一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

2016年06月

第494日

【原文】
放鬆(ほうしょう)任意は固より不可なり。安排(あんばい)矯揉(きょうじゅう)も亦不可なり。唯だ縦(じゅう)ならず束ならず。従容として以て天和を養うは、即便(すなわ)ち敬なり。


【訳文】
物事に締りがなくわがままなのは元来良くないことであるが、ほどよく加減して矯め直すことも良くないことである。ただ、わがままにならず束縛もなく、ゆったりと天然自然の和気を養って行く。これが敬ということである。


【所感】
あまりに勝手気ままに行動することは宜しくない。しかし、適当に処理したり矯正し過ぎるのも宜しくない。自由放任することなく、締め付けすぎず、ゆったりとして調和を得た天の道を養うということ、これがすなわち敬ということなのだ、と一斎先生は言います。


「敬」に対する一斎先生の定義です。


唯だ縦ならず束ならず。従容として以て天和を養うこと。


良いですね。


敬という語には、「うやまう」という意味と、「つつしむ」という意味がありますが、この場合は後者の意味が強いようです。


敬といえば、これまで幾度か取り上げてきましたが、森信三先生の定義が小生のお気に入りです。曰く、


敬とは、自分を空しうして、相手のすべてを受け入れる態度。


これは、「うやまう」という意味合いが強い定義ではないでしょうか。


小生が子供の頃は、「尊敬される人物になりなさい」、とよく言われました。


尊敬される人物になるためには、まず自分自身が、唯だ縦ならず束ならず、従容として以て天和を養う人でなければならないのでしょう。


その上で、人に接する際には己を空しくして、一旦その人のすべてを受け容れてみる。


要するにまずは自らが「敬」の態度を体得していなければいけないのでしょう。


非常に重要な点に気づくことができました。


一斎先生、いつもありがとうございます。

第493日

【原文】
道理は弁明せざる可からず。而も或いは声色を動かせば、則ち器の小なるを見る。道理は黙識せざる可からず。而も徒らに光景を弄すれば、則ち狂禅に入る。


【訳文】
物事の道理(筋道)というものは、これを識別して明確にしなければいけない。しかし道理があっても、怒鳴ったり顔色を変えたりしては、人物の小さいことが見すかされる。なお、物事の道理は、これを暗黙のうちに識得(会得)しなければいけない。しかし、いたずらに妄想(想像)をたくましくするようでは、野狐禅になってしまうことになる。


【所感】
物事の道理については、分別をもって明確にしておかねばならない。ところが声を荒げたり、顔色を変えたりすれば、それはそのままその人の器の小ささを露呈することとなる。また、物事の道理とは、心中に悟るものであらねばならない。ところがやたらと心の中であれこれと考えすぎるようなことでは、野狐禅(真に悟りもしないで、悟った風をすること)になってしまう、と一斎先生は言います。


野狐禅、やこぜんと読むのだそうです。


『無門関』が出典のようです。


恥ずかしながら小生はこの言葉を知りませんでした。


真に物の道理を理解している人は、感情を表に出さず、あれこれと考えを巡らすようなことはしない、という教えでしょうか。


たとえばこの「一日一斎」や『論語』の読書会などを主査することも、野狐禅なのかも知れません。


しかしながら、ただ孤独に学びを深めるということ自体が非常に難しいことであり、凡愚な小生には継続できる自信がありません。


そこで、読書会や勉強会を通して知り合った諸先輩や友人たちとやりとりをしながら学ぶという方策を採っております。


そして少しずつでも、物事に動じない人間、木鶏のように多くを語らず、その姿で語る人間へと成長していく所存です。


どうぞ、末永くお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。

第492日

【原文】
酬酢紛紜(しゅうさくふんうん)にも、提醒(ていせい)の工夫を忘る可からず。


【訳文】
平生、人と応対してごたごたした中でも、常に本心を目覚めさせる工夫を忘れてはいけない。


【所感】
人との応対に忙しいときでも、心を張り詰め澄ませておく工夫を忘れてはならない。


久しぶりにシンプルなお言葉です。


しかし、深いお言葉でもあります。


リーダーとして気をつけておかねばならないことは、自らが忙しい時に、忙しいオーラを出さないことでしょう。


メンバーがいつでも相談できるようにしておくことが求められます。


一斎先生がおっしゃっているの工夫とは、こうしたことも含まれるのではないでしょうか?


