一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2016年06月

第504日

【原文】
吾人の工夫は、自ら覔(もと)め自ら覰(うかが)うに在り。義理混混として生ず。物有るに似たり。源頭来処を認めず。物無きに似たり。


【訳文】
われわれの精神修養の工夫は、自分自らが求めて体認することにある。かくして、正しい道理が、あたかも水が混々と流れ出るように出て、そこに何物かが存在するようである。しかしながら、その源がどこにあるのかがわからないので、何物も無いように思われる。


【所感】
私たちの学問の工夫は、自ら求め、考究することにある。世の中の正しい道理は水が湧きだすように次々と生じている。まるで何物かが存在しているようであるが、その始源の場所は見つけることができない。まるで何物も存在していないようである、と一斎先生は言います。


人は生まれながらに天から正しい性を与えられているといいます。


中江藤樹先生はそれこそが「良知」であり、学問の工夫は「致良知」すなわち「良知を致す」ことにあるとおっしゃっています。


ここで一斎先生が述べておられることも同様のことでしょう。


自分が踏み行う道は、外界に見い出すのではなく、自らの心に求め、探求していくことでしか極められないということです。


とはいえ、良知を致すためには、それなりの準備が必要です。


ただ闇雲に模索してもたどり着けるものではないでしょう。


その準備こそが古典を学ぶことなのだと小生は理解しています。


古典を学び、己の心に本来あるはずの正しい性(良知)を目覚めさせ、正しい道を淡々と実践していく。


それこそが人間が天から与えられた使命なのかも知れません。

第503日

【原文】
曾晳は齢老ゆ。宜しく老友を求むべし。卻って冠童を求め、幽寂を賞せずして、卻って豔陽(えんよう)を賞す。既に浴し且つ風するも、亦老者の事に似ず。此等の処、須らく善く狂者の心体を討(たず)ね出すべし。


【訳文】
曾晳は既に老境(当時は四十歳頃)に入っていた。それで、老人の友達を求めるのがよいのに、若い者を連れ出し、老人の好む静寂さを愛せずに、かえってはなやかな晩春の景色を愛で、沂(き)の温泉に入浴し、舞雩(ぶう)の高台で涼風に吹かれるなど、老人のすることではない。曾晳がこのようなことをしたのは、志が大きくて、進取の気象のある狂者の心の持主というべきである。


【所感】
曾晳は老齢に達していた。それゆえ本来なら老友を求めるべきところを、友に若者を求め、ひっそりとした静けさを愛さずに、はなやかな晩春の時節を愛した。ゆあみして夕涼みをするのも、また老人のすることではない。こうしたことから、曾晳には狂者の心があることを探求せねばならない、と一斎先生は言います。


昨日の『論語』先進篇に対する一斎先生の解釈の続編です。


曾晳はあの曾子(曾参)の父親で、孔子の弟子だった人です。


曾子の父親ですから、それなりに立派な人だったのでしょう。


『論語』先進篇の言動からも、老いてなお若者を感化しようとする意図があったことが窺われます。


孟子の評価は狂者であったとしても、老いて尚若者を感化せんとする曾晳には頭がさがります。


小生の周囲にも、老いて益々輝き、若い人たちの素晴らしいお手本となっている方が幾人か居られます。


まさに、老いて衰えない方々です。


そうした方とご縁をいただいたことで、小生自身も老後を楽しみに思えるようになりました。


小生も、『論語』を楽しく語るおじいちゃんとして、若者に刺激を与える存在でありたいと願っています。

第502日

【原文】
狂者は進みて取り、狷者は為さざる所有り。子路・冉有・公西華は、志進取に在り。曾晳は独り其の撰を異にす。而るに孟子以て狂と為すは何ぞや。三子の進取は事に在り。曾晳の進取は心に在り。


【訳文】
狂者は、志が大きくて粗放ではあるが進取の気象がある。狷者は、頑固で恥を知って不義なことはしないが、進取の気象に欠けているといわれている。ところが、孔子が門人の子路・冉有・公西華ならびに曾晳(そうせき)に各自その抱負をいわせたところ、前三者は進取的であったが、ひとり曾晳だけは「晩春の好時節に春服に着換えて、青年や童子を連れて郊外に散歩し、温泉に浴し涼風に吹かれ、歌でも詠じながら帰って来たい」といったのに対して、孔子は「わしも曾晳の仲間入りをしたい」と賛成した。しかるに、孟子が曾晳を前三者と同様に狂者といったのはどういうことであろうか。前三者の進取というのは事柄上でのことであって、曾晳の進取というのは心の上でのことである。


