【原文】
放鬆(ほうしょう)任意は固より不可なり。安排(あんばい)矯揉(きょうじゅう)も亦不可なり。唯だ縦(じゅう)ならず束ならず。従容として以て天和を養うは、即便(すなわ)ち敬なり。
【訳文】
物事に締りがなくわがままなのは元来良くないことであるが、ほどよく加減して矯め直すことも良くないことである。ただ、わがままにならず束縛もなく、ゆったりと天然自然の和気を養って行く。これが敬ということである。
【所感】
あまりに勝手気ままに行動することは宜しくない。しかし、適当に処理したり矯正し過ぎるのも宜しくない。自由放任することなく、締め付けすぎず、ゆったりとして調和を得た天の道を養うということ、これがすなわち敬ということなのだ、と一斎先生は言います。
「敬」に対する一斎先生の定義です。
唯だ縦ならず束ならず。従容として以て天和を養うこと。
良いですね。
敬という語には、「うやまう」という意味と、「つつしむ」という意味がありますが、この場合は後者の意味が強いようです。
敬といえば、これまで幾度か取り上げてきましたが、森信三先生の定義が小生のお気に入りです。曰く、
敬とは、自分を空しうして、相手のすべてを受け入れる態度。
これは、「うやまう」という意味合いが強い定義ではないでしょうか。
小生が子供の頃は、「尊敬される人物になりなさい」、とよく言われました。
尊敬される人物になるためには、まず自分自身が、唯だ縦ならず束ならず、従容として以て天和を養う人でなければならないのでしょう。
その上で、人に接する際には己を空しくして、一旦その人のすべてを受け容れてみる。
要するにまずは自らが「敬」の態度を体得していなければいけないのでしょう。
非常に重要な点に気づくことができました。
一斎先生、いつもありがとうございます。