つまり、忙しさのあまり相手を思いやる心を失ってはならないと。


ここで思い出されるのが、中江藤樹先生の藤樹書院を訪れた際に目に留まった「五事を正す」というお言葉です。


五事を正す
・貌:顔つき、和やかな顔つき
・言:言葉づかい、思いやりにある言葉づかい
・視:目つき、澄んだ目でものごとをみつめる
・聴:聴き方、相手の本当の気持ちを聴く
・思:思い、思いやりのある気持ちをもって生活する 


常に人と接する営業という職業柄、メンバーの前だけでなく、お客様の前においても、この五事を正すことを忘れてはいけませんね。

第491日

【原文】
毎旦(まいたん)鶏鳴きて起き、澄心黙坐(ちょうしんもくざ)すること一晌(いっしょう)。自ら夜気の存否如何を察し、然る後に蓐(しとね)を出でて盥嗽(かんそう)し、経書を読み、日出て事を視る。毎夜昏刻より人定に至るまで、内外の事を了す。間(かん)有れば則ち古人の語録を読む。人定後に亦澄心黙坐すること一晌。自ら日間行ないし所の当否如何を省み、然る後に寝に就く。余、近年此を守りて以て常度を為さんと欲す。然るに、此の事易きに似て難く、常常是の如くなること能わず。


【訳文】
毎朝鶏が鳴いてから目をさまし、心を澄まして黙坐すること一時ほど、自ら心に清明な気があるかどうかを考えてから、寝床を出て顔や手を洗い口をそそぐ。それから聖人の書物を読み、日が出ると仕事を始める。毎晩夕方から午後の十時頃までに、公私の業務を終り、暇があると、古人の語録類を読むことにしている。夜の十時以後、また澄心して黙坐すること一時ばかり。昼間の行動が正しかったかどうかを反省してから、寢ることにしている。自分は近年これを守って、日常の生活の決りにしようと考えている。しかしこのことは容易なようであって、その実、なかなか困難なことであるから、毎日このように続けていくことはとてもできないと思う。


【所感】
毎朝鶏の鳴き声で目を覚まし、しばらく心を澄まして黙して坐する。夜明けの清明な空気があるかどうかを察し、その後に寝床を出て顔を洗い口をすすぎ、経書を読み、日が昇ると仕事をする。毎晩夕方から夜の八時ごろまでに公私の仕事を終える。時間があれば古人の語録を読む。八時以降はまた心を澄ませ黙して坐すること一時ほど。日中の行いが正しかったかどうかを反省し、その後眠りにつく。私は近年、こうした生活を守って平素のきまりとしようと望んでいる。ところがこれは簡単そうでいて難しく、いつもこのようにできないことが多い、と一斎先生は言います。