【所感】
『論語』に「狂者は進みて取り、狷者は為さざる所有り」とある。孔子の弟子の子路・冉有・公西華は、その志が進取の気象に富んでいたが、同じく孔子の弟子の曾晳だけは少し違った意見を持っていた。それにもかかわらず孟子が曾晳を狂者としたのは何故であろうか。それは、前三者の進取の気象は事柄の上のことであり、曾晳の進取の気象は心の上のことにあったということであろう、と一斎先生は言います。


ここは『論語』がベースの話題となっています。


まず子路篇から掲載します。


【原文】
子曰わく、中行(ちゅうこう)を得てこれに與(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者(きょうしゃ)は進みて取り、狷者(けんしゃ)は為さざる所あるなり。


【訳文】
先師が言われた。
「中道を歩む人と交わることができなければ、必ず狂狷の人と交わりたい。狂者は、高い目標に向って、まっしぐらに進もうとする者であり、狷者は、節操が固く悪いことは断じて行わない者だからである」(伊與田覺先生訳)


続いて、比較的有名な先進篇にある師弟問答のシーンです。かなりの長文ですが全文を掲載します。


【原文】
子路、曽皙、冉有、公西華、侍坐す。
子曰わく、吾一日爾(なんじ)より長ぜるを以て、吾を以てすること無かれ。居れば則ち曰わく、吾を知らずと。如(も)し爾を知る或(あ)らば、則ち何を以てせんや。 子路率爾(そつじ)として對(こた)えて曰わく、千乘の國、大國の間に攝(はさ)まれて、之に加うるに、師旅を以てし、之に因るに飢饉を以てせんに、由や之を為(おさ)めて、三年に及ぶ比には、勇有りて且つ方(みち)を知らしむべきなり。夫子之を哂(わら)う。 求、爾は何如。對えて曰わく、方六七十、如(もし)くは五六十、求や之を為め、三年に及ぶ比には、民を足らしむべきなり。其の禮楽の如きは、以て君子を俟(ま)たん。 赤、爾は何如。對えて曰わく、之を能くすと曰(い)うには非らず。願わくば学ばん。宗廟の事、如くは會同に端章甫して願わくは、小相たらん。 點、爾は何如。瑟(しつ)を鼓(ひ)くこと希なり。鏗爾(こうじ)として瑟を舎(お)きて作(た)ち、對えて曰わく、三子者の撰に異なり。 子曰わく、何ぞ傷まんや、亦各々其の志を言うなり。曰わく、莫春(ぼしゅん)には春服を既に成り、冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞雩に風じて、詠じて帰らん。 夫子喟然(きぜん)として歎じて曰わく、吾點に與(くみ)せん。三子者出ず。    曽皙後れたり。曽皙曰わく、夫の三子者の言は何如。 子曰わく、亦各々其の志を言えるのみ。曰わく、夫子、何ぞ由を哂うや。 曰わく、國を為むるには禮を以てす。其の言譲らず。是の故に之を哂う。唯(こ)れ求は則ち邦に非ずや。安(いずく)んぞ方六七十如しくは五六十にして邦に非ざる者を見ん。唯れ赤は則ち邦に非ずや、宗廟會同は諸侯に非ずして何ぞや。赤や之が小相たらば敦(たれ)か能く大相たらん。


