさせるのが上策だと仰っています。


強者は静、弱者は動


を基本的なスタンスとすべきということでしょう。


つまり、戦わずして勝つというスタンスです。


たしかにビジネスにおいても、マーケットリーダー(強者)は資金や営業力が潤沢であるため、競合会社(弱者)を先に動かせておいて、その動きに応じて臨機応変に対処することで勝利を治めます。


相手を誘い出し、資金と兵力を消費させ、枯渇したところで一気に攻勢に転じるということです。


もちろん、先手必勝というセオリーもありますが、やはり動くということには常にリスクが伴うものです。


守るべきか攻めるべきか?


これは、リーダーが下すべき最も重要な決断であり、この決断だけは他者に委ねてはならないということは常に心しておかねばなりません。

第440日

【原文】
遠きに行(や)り後に伝うるは、簡牘(かんとく)に如くは莫し。一時応酬の文字と雖も、必ず須らく慎重にして苟且(こうしょ)にす可からず、写し訖(おわ)りて審読(しんどく)一過して、而る後に封完(ふうかん)すべし。余嘗て人の為に硯蓋(けんがい)の銘を作りて曰く、「言語或いはあやまつも、猶お形迹(けいせき)無し。簡牘は慎まずんば追悔(ついかい)すとも革(あらた)め叵(がた)し」と。此の意を謂うなり。


【訳文】
遠く離れた人に送ったり、後の世に伝えるには、手紙や書き物にまさるものはない。それだから、一時的なその場かぎりのやりとりする手紙でも、必ずよく注意して認(したた)め、決しておろそかにしてはいけない。草稿を写し終えたならば、よく注意して一度読んでから、完全に封をするようにすべきである。自分は以前に人から依頼されて硯の蓋の銘を書いたが、その銘は「言葉は時には誤っても跡が残らないが、手紙や書き物はいつまでも後に残るものであるから、慎重に書かないと、後で悔いても改め難いものである」という意味のことであるが、これは、上述の書き物はよく注意すべきであるということをいったものである。


【所感】
遠くにいる人に送ったり、後世に伝え残すのに、書き物にまさるものはない。一時的なやり取りであっても、必ずや慎重に取り扱い、疎かにしてはいけない。書き終えた後は、しっかりと読み返して、その後に封をするべきである。私はかつて人のために硯蓋(すずりぶた)に銘を書いたことがあるが、そこにはこう記したのである。「言葉は時に誤ったとしても形跡が残らない。ところが書き物はよく注意して書かなければ後悔の念を持っても改めることはできない」と。それはこのことを言ったものなのだ、と一斎先生は言います。


昨日は、まずしっかりと草稿することの大切さを教えて頂き、今日は草稿を清書する際には慎重に書くこととよく見直すことを教えられています。


以前にもご紹介しましたが、小生は師匠から、


言葉は釘と同じである


と教えられました。


釘は打ち間違えれば、抜き取ってもそこに釘穴が残るように、言葉も一度発してしまえば、仮に訂正したとしても相手の心にしっかり残ってしまいます。


ましてや手紙となれば文字として残り、もし言葉を誤れば、相手が読み返すたびに心に傷を与えてしまうことになります。


そうならないためにも、見直しをすることはとても重要です。


しかし、人間の脳は簡単にだまされてしまいます。


自分の中でそのつもりで書いていれば、字を間違ったり、表現に不適当なところがあっても、そのまま正しく読み替えてしまうという習性があります。


よって、本当に大切な文書を書く場合には、ダブルチェックで他人に見てもらうことをお奨めします。


また日頃から「客観的に見直す」という意識を持って自分の書いた文章を読むことも大切です。


小生は現在、勤務先の営業さん約80名の日報を毎日読んでいます。


この半年間(4月~9月)は徹底的に誤字・脱字のチェックをする、不適当な表現を訂正するということをテーマのひとつとして日々フィードバックをしております。


もちろん日報はデジタルです。


つまり、この一斎先生の教えは、現代のようなメール文化においても適用できますし、またメールという気軽に送れるコミュニケーションツールだからこそ、送信ボタンを押す前に、慎重に再読することが必要なのではないでしょうか。

第439日

【原文】
火急に文書を作るには、須らく必ず先ず案を立て稿を起して、而る後、徐(おもむ)ろに更(あらた)め写すべし。卻って是れ成ること速やかにして悞(あやまり)無し。


【訳文】
大急ぎで文書を作成する場合には、必ず最初に腹案を立てて草稿を書いてまとめ、それから改めて徐々に写すようにしなければいけない。このようにすれば、かえってでき上りも早くて誤りも無い。


【所感】
緊急で文書を作成する場合には、すべてまず素案をつくり草稿を書き起こして、その後少しずつ修正しながら書き写すのが良い。この方が結局早くて正確な文章となる、と一斎先生は言います。


急がば回れ、ということでしょう。


相手に伝わる文章を書く際の基本的な構成は、


結 → 起 → 承 → 転 → 結


だと、師匠より教えられました。


つまり、まず最初にオチをしっかりと作りこまなければいけないということです。


結論への落とし込みが決まれば、起・承・転の部分は意外にすらすらと書けるものではないでしょうか。


さて、世の中には最初から手をつけないと気がすまないという人がいます。


たとえば、学生時代にテストを受ける場合など、一問目から順番に回答しないと落ち着かないというタイプです。


実は小生がそれでした。


この場合、もし一問目に難問が配置されていたら、そこで時間を食ってしまって、すべてを回答できずに終わるということになり兼ねません。


文章も同じで、構成も掛けずに最初から書き出せば、あとで書きたいことが出てきたり、書きたいことを書き忘れたりで、結局膨大な時間を要することになります。


まず草案を作成し、オチを決め、書きたいことをブロック(かたまり)としていくつかピックアップし、書きたいことが出尽くすまで粘り、最後にそのブロックを座りのよい配置に並べ替えてオチにつなげる。


結局これが効率よく、相手に伝わる文章を書くための秘訣なのだ、と一斎先生はアドバイスをされています。


そしてこれはスピーチにおいても、そのまま当てはまることだということも覚えておく必要があります。
プロフィール

れみれみ