小生が意識していることは、一日のルーチンを決め、読書の時間を確保することです。


一斎先生も同じことを考えられていたと知って、嬉しくなりました。


人間に与えられた一日の時間はみな平等に24時間です。


その中で、仕事の時間以外に自己修養を行うためには読書の時間を確保しなければなりません。


時間は創るものだと言いますが、毎日社員さんの日報をある程度見ておくとなると、22時以前の帰宅はかなり難しくなります。


その結果、必然的に睡眠時間を3~4時間に削らないと読書ができないという状況です。


ところが数日前に、風邪をひき、2日間ほど37度台の熱が下がらずに寝込みました。今年に入って早くも二度目の罹患です。


体力の衰えと無理をすることの限界を痛感しました。


一斎先生もお悩みのルーチンの確保について、小生も今一度これまでの棚卸しを行い、新たなルーチンを完成させます。


よいルーチンが完成した暁には、ここで改めてお知らせ致します。

第490日

【原文】
孟子の三楽、第一楽は親に事(つか)うるを説く。少年の時の事に似たり。第二楽は己を成すを説く。中年の時に似たり。第三楽は物を成すを説く。老年の時に似たり。余自ら顧(おも)うに、齢已に桑楡(そうゆ)なり。父母兄弟皆亡す。何の楽か之有らんと。但だ自ら思察するに、我が身は即ち父母の遺体にして、兄弟も亦同一気になれば、則ち我れ今自ら養い自ら慎み、虧かず辱めざるは、則ち以て親に事うるに当つ可き歟(か)。英才を教育するに至りては、固より我が能くし易きに非ず。然れども亦以て己を尽くさざる可けんや。独り怍(は)じず愧じざるは、則ち止(ただ)に中年の時の事なるのみならず、而も少より老に至るまで、一生の愛用なれば、当に慎みて之を守り、夙夜(しゅくや)諼(わす)れざるべし。是の如くんば、則ち三楽皆以て終身の事と為す可し。


【訳文】
『孟子』に三楽を挙げているが、第一の楽しみは親によく仕えることを説いているので、少年時代のことのようである。第二の楽しみは自己の完成について説いているので、中年時代のことのようである。第三の楽しみは人物の養成について説いているので、老年時代のことのようである。自分は「もう年をとって余命が短い。父母や兄弟はみな死亡してしまった。何の楽しみがあろうか」と思った。自分の身体は父母の遺した身体であり、兄弟も同じであるから、自分はいま自愛自重し、正しい行ないをし、恥をかくことが無ければ、親が亡くなってしまっても、親に仕えるということになるであろう。優れた才能の者を教育することは、元来自分のなし得ることではないが、しかし十分に力を尽くしていかなければならないと考えている。正しい行ないをして、天地に恥じることのないのは、ただ中年の時代の事だけでなく、少年から老年に至るまで、一生涯のことであるから、慎んでこれを守り、朝から晩まで忘れてはいけないことである。このようにみてくると、孟子の三楽は一生涯にわたってなさねばならないことである。


【所感】
『孟子』尽心上篇には「三楽」が掲載されている。第一の楽しみは親に仕えることを挙げており、これは少年時代に当てはまる。第二の楽しみは自分を完成させることを説いており、これは中年の世代に当てはまる。第三の楽しみとして人材の育成を説いているが、これは老年の時代に当てはまる。私は自らを顧みて思うことがある。すでに自分も晩年期を迎え、父母兄弟は皆死んでしまった。何の楽しみが残っていようか。ただ自ら考えてみれば、『孝経』にあるように、私の身体は父母の遺体であり、兄弟もみな同様であるから、我が身を養い、慎み深くして、落度をなくし天に恥じない生活をすることが、親に仕えることに当たるのではないか。人材を育成するにおいては、私が容易にできることではないが、まず己を尽くすべきであろう。天に恥じない行ないをすることは、ただ中年の時だけに限らず、少年時代から老年に至るまで、一生のことであるから、慎んで守っていくべきであり、早朝から夜に至るまで忘れてはならないことである。そう考えてみると、結局『孟子』の三楽は一生のこととしていかねばならないのであろう、と一斎先生は言います。


まず引用されている『孟子』尽心上篇の該当部分を掲載します。


【原文】
孟子曰く、君子に三楽有り。而して天下に王たるは、與(あづか)り存せず。父母俱に存し、兄弟(けいてい)故無きは、一(いつ)の楽(たのしみ)なり。仰ぎて天に愧じず、俯して人に怍じざるは、二の楽なり。天下の英才を得て、之を教育するは、三の楽なり。君子に三楽有り。而して天下に王たるは、與(あづか)り存せず。