【訳文】
子路、曽皙、冉有、公西華、が先師のお側でくつろいでいた。
先生が言われた。
「私がお前たちより少し年上だからとて、遠慮はいらない。お前たちは、平生よく自分を知って挙げ用いてくれないと嘆いているが、若し知って用いてくれたら、どういうふうにするかね」
すると子路はいきなり答えて言った。
「千乗の国が、大国の間に挟まれて、戦争をしかけられ、その上に飢饉が起こって困窮している時に私が治めたら、三年に及ぶころには、勇気があって更に人の道を知らせることができます」と、先師がにやっと笑われた。
次いで「求(冉有)お前はどうかね」と尋ねられた。
求はこれに答えて言った。
「六七十里、或は五六十里四方程度の国でしたら、私が治めて三年に及ぶころには、人民の生活を安定させることができます。礼楽というようなことになりますと高徳の人にまたなければなりません」
更に「赤(公西華)お前はどうかね」と先師が尋ねられた。
赤は「私は充分できるというのではありませんが、礼楽を学んで宗廟の祭りや、諸侯の会合の時、礼服や礼冠をつけて補佐役くらいの役目につきたいと思います」と答えた。
最後に「點(曽皙)お前はどうかね」と尋ねられた。
彼は大琴を時々思い出したようにひいていたが、かたっと大琴を床において立ち上がり「私は三人の意見とは違いますので」とためらって言った。
先師は「ただ皆がそれぞれの志を気楽に言ったまでだから何も気を遣うことはいらないよ」と言われた。
そこで彼は、「晩春のよい季節に新しく仕立てた春服を着て、青年五六人少年六七人と沂の川のほとりでゆあみをして、舞雩台の涼しい風にあたり、詩を歌いながら帰りたいものだと思うくらいであります」と答えた。 先師はああと深いため息をつかれて言われた。
「私は點の意見に賛同しよう」
三人が出て行き、曽皙が後に残った。
彼は先師に「あの三人の言ったことをどうお聞きになられましたか」と尋ねた。
先師は言われた。
「ただそれぞれが自分の志を遠慮なく言ったまでのことだ」
彼は「それではどうして由を笑われたのですか」と重ねて尋ねた。
先師が答えられた。
「国を治める上に於いては礼が大切であるが、由の言葉には、へりくだりやゆずるところが感じられなかったので笑ったのだよ。求の場合も国を治めることを言ったのではないか。どうして方六七十里もしくは五六十里で国でないものがあろうか」
「遠慮はしているがね。赤の場合も同じことではないか。宗廟や会同の儀式は国の大事な行事である。これもまた国の政治だよ。赤は大変謙遜して補佐役ぐらいのところを引き受けたいと言っていたが、彼が補佐役だったら、誰も彼の上に長官になれる者はないだろう」(伊與田覺先生訳)


小生が大好きな子路をはじめとする三人の弟子は、政治についての志をそれぞれの性格を前面に出して述べたのに対し、曽皙だけは心のやすらぎについて触れ、それが孔子の心を打ったというシーンです。


一見すれば、前三者は進取の気象があるが、曽皙 にそれがないかのように思われます。


しかしながら、孟子は『孟子』尽心下篇で、曽皙も狂者であるとしています。


一斎先生はその解釈として、前の三者は政治という事柄において新しい境地を開きたいとしたが、曽皙も自分の心境の面で新境地を開きたいとしているのであるから、どちらも進取の気象に富んでいるのだと説明されています。



ところで本来は、狂者とは行いはともわないがきわめて志が高い人であり、者は知識は足りないが節操に固い人を指します。


孔子も本当なら中庸の人が良いのだが、そういう人がいないならばという条件をつけた上で狷の人と交わりたい、と述べられています。


そんな見地から見れば、ここに挙げた四人の弟子たちはまだまだ孔子に比較すると巧言令色であるとも言えそうです。

第501日

【原文】
学を為すの緊要は、心の一字に在り。心を把りて以て心を治む。之を聖学と謂う。政を為すの著眼(ちゃくがん)は情の一字に在り。情に循い以て情を治む。之を王道と謂う。王道・聖学二に非ず。


【訳文】
学問をするのに最も大切なことは、心という一字にある。自分の心をしっかり持って、心を修養していくのを聖人の学(儒学)というのである。国を治めていくのに第一に眼を著けなければならない点は、情という一字にある。仁愛の情に従って治めていくのを王者の政道というのである。この王者の政道と聖人の学とは一つであって二つではない。


【所感】
学問をする上で最も大切なものは、心の一字にある。自分の心をしっかりと把握して、心を修養する。これを聖人の学(儒教)という。政治を行う上で最も着目しなければならないのは、情の一字である。人情の機微にしたがって人の情を治めていく。これを王道という。王道も聖人の学もその実はひとつであって二つのものではない、と一斎先生は言います。


孔子もこうおっしゃっています。


【原文】
子曰わく、古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。(憲問第十四)


【訳文】
先師が言われた。
「昔の学んだ人は、自分の(修養)のためにしたが、今の学ぶ人は、人に知られたいためにしている」(伊與田覺先生訳)


本来、学問とは自分自身の修養のためにあります。


そしてその目的は己の心を磨くことです。


一方、政治を行う目的は天下の民を安らかにすることです。


それはすなわち人々の情を裕にすることではないでしょうか。


そうだとすれば、学問と政治との違いは、自らの心を治めるか、人の情を治めるかの違いであって、まったく別のことではないのだ、と一斎先生はおっしゃっているのでしょう。


ところで王道政治とは徳と礼で治める政治であり、これに対して覇道政治とは法と刑とで治める政治をいいます。


本来人の心情を治めることが政治の目的であるなら、王道政治が理想であることは疑いようがありません。


そしてそれはマネジメントにおいても同じでしょう。


リーダーはまず己の心を磨き、メンバーの情を裕に保つようなマネジメントを心がけねばなりませんね。

第500日

【原文】
濂・洛復古の学は、実に孔孟の宗と為す。之を承くる者、紫陽・金谿及び張・呂なり。異同有りと雖も、而も其の実は皆純全たる道学にして、決して俗儒の流に非ず。元に於いては則ち静修・魯参(斎?)、明には則ち崇仁・河東・余姚・増城、是れ其の選なり。亦各々異なる有りと雖も、皆一代の賢儒にして、其の濂・洛に遡洄(そかい)するは則ち一なり。上下千載、落落として唯だ此の数君子有るのみ。吾取りて之を尚友し、心に楽しむ。


【訳文】
濂渓の周茂叔(号濂渓)と洛陽の程明道・程伊川兄弟らによる復古の新儒学は、実に孔子や孟子を宗(もと)としている。これを承け継ぐ者は、南宋の朱晦庵(紫陽)や陸象山(金谿)および張南軒・呂祖謙などである。これらは異同があるけれども、純然たる道学(新儒学)であって、決して平凡な学者ではない。元代においては、劉静修と許魯斎、明代においては、呉康斎・薛敬軒・王陽明・湛甘泉などがその代表である。これらは各々異なる所があるけれども、皆その時代のすぐれた儒学者であって、宋学の祖、周濂渓や二程子にさかのぼれば、その源流は一つである。過去千年の間、かかる儒学者はまばらであって、ただ数君子がおるだけで実にさびしい。自分はいま挙げたこれらの古人(諸儒)を友とすることによって、心に楽しみを得ている。


【所感】
周敦頤(とんい)と程明道・程伊川兄弟らによる儒学の新しい解釈は、孔孟の宗旨を伝えたものといえる。それを受け継いだのは朱熹や陸九淵および張南軒・呂祖謙であった。これらの学問の間には相違点もあるが、みな純粋に儒学に新たな息吹を与えており、いわゆる俗儒ではない。元代においては、劉因と許衡、明代においては、呉康斎・薛敬軒・王陽明・湛甘泉などが優れている。彼らも相違点はあれども、周敦頤や程兄弟を淵源としている点では一致している。千年もの間、こうした学者はまばらで、わずかに数人の君子がいるのみである。私はこれらの古人を友として、心に楽しみを得ている、と一斎先生は言います。


儒学再興の立役者が列記されています。一斎先生から更に150年程を経た現代においては、手軽に学ぶことができるのは、朱熹と王陽明の二先生くらいでしょうか。


あくまでも個人的な自負ではありますが、今は小生も儒者の端くれだと思っております。そういう意味でも朱熹と王陽明の二氏の思想を学び、実践していく所存です。


一斎先生の思想を足がかりに、朱子学については山崎闇斎先生、陽明学については中江藤樹先生などを中心に学んでいくという予定でおります。


ところで、小生にはこれら先人を批評するだけの学もありませんので、尚友と呼ぶにはおこがましい所もありますが、孔子と森信三先生を秘かに心の師として私淑しております。


生き方や仕事の進め方で迷ったときに、その判断のヒントを求めるのは、いつも『論語』と『修身教授録』の2冊です。


こうして『言志四録』を読んできて、あまり雑多な読書をしている時間も暇もないことを痛感しております。今は古典を中心とした読書を自らに課して、日々精進しております。


さて、これにて『言志後録』は終了となります。


明日からは、『言志晩録 』に入っていきます。

第499日

【原文】
先賢には補天浴日の大事業有り。其の自ら視ること漠然として、軽靄(けいあい)・浮雲の如く然り。吾れ古に其の人有るを聞く。今は則ち夢寐のみ。


【訳文】
昔の賢人の中には、国家に大きな功労のある大事業をなした人もいた。みずからは、それをあたかも軽いもやや浮き雲のような漠然とした気持で見ていて、大した事業をしたとも思っていない。自分は昔そのような人がいたことを聞いている。今ではそのような人は、夢のような話でとても見られない。