【訳文】
孟子が言う、「君子には三つの楽しみがある。そして天下に王となる事などは、それに全然関係しない。父母共に健在で、兄弟の間に何の事故もないというのは、まず第一の楽しみである。常に正しい行ないをしているため、仰いでは天に対してはじることがなく、俯しては人にはじることがないというのは、第二の楽しみである。天下の英才を見いだすことが出来、これを教育するのは、第三の楽しみである。君子にはかかる三つの楽しみがある。そして天下に王となって政権をにぎるなどということは、この楽しみの中に入っていないのである」と。(内野熊一郎先生訳)


「君子の三楽」として有名な一節ですが、やはり読み返してみて心に響くものがあります。


小生は当然凡愚な男ではありますが、この三楽を当てはめてみますと、幸いに第一の楽については、父母も兄弟もみな無事で健在であり、 まさに現在楽しみを享受できております。


とはいえ、親とは離れて暮らしておりますので、なるべく機会を設けて直接会って話をする機会をもとうと思います。


また、過日、祖父母のお墓詣りを致しましたが、これも第一の楽しみに入るのだろうと気づくことができました。


第二の楽しみは、慎独ということになりましょうか。これについては、まだまだ足りないところが多く、真の楽しみを享受できておりません。精進します。


第三の楽しみについては、現在の勤務先での社員さんの研修や日々の営業指導を通して、後継者の育成に励んでおります。まだまだ小生の至らなさ故、英才を見いだすところには至っておりませんが、継続していく中で、いつかその楽しみを大いに味わいたいと思います。


また、プライベートにおいても『論語』の読書会や他の勉強会を通して、小生よりも若い人たちと交流する機会をいただいております。


そこでもおせっかいなことかも知れませんが、小生のつたない経験やこれまでの学びを通して得たものを提供して、若い人たちのお役に立てればと考えております。


こうしてみると、一斎先生のおっしゃるように、孟子の三楽は一生涯を通して享受すべく、己を鍛錬・精進していくべきだということに気づきます。


孟子もおっしゃっているように、この三つの楽しみこそが人生の至楽であって、地位や名誉を得ることなどは、それには及ばないのです。


求めるものを誤って、人生の最後に悔恨の念を抱くような生き方はしたくないですね。

第489日

【原文】
血気には老少有りて、志気には老少無し。老人の学を講ずる、当に益々志気を励まして、少壮の人に譲る可からざるべし。少壮の人は春秋に富む。仮令今日学ばずとも、猶お来日の償う可き有る容(べ)し。老人は則ち真に来日無し。尤も当に今日学ばずして来日有りと謂うこと勿るべし。易に曰う、「日昃(かたむ)くの難は、缶(ふ)を鼓して歌わざれば、則ち大耋(てつ)の嗟(なげき)あり」とは、此を謂うなり。偶感ずる所有り。書して以て自ら警(いまし)む。


【訳文】
身体から発する生気には、老若の違いがあるが、意気ごみには老若の違いが見られない。それで、老人が勉学する際には、いっそう志気を励まして、若い青少年や壮年の者達に負けてはいけない。若い者達は生い先が長い。たとえ、今日勉学しなくとも、いつか埋め合わせする時がやって来る。しかし、老人には本当に将来おぎなう日はやって来ない。朱子もいっているように、今日学ばなくても明日があるといってはいけない。易にも、「人の一生涯は短いから、楽器でも鳴らして歌い楽しまなければ、いたずらに年をとって老いぼれたという嘆きが残って、何の益する所もなく、凶(不運なこと)というべきである」とあるのは、誠に善言といえる。ふと心に感ずる所があって、ここに認(したた)めて自戒とするのである。