【所感】
昔の賢者には天下に大きな功労のある大事業を行った人がある。彼らはそのことを特に気にかけもせず、まるで軽いもやや浮雲を見るかのようになんでもないこととしている。私は昔そうした人がいたと聞いている。今はそうした人には夢でしか会うことはできない、と一斎先生は言います。


本物の聖人君子は功を誇らないのだ、というメッセージでしょう。


普通の人間は、自分の実績に対しての評価や名声を気にするものです。


孔子は、「五十にして天命を知る」とおっしゃっていますが、天命とは、それを実行することが自分に対する天からの使命だということですから、一斎先生が言われるように、仮にその使命を成就したところで、それは当然のことであって功を誇るような気持ちにはならないものなのかも知れません。


考えてみれば、天命であるなら、そこに一所懸命に尽くせるだけで幸せなことであり、周囲の評価などはおまけみたいなものに過ぎないのでしょう。


ところで凡愚な小生は、もうすぐ五十を迎えるというのに、未だ周囲の評価に一喜一憂している始末です。


修養とはそうした気持ちを押さえ込むためにするものではなく、一所懸命に尽くせる天命を見出すためにするものなのかも知れません。

第498日

【原文】
三不朽は必ず徳に本づく。徳有る者は必ず言有り。是れ徳立てば則ち言立つを知る。徳は惟れ政(まつりごと)を善くす。是れ徳立てば則ち功立つを知る。吾之を古人に求むるに、此の三者を兼ねしは、幾人も見ず。苟くも之れ有らば、吾将に尚友に之れ暇あらざらんとす。尚お何ぞ其の小疵(しょうし)を問わんや。是れ我が志なり。


【訳文】
立徳・立功・立言の三つの永久不滅なものは、必ず徳に基づいている。『論語』に孔子が「徳の具わった人には必ず立派な善い言葉がある」といっている。これによって、徳が立てば言も立つことがわかる。また、徳が具わっておれば善い政治が行われる。これによって、徳が立てば功も立つことがわかる。自分はこのような人を古人に求めてみても、この三者を兼ね具えた者は、幾人も見ない。もしも、そのような人がおるならば、自分はその古人を友とするのに、他の事をする暇が無くなるであろうと思っているから、どうして、わずかな欠点などは問題にしようか。これが自分の志望なのである。


【所感】
立徳・立功・立言という三つの永久に価値のあることは、すべて徳に基づいている。孔子も「徳有る者は必ず言有り」と言っている。これは徳がある人には必ず善い言葉を言うということである。『書経』にも「徳は惟れ政を善くす」とある。これは徳があれば(政治という)成果も上がるということである。私はこのことを古人に求めてみたが、この三者をすべて兼ね備えている人はほとんどいない。仮にもこの三者があれば、その人を尚友として片時も離れる暇などない。どうして小さな欠点などを問題にしようか。これこそ私の志である、と一斎先生は言います。


三不朽すなわち立徳・立功・立言とは、『春秋左氏伝』の襄公二十四年にある言葉です。


【原文】
豹之を聞く、大上(たいじょう)は徳を立つる有り。其の次は功を立つる有り。其の次は言を立つる有り。久しと雖も廢せず。此を之れ不朽と謂ふ。


【訳文】
わたし(穆叔;叔孫豹)の聞いておりますことでは、最上の徳をそなえた聖人は立派な徳を立てて世に残し、その次の大賢は立派な功績をあげて世に残し、その次の賢人は立派な言葉を世に残すもので、それはどんな後世となりましてもすたれることがなく、こうした三つのことを不朽というのです。(鎌田正先生訳)


同じく原文に引用されている孔子の言葉は、『論語』からの引用です。


【原文】
子曰わく、徳有る者は必ず言有り。言有る者は必ずしも徳有らず。仁者は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁有らず。(憲問第十四)


【訳文】
先師が言われた。「有徳の君子は、必ずよいことをいうが、よいことをいう者が必ずしも徳があるとは限らない。仁者は必ず勇気があるが、勇者は必ずしも仁があるとは限らない。(伊與田覺先生訳)