【所感】
血気には老若の違いがあるが、志気には老若の違いはない。老人が学問を修める場合は、益々志気を高めて、若い人たちに劣るようではいけない。若い人の人生は長い。今日学ばなかったとしても、将来的に埋め合わせることもできよう。しかし老人にそのような時間はない。朱子が「今日学ばずとも明日があるなどと言ってはいけない」と言っているのも尤もなことだ。『易経』にも「日が西に傾いて夕方となった、人生でいえば老境であり、先が久しく続くわけではないのである。日が中央にかかればやがて傾くのは天命である。この理を知り君子は老境を相応に楽しく過ごし、良き後継者を求めて心の安息を得るべきなのである」とあるが、このことを指摘しているのであろう。少々感じるところがあったので、ここに記して自らの戒めとしたい、と一斎先生は言います。


引用されているのは朱熹(朱子)の「勧学文」と呼ばれる詩の一節です。


勧学文

【原文】
謂ふ勿れ、今日学ばずとも来日有りと。 
謂ふ勿れ、今年学ばずとも来年有りと。 
日月逝けり、歳は我と延びず。 
嗚呼、老いたり、是れ誰の愆(あやま)りぞや。

【訳文】
今日学ばずとも明日があるなどと言ってはいけない。 
今年学ばずとも来年があるなどと言ってはいけない。 
時はたゆまなく流れ、歳は我と延びることはないのだ。 
ああ、老いたと嘆く、これは何の心得違いであろうか。


また『易経』からの引用は、離為火の卦、九三爻の爻辞からです。(ほぼ原文通りなので割愛します)


小生は、一斎先生に比較すればかなりの若輩者ですが、最近はこうした言葉を耳にすると胸に迫るものがあります。


朱熹は「偶成」という有名な詩も残しています。


偶成
 
【原文】
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず 
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)すでに秋声

【訳文】
若いときはうつろいやすく、学問を成すことは難しい
僅かな時間さえも軽んじてはいけない 
池のほとりの春草が萌え出る夢も覚めぬうちに
もう庭先の青桐の葉が秋の訪れを告げているのだから


この朱熹(朱子)の2つの詩は、漢詩の素養がない小生にもスッと肚に落ちる名詩です。


「少年老い易く学成り難し」だからこそ、「謂ふ勿れ、今日学ばずとも来日有りと」であって、とにかく今学ぶべきことは時を移さずに学ぶべきなのです。


あれほどの大哲学者である一斎先生でも悔恨の念に苛まれているのですから、今年五十歳を迎える身としては、とにかく毎日を大切にして、学び続けるしかありません。

第488日

【原文】
婦人の齢四十も、亦一生変化の時候と為す。三十前後猶お羞を含み、且つ多く舅姑(しゅうこ)の上に在る有り。四十に至る比(ころ)、鉛華(えんか)漸く褪せ、頗る能く人事を料理す。因って或いは賢婦の称を得るも、多く此の時候に在り。然も又其の漸く含羞(がんしゅう)を忘れ脩飾する所無きを以て、則ち或いは機智を挟(さしはさ)み、淫妬(いんと)を縦(ほしいまま)にし、大いに婦徳を失うも、亦多く此の時候に在り。其の一成一敗の関すること、猶お男子五十の時候のごとし。預(あらかじ)め之が防を為すを知らざる可けんや。


【訳文】
女性の四十という歳も、また一生涯の内で変化のある時期である。三十歳頃はまだはずかしさがあり、その上、舅と姑がいる。四十歳頃になると、白粉をつけて化粧することも遠のき、人の世話をすることも上手になる。それで、人々から賢婦人といわれるのもたいていこの時期である。しかしまた、はずかしさも無くなり、化粧して着飾ることも無くなって、悪知恵をはたらかせたり、素行が悪くなったりして、大変婦人としての徳を失うのもこの四十歳頃に多い。その婦徳をそなえる(得る)か失うかは、男性の五十歳の時期と同じようなものである。前もってこれを防ぐことを知らなければならない。