さらに引用されている『書経』大禹謨の該当部分も掲載しましょう。


【原文】
禹曰く、於(ああ)、帝、念(おも)わん哉。徳は惟(た)だ政(まつりごと)に善きなり。政は民を養うに在り。


【訳文】
禹が云った。「おお、帝よ。よく心に留められて下さい。君主の徳というのは、ほかでもございません。正しく政治をやってゆくことなのです。その政治の眼目は、人民たちを養ってゆくことにあります。(尾崎雄二郎先生他)


一斎先生は、三不朽のうち、徳を立てることが基本であり、徳が立たずして功を成したり、言を立てたりすることはできないのだ、と解説をされています。


かつて孔子は、弟子の宰我に対して、「お前という存在によって、私は言動だけで人を信じることをやめた」と厳しい指摘をされています。


世の中には言動だけの人、あるいは不義にして地位を得た人も存在するのは事実です。


しかし、こうした人は長くその地位を保つことはできません。


あるいは当人は死ぬまでメッキを剥がされることがなかったとしても、後世の子孫にそのツケは回って来るものだとも言われます。


ホンモノの人間であるためには、徳を立てねばなりません。


徳を立てるためには、古典を学び、自ら実践修得していくより道はありませんね。

第497日

【原文】
一善念萌す時は、其の夜必ず安眠して夢無し。夢有れば、則ち或いは正人を見、或いは君父を見、或いは吉慶の事に値(あ)う。周官の正夢・喜夢の類の如し。又一妄念起る時は、其の夜必ず安眠せず。眠るとも亦雑夢多く、恍惚変幻、或いは小人を見、或いは婦女を見、或いは危難の事に値う。周官の畸夢・懼夢の類の如し。醒後に及びて自ら思察するに、夢中見る所の正人・君父は、即ち我が心なり。吉慶の事は、即ち我が心なり。皆善念結ぶ所の象なり。又其の見る所の小人・婦女も亦即ち我が心なり。危難の事も亦即ち我が心なり。皆妄念の結ぶ所の象なり。蓋し一念善妄の諸(これ)を夢寐(むび)に形わす、自ら反みざる可けんや。死生は昼夜の道なり。仏氏の地獄・天堂の権教を設くるも、亦恐らくは心の真妄を説くならん。此の夢覚と相彷彿たる無きを得んや。


【訳文】
一つの善い思いが出始めた場合には、その夜は安眠して少しも夢を見ることが無い。夢を見たにしても、それは心の正しい人を見るか、主君や父を見るか、喜び事を見るかである。これは『周礼』にある六夢中の正夢や喜夢のようなものである。また、一つの妄(みだら)な思いが起った場合には、その夜は必ず安眠ができないので、眠っても雑夢を見ることが多く、ぼんやりとして現れたり消えたりし、つまらない人物を見たり、婦人を見たり、災難に遇ったりした夢を見たりする。これは『周礼』にある六夢中の噩夢(がくむ)や懼夢(くむ)のようなものである。醒めてから考えてみると、夢の中で見た心の正しい人や主君や父などは自分の心であり、喜び事も自分の心である。これらは、総て善念が結び合う心的現象なのである。また、夢で見たところのつまらない人物や婦人もまた自分の心であり、災難に遇った事も自分の心である。これらは、総て妄念が結び合う心的現象なのである。思うに、一念の善・悪が夢に現れるのであるから、よく反省しなければいけない。死と生は、あたかも昼と夜のようなものである。仏教が地獄や天上界という方便的な教えを設けたのも、おそらく心の真と妄を説くためのものである。これは夢の感覚とよく似ているようである。


【所感】
自分の心に善い思いが兆したときには、その夜は安眠でき夢を見ることもない。夢を見れば、そこには心の正しい人や君主や親を見るか、おめでたい夢を見る。これは『周礼』にある六夢の中の正夢や喜夢に当たる。また、心に悪い思いが兆したときには、安眠できない。眠りについても雑駁な夢を見て、うつろでぼんやりとしており、つまらない人や女性の夢を見たり、災難に遭遇した夢を見る。これは『周礼』にある六夢の中の噩夢や懼夢に当たるだろう。目が覚めた後に思い返してみれば、夢に出てくる心の正しい人や君主や親は自分の心であり、おめでたいことも自分の心なのである。すべて善い思いから生じた現象である。また夢に出てくるつまらない人や女性、あるいは災難もまた自分の心である。すべて悪い思いが生み出した現象である。このように自分の心に生じた善い思いや悪い思いが夢に現れるのであるから、大いに反省しなければならない。死と生は、昼と夜のようなものである。仏教において地獄や天国の教理を設けているのも、恐らくは心の善と悪を説いているのであろう。これはきっと夢の世界と同じようなものではないだろうか、と一斎先生は言います。


ユングやフロイトの心理学には夢分析という手法があり、夢を分析することで、その人の心の問題を解決するのだそうです。


一斎先生もおっしゃっているように、確かに心が平穏で幸せなときには、悪い夢は見ないものです。


つまり、安眠を得るためには、起きているときにいかに心に善念を抱いておくかである、と結論できそうです。


小生は、平日は仕事から帰るのが22:00頃で、それから食事をし、お風呂に入って、24:00近くから1~2時間読書をするという生活を続けてきました。


しかし最近は読書をはじめると、いったん寝落ちして、目が覚めてから本を読むといったパターンとなりがちで、その結果睡眠時間が3時間程度しかないということも多くなってきました。


それが主な原因だと思われますが、今年に入って既に二度も風邪をひいて発熱をしております。(年齢的な衰えも否めません)


これは若い頃からそうなのですが、幸い土日に熱が出ることが多く、仕事に穴をあけることはありませんでしたが、さすがにこれはマズイなと思い始めました。


最近は午前1時までには就寝して、5時間睡眠を確保することを意識しております。


実はそのように眠りが浅いせいか、夢を見ることがほとんどない、もしくは覚えていないという状態です。


つまり心の善悪を夢で判断する以前の問題だということでしょう。


まずは睡眠をとることを優先し、よい夢をみることができるように、日中は善い仕事、よい生活を心がけます。

第496日

【原文】
邦俗には途(みち)にて柩(きゅう)に遇う時、貴人は則ち輿夫(よふ )輿(こし)を擡(もた)げて走行し、徒行者は則ち左右に顧みて唾す。太だ謂れ無きなり。宜しく旁(かたわら)に辟け、佇立(ちょりつ)して少しく俯すべし。是れ喪を哀れんで貌(かたち)を変ずるなり。又途にて縲絏(るいせつ)者に遇えば、則ち宜しく亦旁(かたわら)に辟けて、正視すること勿れ。是れ罪を悪めども而も人を恤(あわれ)むなり。瞽者(こしゃ)は則ち宜しく我れ路を辟けて傔僕(けんぼく)をして喝せしむる勿るべし。是れ仁者の用心なり。然れども、貴人に在りては、儀衛趨従(すうじゅう)を具すれば、則ち行路自ら常法有り。必ずしも是(かく)の如きを得ず。但だ宜しく従者をして此の意を体知せしむべし。柩若しくは罪人に遇いて、輿を擡げて疾走するが如きに至りては、則ち之を繳(しゃく)せしめて可なり。


【訳文】
わが国の風習では、道で柩に遇ったりすると、身分の高い人の場合には、乗物を担ぐ人夫が、乗物を持ち上げて走り去り、歩行者は左右を見まわして、唾をはくことになっている。これは理由のないことである。道の傍に避けて、葬列が通り過ぎるまで、立ち止って少しかがむのがよい。これは人の死を悲しみ悼むために、姿勢を変えるわけである。また、道で黒い縄で縛られた囚人に出遭った場合には、道の傍に避けて、真正面から見ない方がよい。これは犯した罪を憎むけれども、その人をふびんに思うからである。なお、盲人の場合には、こちらの方から道を避け、付添いの者にどならせることがあってはいけない。これは慈悲のある者がする心遣いである。しかし、身分の高い人の場合には、護衛や従者などを伴っているから、道を通行するにも定まった規則があるので、必ずしもそのようなことはしない。ただ、従者にこの意味を聞かせておくのがよい。柩や罪人に遇って、乗り物を持ち上げて急いで走るなどは、控えさすのがよい。