【所感】
女性の四十歳という年齢も、一生のうちで変化のある時期である。三十歳前後はまだ羞じらいがあり、舅と姑も健在であることが多い。四十歳になる頃には、おしろいをつけることもなくなり、とても上手に人付き合いができるようになる。そこで賢婦人だと言われるようになるのも、この年齢の頃であろう。しかし一方で、羞恥心を忘れ化粧をすることもなくなって、賢しらを用いたり、嫉妬心を抱くなどして、大いに婦人としての徳を失うのも四十歳頃のことである。あるいは上手くいき、あるいは失敗するというのも、男性の五十歳頃と同様である。あらかじめ防ぐ手立てを知らなければならない、と一斎先生は言います。


女性のことはよく判りませんが、たしかに四十歳というのは女性の大きな転機のように思えます。


いわゆる女子から女性へと変わるのがこの時期ではないでしょうか?


男性の五十歳頃と同様に、その後の人生を首尾よく過ごせるか、あるいは大きな失敗をして棒に振るかは、この四十歳からの生活や仕事ぶりに懸かっているのかも知れません。 


小生の周囲にも四十前後の女性の友人が数名おります。 


皆さん、気をつけましょうね!

第487日

【原文】
齢五十の比(ころ)、閲歴日久しく、練磨已に多し。聖人に在りては知命と為し、常人に於いても、亦政治の事に従う時候と為す。然も世態習熟し、驕慢を生じ易きを以て、則ち其の晩節を失うも、亦此の時候に在り。慎まざる可けんや。余は文政辛巳(しんし)を以て、美濃の鉈尾(なたお)に往きて、七世・八世の祖の故墟(こきょ)を訪(と)い、京師に抵(いた)りて、五世・六世の祖の墳墓を展し、帰途東濃の巌邑(いわむら)に過(よ)ぎりて、女兄に謁(えっ)す。時に齢適(まさ)に五十。因て、益々自警を加え、今年に至りて犬馬の齢六十有六なり。疾病無く事故無く首領を保全せり。蓋し誘衷(ゆうちゅう)の然らしむるならん。一に何ぞ幸なるや。


【訳文】
年齢が五十頃になると、久しく年月を経て、色々と練り磨かれて辛苦を嘗めてきた。聖人においては天命を自覚し、普通一般の人も政治に関心をもつ時期である。この年頃は世間の事によく馴れてきて、驕りあなどる心が生じやすく、遂に晩年に節を失うのもこの時期であるから身を慎まなければいけない。自分は文政四年に美濃の鉈尾に行って、七代・八代の先祖の昔の跡を尋ね、それから京都に赴いて、五代・六代の先祖の墓に参り、その帰りに東美濃の巌邑を過ぎて姉に会った。その頃、年齢が五十であった。それから、ますます自ら戒めて自重してきたが、今年馬齢を重ねて六十六にもなった。お陰で病気をせず、そのうえ何の事故もなく、無事に日を過ごしてきた。これは天が自分の心を誘い導いて善事をなさしめてくださったことによるものと信じている。誠に幸なことである。


【所感】
年齢が五十歳になる頃には、多くのことを経験して積み重ね、かなりのことに習熟してくるものである。聖人(孔子)においては天命を知る頃であり、通常の人でも政治に従事する時期であろう。しかも世間ずれをなしたり、驕りの心が生じて晩節を失うのもこの時期においてであろう。大いに慎まなければならない。私は文政四年に美濃の鉈尾(今の岐阜県美濃市)に赴き七代、八代の先祖の昔の館址を訪れ、京都に出て五代、六代の墓を参り、その帰途に東濃の巌邑(現岐阜県恵那市岩村町)に寄って姉に会った。それがちょうど五十歳の頃であった。それから益々自警して今年六十六歳となった。病気もなく事故にも遭わず一命を全うしてきた。これは天がまごころをもって自分をよい方向に導いてくれたお陰であろう。なんと幸せなことであろうか、と一斎先生は言います。