【所感】
わが国では、道の途中で柩に出遭ったとき、高貴な人は車を担ぐ人夫が車を持ち上げて走行し、歩行者は左右をみて唾を吐くことになっている。これは意味のないことである。道端に避けて立ち、すこし頭を下げればよい。これは死者を追悼して態度を改めるのである。また道の途中で罪人に出遭ったときは、道端に避けて、直視することを避けるべきである。これは罪を憎んでその人を哀れむからである。盲人の場合は道を避けて、使いの者に大声を出させないようにする。これは思いやりのある人の心遣いである。しかし高貴な人の場合は、護衛の武士を連れているので、路を行くにもきまった仕来りがあろう。必ずしも上に挙げたようなことを行う必要はない。ただ従者にその意味を理解させるべきである。柩や罪人に出遭って、車を持ち上げて走るなどという行為は、控えさせるべきである、と一斎先生は言います。


さすがにこの章句には時代を感じます。


現代では、柩や罪人とすれ違うというケースはあり得ません。


ただし、ここで重視すべきは細やかな心遣いということでしょう。


罪を憎んで人を憎まず、身体の不自由な方に会えば、その苦労や心労を思いやるということは、ともすると忘れがちなことかも知れません。


かつて孔子は、公冶長という牢屋につながれたこともある弟子に自分の娘を嫁がせています。


【原文】
子、公冶長を謂う、妻(めあわ)すべきなり。縲絏(るいせつ)の中に在りと雖も、其の罪に非ざるなりと。其の子を以て之に妻(めあわ)す。


【訳文】 
先師が、公冶長の人柄を批評して言われた。
「結婚させるにふさわしい立派な人物だ。牢屋につながれたことがあったが、誤解されてのことで本人の罪ではなかった」とて、自分の娘を彼と結婚させられた。(伊與田覺先生訳)


孔子は無実の罪に問われただけであり、その人物は立派であるからと、我が娘を嫁がせました。


しかしこれはなかなかできることではありません。


世間体などを気にするならば、仮に無実の罪であっても牢屋に入ったというだけでその人を遠ざけようとするのが通例ではないでしょうか。


このように人間というものは、相手のことを思いやる前に、まず自分のことや世間体を気にする生き物だといえそうです。


容易く「利他の心」などと言いますが、利己心に利他の心が打ち克てる人とは、本当に強い人であり、修養を積んだ人なのでしょう。


この章句からは、以上のような学び・気づきを得ておきます。

第495日

【原文】
凡そ古今の人を評論するには、是非せざるを得ず。然れども、宜しく其の長処を挙げ以て其の短処を形わすべし。又十中の七は是を掲げ、十中の三は非を黜(しりぞ)くるも、亦忠厚なり。


【訳文】
だいたい古今の人物を批評し論ずる場合には、よしあしを言わない訳にはいかない。しかし、その際に、まずその人物の長所を挙げて、自然に短所を表すようにするのがよい。また、十のうち七つくらいは長所を挙げ、十中の三つくらいは短所を挙げて、これをよくないことであるとするのも、誠実で親切な評論であるといえる。


【所感】
だいたい古今の人物を評価する際には、よしあしを判断せざるを得ない。しかしその場合、まず長所を取り上げた上で短所を取り上げるようにすべきである。また十のうち七までは長所を挙げ、十のうち三程度は短所を挙げておくことも、誠実で篤実なことである、と一斎先生は言います。


人間は誰しも人物評をしたがるものです。(もちろん小生も恥ずかしながら、よくやってしまっています。。。)


さて、小生が人を評価する際に意識していることは、森信三先生が『修身教授録』の中でおっしゃっていた長所と短所を合算しないという考え方です。


以下のその部分を抜粋します。


そもそも人間の長所と短所とを並べますと、これは共に相殺してしまって、つまりお互いに帳消しになって、結局プラスマイナスゼロになるわけです。そしてその場合、もし欠点の方が強ければ、マイナスが残るのはもちろんのこと、仮に長所の方が強い場合でも、結局は相殺となって、残ったプラスは微々たるものにすぎないでしょう。

ですからわれわれが、相手から自分の心の養分を真に吸収しようとする場合には、かような傍観的では、ほとんど何も得られるものではないのです。すべて真に自分の身につけるには、一時は相手の長所に没入して、全力を挙げてこれを吸収するのでなければ、できないことです。


一緒に仕事をしている仲間の中に頑張っていない人はいません。


また長所のみ、あるいは短所のみという人もいません。


その人の長所を活かせるような仕事をしてもらえるようにメンバーの勇気付けをしていきましょう。

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