心に沁みる章句です。


小生は四十台前半、前職において部下指導で大きな挫折を味わい、その後奮起して現在の職場に拾ってもらい、今年五十を迎えます。


一斎先生もおっしゃるように、まさにここからが晩節を決める十年間になるのでしょう。


大いに慎まねばなりません。


小生も今年4月に念願であった祖父母の墓参りを叶え、人生後半を世の中のために活かしていきたいと誓いました。


ところが節制という意味ではまったく失格で、過日の健康診断では人生最高体重をマークし、まさにメタボまっしぐらの様相を呈してきました。


健全な肉体があってこそ、世の中のお役に立てるはずです。


まずは健康面からリスタートを切って、還暦までの10年間を無事に過ごしたいと思わずにはいられません。

第486日

 
【原文】
余自ら視・観・察を飜転(ほんてん)して、姑(しばら)く一生に配せんに、三十已下(いか)は視の時候に似たり。三十より五十に至るまでは、観の時候に似たり。五十より七十に至るまでは、察の時候に似たり。察の時候は当に知命・楽天に達すべし。而して余の齢今六十六にして、猶お未だ深く理路に入る能わず。而るを況や知命・楽天に於いてをや。余齢幾ばくも無し。自ら励まざる容(べ)からず。


【訳文】
『論語』に「其の以(為)す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察す」とあるが、自分はこの視・観・察をかえて一生涯に配してみると、三十歳以下は何事も浅く雑にみるから視の時代に似ており、三十歳から五十歳までは視よりも念を入れてみるから観の時代に似ており、五十歳から七十歳までは前よりもより精しく考えるから察の時代に似ているといえる。この察の時代には、天命を自覚して、人生を楽しくするようにすべきである。自分の年は六十六にもなって、まだ深く道理の道に至ることができない。まして天命を自覚し安心立命することはでき難い。自分は余命あとわずかであるから、うんと励まなければいけない。


【所感】
『論語』為政第二篇にある「視・観・察」を拡大解釈して人の一生にあてはめてみると、三十歳以下は視の時期にあたるのではないか。三十歳から五十歳までは観の時期、五十歳から七十歳までは察の時期にあたるであろう。察の時期には知命・楽天に達していなければならない。そこで私は六十六歳になるが、いまだに道の深遠に達せずにいる。ましてや知命・楽天などは届くべくもない。残りの人生も長くはない、自ら励まざるを得ない、と一斎先生は言います。


まずここに引用された『論語』為政第二篇の原文を掲載します。


【原文】
子曰わく、其の以(な)す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察(み)れば、人焉んぞ廋(かく)さんや。人焉んぞ廋(かく)さんや。


【訳文】
先師が言われた。
「その人が何をしているのか、その人が何によって行っているのか、そしてその人がどこに安らぎを持っているのか。そういうことを観察すれば、人のねうちはわかるものだ。従って自分をかくそうと思っても、決してかくせるものではない」(伊與田覺先生訳)


ここにある視・観・察については、視 → 観 → 察 の順に、外面から内面をみる深さが深まっていきます。たとえば、視とは言葉をそのまま捉えるが、察になるとその背景にある心理を探るといったイメージです。


一斎先生はこれを人の一生に当てはめて考察をされております。


年齢と共に物事の表面に現われた事象だけでなく、その裏にある根本の原因を察するようにならねばならない、という教えでしょう。


小生のように営業の世界に身をおく者からするともう少し全体を早めることが必要かも知れません。


二十台:視のとき

三十台:観のとき 

四十台:察のとき 


となって、四十台になる頃には、察を用いることができなければ大きな仕事はできません。


しかし、人生はそうはいかないでしょう。


ここで小生のような凡愚な人間にとって少し安心するのは、一斎先生ほどの大哲学者であっても、六十六歳にして天命をつかみ切れていないとお嘆きになっていることでしょうか。


昌平黌(幕府の最高学府)でトップに立った一斎先生であり、しかも藩の公式な学問である朱子学だけでなく、異端とされた陽明学をも取り入れて指導に当られたということを考慮すれば、実際にはこれはご謙遜であって、おそらくは心密かに天命をお知りになっていたとは思いますが。


小生も、なんとか命あるうちに天命を知り、少しだけでも世の中のお役に立ちたいと思うばかりです。


ところで、今回の一斎先生のように、『論語』を拡大解釈して現代に活かすという点には大いに共感すると共に、参考になること大です。


小生も潤身読書会という『論語』を活学する読書会を東京・大阪・名古屋で主査しておりますので、フレキシブルに『論語』を捉えていきたいと改めて思いました。

第485日

【原文】
余は弱冠前後、鋭意書を読み、目、千古を空しゅうせんと欲す。中年を過ぐるに及び、一旦悔悟し、痛く外馳(がいち)を戒め、務めて内省に従えり。然る後に自ら稍得る所有りて、此の学に負(そむ)かざるを覚ゆ。今は則ち老ゆ。少壮読む所の書、過半は遺忘(いぼう)し、茫として夢中の事の如し。稍留りて胸臆(きょうおく)に在るも、亦落落として片段を成さず。益々半生力を無用に費ししを悔ゆ。今にして之を思う、「書は妄に読む可からず、必ず択び且つ熟する所有りて可なり。只だ要は終身受用足らんことを要す」と。後生、我が悔を蹈むこと勿れ。


【訳文】
自分は二十歳頃、一生懸命に読書して、千年も昔の事まで知り尽くしたいと思った。中年以後になってから、一度以前の事を後悔して、心を外に向けることを戒め、もっぱら内心に反省するようにした。このようにしてからは、やや得る所があり、これが聖賢の学に反しないことを覚り得た。今は老人になってしまって、若い頃に読んだ書物は、半分以上ほども忘れてしまい、ぼんやりして夢のようである。少し心に残っていることも、まばらでまとまっていない。それを考えると、益々とうとい半生を無駄な事に精力を費やしてきたことを後悔している。今になって考えると、書物はむやみに読むべきものではなく、必ずよく書物を選択して、熟読するのがよい。ただ肝心なことは、読書して得たことを、一生涯十分に活用することである。後輩は、自分(一斎)が経験した後悔を繰り返してはいけない。


【所感】
私は二十歳前後の頃、一心不乱に書物を読み、千年の昔のことまで極め尽くしたいと思っていた。中年を過ぎる頃、一度そのことを後悔して、心を外物にはしらせることを戒め、務めて心の内を省みるようにした。その後やや自得するところがあり、儒学に反しないことを悟った。今は年老いて、若い頃に読んだ本のことも大半は忘れ去り、ぼんやりとして夢のようである。胸の内に記憶していることも、まばらで断片的である。益々この半生を無駄に過ごしてきたことを悔いている。今になって思うことがある。「読書は妄りに読むべきものではなく、よく選択をして熟読玩味すべきである。ただ要点は、本で学んだことを一生活用することである」と。後に続く人達は、私の後悔を繰り返さないで欲しい、と一斎先生は言います。


本は選んで熟読玩味すべし。


手当たり次第に本を読んできた小生にも耳に痛いお言葉です。


一斎先生に比べるべくもないですが、小生もいわゆる売れ筋のビジネス本やテクニック本を随分読んできました。


また、人から勧められたり、SNSで友人の書評を読むと、とにかく読んでみようとその本を買い、結局積んだままということを繰り返してきました。


その結果が、昨日も記載したような本の山となって目の前にあります。


最近感じていたのは、残りの人生を有意義に過ごすためにも、今後は読むべき本を限定して、かつ深く読み込んでいきたいということでした。


そんなタイミングでこの一斎先生のお言葉を得て、小生も意を決することができました。


数年前に大枚をはたいて買い求めた『全釈漢文大系』や『新釈漢文大系』シリーズで中国古典を、日本の古典としては神話、佐藤一斎先生、中江藤樹先生、二宮尊徳先生あたりを、そしてビジネスにおいては、ドラッカーやコトラーを中心に熟読玩味していきます。

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れみれみ

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